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噂によると、最近婚約破棄なんてものが流行っているらしい。
私ことアンジェリカが婚約者のレジナルド様に婚約破棄されたということはもちろんない。というかそもそもはそれなりに地位のある貴族の令嬢令息に関係ある話ではなかったのだ。
実際にしたのは子爵家や男爵家な上に家と家の婚約ではなく、ほとんど口約束みたいな婚約をしていた人たち。簡単に言ってしまうと恋人がいたにもかかわらず、学園に入学して目移りしたというようなものだ。
それなら普通に別れ話をするなり、家に話が行っているなら話し合って婚約を白紙にするなり解消するなりすればいい。
けれど、どうにも恋に盛り上がると周りが見えなくなるというのはよくある話らしい。
どうにも派手にやらかした人間がいて、それを見て他の大いに盛り上がっている人間が追従し、なんとも面倒くさいブームになってしまったそうだ。
高位貴族はもちろんそんなことできるはずもないし、そもそも子爵家や男爵家だってそんなことしたら親からどんなお咎めがあるかわかったものではないのだけれど……学生の間だからと大目に見られているのが現状だ。
大目に見られているのではなく卒業まで罰を先延ばしにされているのではないだろうか……と私なんかは思うのだけれど、当事者でもないので言う必要はない。言う機会もない。
そんな様子だったので私としては全く関係のない話題だと思っていたのだけれど、どうにも最近侯爵家同士の婚約が破棄されたなんていう噂が出てきた。
事実はどうなのかはわからないけれど……高位貴族も婚約を破棄したなんて話はどちらにしても面白おかしく広まるもので、なんとなく周囲がピリピリしているような気がする。
私の家は伯爵家だけれど婚約者は色々あって公爵家のしかも嫡男。外から見ると完全に政略かなにか大きな事情があっての婚約なので、思惑のこもったような目線を向けられることも増えてきた。
婚約の経緯としてはそれほど間違っているわけではないし、面と向かってなにか言われるわけでもないので否定もしていないから余計なのかもしれない。
まあそう言った目線を向けられるのは、私の婚約者であるレジナルド様が大変見目麗しく将来有望であるのも理由の一つだろうけれども。あわよくばと思う令嬢はこんな事態になる前からもそれなりにはいたのだ。
私が飛び抜けて美女と言えるような容姿をしていないのもそう思わせる一因なのかもしれない。端的に言ってしまえば勝てると思われているのだ。中々失礼だと思う。
「ねえアンジェリカ、本当に大丈夫?」
でもさすがに心配してくれる友人のユリアに「容姿で侮ってくる相手に負けると思う?」とは言えない。というか好戦的すぎるので他人に言えるわけがない。
なので心配をありがたく受け取って、横にそのまま流してしまう。私としては心配は無用だと言ってしまいたいけれど、納得されないだろうから受け流すしかないのだ。
政略なら愛で奪えると夢見るのは勝手だけれど、公爵家が特に非もない婚約者を捨てて愛を取りますなんて言い出したら醜聞も醜聞だ。
少なくともそんなことをしたらレジナルド様は跡継ぎではなくなるだろうことは想像できる。そんなことは考えていないから狙っているのだろう。
「レジナルド様が急に貴族であることをなにもかも放り投げたら婚約破棄も現実味があるけれど」
「でも駆け落ちとか、した人もいるらしいわよ」
「まぁ、本当に貴族であることを放り投げる人もいるのね」
生きていけるだけの手段と準備があればいいけど、恋で頭が浮かれてしまった人間は突拍子もないことをしてしまうから結果がともなっているとは思えない。
でも駆け落ちまでして出戻ったらものすごく恥ずかしくないだろうか。想像するだけで羞恥で死にそうな気分になるのだけれど、考えなしの勢いってすごい。
そしてレジナルド様がそんな考えなしなことをしたら、公爵家に話が行く前にまずひとつ下の妹であるミシェイラ様が烈火の如く怒るだろうことは想像に難くない。
麗しい公爵令嬢である未来の義妹は私とはそれなりに仲が良いのだけれど、私の婚約者であるこれまた麗しい兄に対してものすごく辛辣なのだ。
確実に兄とその浮気相手を公爵家どころか領地からも叩き出して、あらゆる伝を使って話を広めるだろうことが目に見える。
花の妖精のような見た目のミシェイラ様は、あれでいて敵とみなしたものにはとても苛烈だ。
「政略だと仲が良くないなんて言う人もいるし」
「でも馬鹿みたいに浮かれた人たちでない限り、学園内で見せつけるように触れ合ったりしないでしょう?」
「それはそうよね、睦まじくするならもっとプライベートなところでするわ」
周りの目がある状態で見せつけるように抱きしめあっている浮気者たちを見た時は流石に私も自分の目を疑ったものだけれど。そもそも婚約者同士でもそんな事をすると外聞があまりよろしくない。
密着するにしても精々が腕を組んだり、親密さをアピールするにしてもさりげなく腰を抱いたり程度でエスコートする時にしても恥ずかしくないような事しか人の目があるところでは出来ない。
もしかして他の人達が出来ない事をしているという優越感というか興奮というかでどんどんエスカレートしているんだろうか。禁断の恋なんてもので盛り上がっているんだからありえるかもしれない。
そうすると見せつけられている私達も恋のスパイスにされているのかとげんなりしてしまうので、できればただ浮かれて周りが見えなくなっているのであって欲しい。
「でも私よりも本当は不安なのはユリアじゃないの?」
「……ええ、本当はそうなの、特別仲が良いってわけでもないから」
そう言うユリアの婚約者は前に見かけた時、彼女を見るどこぞの令息相手にものすごい目で睨みつけていた気がするのだけれど……気づいてないみたい。
頭が良さそうな方だったから、心配性のユリアにいきなりわっと愛を注いだらびっくりして混乱していらないことまで考えて逃げてしまいそうだとわかっているのかも。
「私は大丈夫だし、ユリアもきっと大丈夫よ」
「それならいいんだけど……」
「きちんと理性があるのに、恋に狂う人なんて滅多にいないわ」
そう、まともに取り繕える程度には理性があるのに、恋に狂ってわけがわからないことをする人なんてそう何人もいるものではない。いてたまるかという思いもある。
だから少なくともユリアは心配いらない。婚約者はもしかしたらちょっと粘着質かもしれないけれど、彼女からしたら浮気するよりはいいだろう。
「恋に狂った人って、本当に面倒だもの」
私は、それを誰よりもよく知っている。そう続けるのはいらない心配を呼びそうだったのでやめておいた。