懐かしの我が家に帰ってきました。
一日帰って来なかっただけなのに、懐かしいと思える我が家に侍従たち…
ああ…私は帰ってきたのね!
なんて感慨深い時間は一瞬にして終わりを告げ、困惑を隠せない父と、何故か涙目の母、驚きで声を発せない状態の護衛や侍従たちに取り囲まれてしまった。
「なんという、はしたない格好をしているんだ?」
ああ…服装のことね?
「外国に転移したとは聞きましたが…まさか、そのような…花を散らす行為をしていたのですか?」
お母様?!それ、もう疑惑が疑惑じゃなく勝手に黒と決めつけてませんか?
「不思議な髪留めですね~」
「何の香油でしょうか?不思議な香りです。」
「お嬢様が傷物になろうとも、私は貴方の護衛です!」
「お嬢様は生涯お屋敷に居ても問題ないくらいの財は確保されております。」
それぞれに、自由すぎる発言を浴びせてくる侍従たち…
ああ…困ったわ。
何から話せばいいのかしら?
「お…お嬢様…ご無事で…よがっ…ふっぐ…」
「ルイコス!?」
私の足元に崩れ落ちて泣き出した専属騎士に、私は焦る。
事故の時に護衛についていた彼は、真面目な性格で責任感を拗らせ、想像以上に自分を責めて過ごしていたようだった。
「私は無事よ。大丈夫。ルイコスは今日と明日はお休みになさい。命令よ。」
私の指示に頷く護衛には部屋で休むように伝え、他の者たちに対しての返事に悩みだす。
ふぅ〜。と大きく息を吐き出して、
何か言葉を発しようとした時に、代わりに、怒りを抑えるような低い声が後ろから発せられ振り返る。
「リーネとの婚約は続行だ。花を散らすとか傷物だとか…そんな事実はない。服に関しては転移した国の物なので、風習の違いとしか説明は出来ぬ。」
シルベスターが私の代わりにみんなを黙らせてくれた。
彼の目が鈍い金色に光り、怒りが表に出ないように抑えるその様子に気付けるのは…ある程度シルベスターとの関わりが密な人間だけなのだろう。
実際、彼の怒りにドキドキしているのは、どうやら私と彼の後ろに立つユースベルタくらいのようだった。
「し、しかし!本当に良いのですか?娘は魔力も人並み以下ですし、今回はこのような騒ぎも起こしてしまいましたが。」
お父様の言い分は当然でしょう。
不可抗力とは言え、私は騒ぎの中心人物になってしまい、貴族の間では問題児扱いにならないとも言えないのだ。
「ならば、公爵よ。身を挺して私を護ったリーネを軽んじるばかりか、公爵は私などあの事故で死ねば良かったと言うのか?」
「め、め、滅相もありません!王太子殿下がご健勝であられることは、素晴らしいことです。」
意地悪な皮肉をぶちかますシルベスターに、流石のお父様もタジタジですわ。
「それに、リーネは今や魔力量が王族なみに増えている。そのお陰で、今回の転移魔法では、魔道士たちの魔力を使わずとも本人だけの魔力で戻ってこれたのだ。」
「な。なんと!それは、悪いことをした!リーネ、すまん。」
「魔力量が増えたことが原因で気配に変化があったのね!良かったわ~。」
お母様の誤解も見事に解いてみせたシルベスターだが、彼自身の体力も限界なのだろう。
笑顔に力がないように見える。
「シルベスター樣。とても疲れておられる顔をされてますわ。今日は早く休んでください。シルベスター樣に何かあったら…」
私がどんな目にあうか…考えたくもないわ。
「ああ…リーネ。きみは優しいね。屋敷まで送っておいてなんだが、今すぐ私と城で暮らさないか?きみの傍から離れるのは、怖いんだ。…また、きみが消えてしまいそうで。」
「シルベスター樣ったら。明日、15時に伺いますわ。お茶を致しましょう。」
私の頬に触れていた彼の手を握り、私は面倒臭いことは明日にしましょうと提案をする。
「きみがそう言うのなら。明日の15時に。楽しみにしているよ。」
最後まで王太子然としていた彼だが、多分今夜は深い眠りにつくことだろう。
昼過ぎまで寝過ごしてもおかしくはない。
「なんだか、お嬢様と王太子殿下…雰囲気が甘くなりました?」
「そう?ずっと変わらず大切な方よ。」
王太子の馬車を見送り、部屋に戻るとすぐに専属メイドのメイラが目を輝かせてきた。
メイラは私と年齢が近いこともあり、とても気が合う。
その様子を何度かメイド長から苦言されたと愚痴を吐いていた。
「離れてる間、心配したわ…シルベスター樣が無事で良かった。」
「そうですね。王太子殿下は、それはもう…必死でお嬢様を探しておりました。」
メイラの言葉で、ユースベルタの言葉を思い出す。
泣きじゃくる王太子…。
国王夫妻が困惑するほど泣きじゃくるって、どんな状態かしらね?
「お嬢様、こちらの衣装はいかがされますか?私、上下が分かれたドレスを初めて見ましたが…変わった衣装が流行っている国に行かれていたのですね。」
「ええ。とても…不思議な国だったわ。その服は捨てないでおいて。大切な友人の物なのよ。」
◇---シルベスター視点---◇
リーネの柔らかさに包まれた瞬間、もう死んでも良いと思った。
私がそんなことを思ったせいで、リーネが消えてしまったのかとさえ後悔したのだ。
たった一度の経験で死ぬのは勿体ないじゃないか!
私は死にたくない。
勿論、リーネクライス公爵令嬢を手放したくもないのだ。
彼女との出逢いは5歳の神殿での祈りの儀式の日だった。
私の右隣で真剣に祈る姿に、私の心は揺れた。
その後、婚約者候補としてリーネとは定期的に会える機会が設けられた。
いつも好奇心旺盛で、素直で、屈託ない笑顔を向けてくれるリーネに惹かれるのは…時間がかからなかった。
他の候補者たちが、あまりに面白みに欠けた女性たちだったから、尚更かもしれない。
当時、婚約者候補に名が挙がった者はリーネの他に二人いた。
一人はカーネリアン公爵家のジャスミン嬢。
もう一人は、スクワラン伯爵家のミューレット嬢。
リーネの父親、ローズレン公爵とカーネリアン公爵との不仲…ローズレン公爵は宰相、カーネリアン公爵は騎士隊長という立場もあるのだろうが…ことある毎にカーネリアン公爵がローズレン公爵に突っかかる様子は、城では日常化した風景なのだ。
そんなカーネリアン公爵を諦めさせるために時間がかかった。
一方、スクワラン伯爵家のミューレット嬢は、内々に隣国の王家との婚約が決まっていたので、私は箔付けに利用されたに過ぎず、関わりも淡白なものだった。
二大公爵家の戦いとなってしまった婚約者選びだったが…ジャスミン嬢に心が揺れたことは一度もなかった。
ジャスミン嬢は、自他共に認める大人しい令嬢だ。だが、私にとっては大人しいだけではなく、他力本願な印象が強い令嬢でもあった。
口を開けば「誰が言ったから」「誰がやったから」ばかりで、自分の気持ちを誰かの後ろに隠して見せないくせに、気付いてもらえないとまた誰かのせいにする…なんとも面倒な気分になる令嬢であった。
その点、リーネクライス嬢は真っ向から意見するような、あっさりした性格だった。
いつも自分で何とかしようとして、時に失敗しても素直に反省して、次に活かす努力をする女性だった。
王城の花を手折るのを真剣に意見してきた彼女がどれほど可愛かったか。
あまりの可愛さに私は上手く言葉を選べなかった。それなのに、彼女は私との婚約を喜んでくれた。
私が弱い自分を見せられるのは、リーネクライスのような女性だと…私は腑に落ちたのだ。
だから、リーネがいなくなってしまったらと思うと、私は窮屈な日常の中で自分を殺して生きていくことになってしまう。
私が私であれる場所は、リーネの隣なのだ。
本当なら毎日リーネと一緒にいたいが、公務に振り回されてしまうと、私は時間配分が上手くいかない。
そんな私をも彼女だけは、責めるのではなく私自身を労り、労ってくれるのだ。
こんなに出来た女性はいない。
会えればいつも、新しい話題で私を笑わせてくれるし、前面に出さないだけで努力し続けている王妃教育の成果を、そっと小出しにしてくる可愛らしさも、私の理想そのままなのだ。
勿論、見た目だって非の打ちようがない容姿だ。銀に近い金色のサラサラした髪からは、いつも花の香りがするし。
白く細い手は、ずっと握っていたいと思わせる。
カラッとしている割に、凛としたよく通る声は、ずっと聞いていたい。
真っ直ぐ、真実を見つめる目も…可憐に赤く染まる頬も、可愛らしい小さな唇も…誰かに取られたくないのだ。
リーネクライスという芸術作品のような彼女は、私だけが触れて良い国宝なのだと、声を大きくして言いたい。
そんな大絶賛しかない彼女の口から出た言葉に、私の頭は真っ白になった。
「私との婚約を破棄されませんの?」
するわけがない!
したくない!
やっと手に入れたのだから!
しかし、リーネはどうなんだろうか。
優しい彼女だから…流されて私との婚約を了承したとか…他に気になる相手が出来たとか…絶対ないとは言い切れないではないか。
しかし、そんな不安を彼女は払拭してくれたのだ。
なんだ…貴族たちの陰口や噂話に不安になっただけだったのか。
ならば、私が護り抜いてやるだけではないか?
私の国宝リーネクライスの表情を曇らせるなど…私以外は認めない。
彼女の帰る場所が私の隣であるように、私は国中に彼女の素晴らしさを認めさせてやればいい。
だからこそ、リーネの両親の態度には少々イライラが隠せなかった。
帰り際の上目遣いでお礼を言ってくれたリーネの笑顔で、そんな感情も霧散した。
明日もリーネに会える。
明後日も、次の日も…毎日会えるように、私は何が出来るだろうか。
私がシッカリしなければ、リーネは間違いなく、また不思議の世界に行ってきてしまう。
好奇心旺盛な彼女のことだから、そっちの世界が楽しくて、私のことなど後回しにしかねないではないか。
どうにかしなければならない。
彼女を縛り付けるのではなく、彼女自身が私の元に居たいと思えるように。