後
婚約破棄したと噂になった両侯爵家が「婚約は破棄でなく円満に解消され白紙となった。瑕疵があるような噂を立てられるのは甚だ遺憾である」と大変にお怒りになったので、にわかに浮き足だった婚約破棄騒動は完全に下火になった。
家が出てきたことで実家から馬鹿なことはやめろとお叱りをうけた生徒がいたのかもしれないし、円満解消という選択肢が見えて我に返ったりしたのかもしれない。
逆に婚約破棄の噂で不安になった婚約者を慰めることで親密になったという話があったりして。別の方向に浮足立っている人たちもいるようだけれど、婚約者同士の仲がいいというのは悪いことではないだろう。
先生方も心労が減って良いことだ。ただでさえ貴族の子女が集まっていることで気を使うのに、恋愛のいざこざまで気を配らなければならないというのは苦労が大きすぎる。
残念ながら婚約を破棄するような考えなしに知り合いはいないので、その辺りの顛末はよくわからない。
ただ何人か、家の方に呼び戻されて学園に来ていない生徒がいるという話を小耳に挟んだので推して知るべしということだろう。
どちらにせよ私たちには関係のないことなので、面倒なことが減るならかまわなかった。
私としては円満にレジナルド様との婚約を解消させようと思えば我が家と公爵家に話を通すことになるのだから、変なのに絡まれる前に事態が解決してよかったと思うばかりだ。
心配性なユリアが安心したのも良かった。でもきっと私よりも、彼女の婚約者のほうがユリアの心を煩わせることがなくなったことに胸をなでおろしているだろう。
まぁレジナルド様を狙っていた娘たちも、婚約に待ったをかけたら公爵家に「息子を殺す気か」と言われるとは夢にも思わないだろう。
ついでにミシェイラ様のあの可憐で儚い可愛らしさで完膚なきまでに罵られるというのも、きっと彼女たちには想像できないことに違いない。
私をレジナルド様から引き離すと仕事も滞る可能性がある……というか実際滞るだろうことが目に見えているので、公爵家の仕事に関わる人達もおそらく全力で反対するだろう。
それは同時にレジナルド様の私への異常な態度が周囲に知られているということなのだけれど、そのことについて考えるのは学園に入学する前にとうにやめている。考えてどうにかなるものではない。
「アンジェ、珍しいね。友達は一緒じゃないのかい?」
「レジナルド様こそ、なにかありましたか?」
たまたま一人でいたところに声をかけられたけれど、レジナルド様が学園で話しかけてくるのは珍しい。
おそらくミシェイラ様あたりに間違ってもボロを出すなと釘を刺されたらしく、微笑んでこちらを見つめるだけでなにもなければあまり関わりがない。
そういうところもいけると思われた原因かもしれないけれど、公爵家にとっても今年入学したミシェイラ様にとっても奇行が表沙汰になるのは避けたいのだろう。
レジナルド様はといえば行き帰りの馬車の中でこれでもかとくっついているので、とりあえず我慢はできるようだ。
「例の噂の源が婚約発表のパーティーをするらしくてね、多分呼ばれると思うから話しておこうかと」
「どちらのですか?」
「どちらも、王家も絡むから変な憶測で騒がれたくないんだろうね」
侯爵家の令息の新しい婚約者は王女殿下らしいので、王家としても略奪だと思われたらたまらないと言うことだろう。
適性やらなにやらで数年前から話し合った結果、跡を継ぐのを次男に代え長男は成人と共に適性のある領地を与えられ臣籍降下する王女殿下の婿になることで話がまとまったらしい。
私もレジナルド様に話を聞かなければ知ることはなかったので、おそらくその事情を知っている人間は少ない。
知らなかったとはいえ王家の不興を買いかねないことをしていた、と侯爵家の婚約破棄の噂を面白おかしく話していた子供を持つ親が知ってしまったら、血の気が引く思いをするのではないかと、婚約発表後の学園を考えてまた人が減るような予感を覚えた。
「作ったものの少し地味かなと思って贈っていなかったドレスがあるから、それを着てくれると嬉しいな」
「また私に言わないで作っていたんですか?ミシェイラ様に怒られますよ」
「アンジェが許してくれるから」
あまりレジナルド様を甘やかしたらいけないと思っているのに、どうしても私への好意だと思うと受け入れてしまう。一応数を減らしてほしいというお願いは聞いてくれているので、それもあるかもしれない。
それでも前にガラス細工を気に入って褒めたところ何やら色々と手を回して「だって、待遇があまり良くなかったから」と職人をごっそり引き抜いて新しい工房を作ってしまった時のような行動力は最近なりを潜めているので、きっと多少はマシになっているはずなのだ。
レジナルド様が隠すのが上手になったのではないかという疑問は、気づかなかったことにしておきたい。
「たくさんドレスを作っていただいても、着る私の体は一つしかないんですよ」
「アンジェはなにを着ても似合うからね、贈り甲斐があるんだよ」
好意を惜しげもなく伝えてくる優しく麗しい婚約者に甘やかされることは、私だって嬉しくないわけではない。それでも全てを受け入れてしまえば、私はドレスで埋もれることになるだろう。
婚約して初めての誕生日に抱えきれないほどの花束を贈られて文字通り花で埋まってしまったことがあるので、レジナルド様に関しては冗談では済まない。
「早くアンジェに僕の妻になって欲しいな、そうすればずっと一緒にいられる」
「お仕事があるんですから、常に側にはいられませんよ」
「いっそ膝に乗せて仕事をしたいくらいだよ」
ダメだと今は言えるけれど、ずっと一緒に暮らすようになったら許してしまうのではないかと自分で自分が不安になる。なにせ私は、いきなり指をくわえてきた男の子と婚約することになんの抵抗もなかったのだから。
お父様から私を任せられたお兄様を振り切り、両家の話し合いの場所に突撃して「あの天使さまみたいな男の子のお嫁さんになるならいいわ!」と言い放った時からきっと私も恋に狂ってしまっているのだろう。
私達が正気に戻らない限り、心配は無用かと。