手紙を送ってみました。
ミドーグチとマユと話をしているうちに、私は眠ってしまっていたらしい。
ふと、目が覚めると見たことのない茶色い天井と貧相なシャンデリアとも呼べない四角いランプ。
床にマットを敷いただけのベッドだった。
「ああ、そっか。昨日は…」
ぼーっとする頭をフルフルと振って、パチンと両頬を叩く。
大丈夫。
生きている限り、なんとかなる。
生きている限り、シルベスターにも会える。
そういえば…この世界には魔法がないと言っていたけれど…魔法って使えるのかしら?
ふと、指先に魔力を溜めるとそっと風魔法を発動させてみる。
指先から生まれた小さな竜巻は、いつもと変わらない形で指先から離れると部屋の中を軽く揺らして消えた。
「魔法は使えるようね。」
…ん?
魔法が使えるのなら、魔道具も使えるということだろうか。
私は壁に掛けられている、昨日来ていたドレスに近づき、ドレスに取り付けられている隠しポケットの中を漁る。
確か、ここに一枚くらいはあるはずよね…
指先に触れた目当ての物を急いで引き出すと、それを開いて確認する。
「ああ…これか。」
昨日アリアの婚約者を見張っていた私の護衛から送られてきた報告書だった。
簡潔に『黒』と書かれたそれを見て、護衛の顔を思い出す。
「ルイコスが自暴自棄になる前には知らせなきゃ。」
私は部屋の片隅にある机に向かうと、そこにあったペンらしきもので記憶の中にある魔法陣を報告書の裏に書き出す。
さすがに魔道具のペンはないけど…小さいものなら送れるだろう。
本来、魔道具の紙と魔道具のペンを使って行う魔法なのだが、多少魔力を多く使うとしても仕方がない。
私のいた世界の物には、多少なりとも魔力が籠もっていると聞いている。
なんでも、作る時に作り手の魔力を必要とするからだとか。
気休め程度でも、魔力のある紙に書いた魔法陣なら効果はあるはず。
書き終えた魔法陣を側において、今度は小さな紙を探す。
それはすぐに見つかった。
なにやら食べ物みたいな絵が沢山並んだ紙の裏側が白いのだから、きっとこれも使えるはず。
その紙を5センチ四方くらいの大きさにちぎると、小さな字で文字をつづる。
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愛しのシルベスター様
私はとても不思議な世界にいますが、無事です。
ご飯も美味しいし、貧相ではあるものの屋根のある小屋で眠ることもできております。
シルベスター様はご無事でしょうか?あなたのお身体だけが、私は心配です。
リーネクライスより
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ま。こんなものでしょう。
これ以上書くスペースはないのだから、必要最低限の情報が書けただけでも良しとしましょう。
先ほど端に寄せた魔法陣を目の前に広げ、魔法陣の真ん中に手紙を置くと魔力を込める。
愛しいあの人に届くよう心を込めて、深く深く息を整えて一言呪文を呟いた瞬間、それは青い光に包まれて、ふっと消えた。
ちゃんと届くといいのだけれど。
思った以上に魔力を使ったことに疲れを感じ、バサリと倒れた先で、目を丸くしたまま固まっているマユと視線が交わった。
「…魔法?」
「ええ。手紙を送ってみたのですが…届くかどうか…。」
「凄い!本物だわ!やっぱりコスプレイヤーなんかじゃなかったのね!?」
「コス?なんですの?」
倒れたまま苦笑する私に構わず、私の手を握ってブンブン振り回すマユが、何やら叫んでいるが…
ああ…少し寝よう。
魔力不足だわ。
私はそのまま、意識を失うように目を閉じた。
どのくらい寝ていたのだろう。
目を覚ますと、なにやら外から話し声が聞こえる。
この声は…ミドーグチとマユかしら。
のろのろと寝具より這い出た私は、この世界では珍しくないらしい横に開く扉を開ける。
「あ、起きた。」
「大丈夫か?」
「ええ。よく眠れ魔力も回復しました。ありがとうございます。」
私はお礼を言いつつ、自分の恰好があまりにだらしないことに気付き、慌てて扉を閉め引き込んだ。
「え?どうしたの?」
「いえ、あまりに節操のない姿で出てしまいましたこと、申し訳ございません。」
「ああ…だったら、侍女役マユの出番ね。ほら、お兄はあっち向いてて。リーネ様入りますよ~。」
そっと開いた扉から、ささっと身軽な動きで入ってきたマユがニコリと笑った。
「お仕度を整えるお手伝いをさせていただきますね。」
そう言った彼女の手際の良さは、私の専属たちに負けず劣らずだった。
「今日はいつもより少し気温が高いとのことですので、お召し物も少し軽めにしますね。髪も思い切って纏めましょう。ああ。リーネ様は痩せてるから私の服ではブカブカですけど…ベルトで絞めれば…うん。大丈夫ですね~」
早口で意味の分からない単語が並べ立てられながら、どんどん支度が進む中、鏡がないのでどうなっているのか確認できないままに、されるがままで身を任せた。
それにしても不思議なドレスですわ。
上下が分かれたドレスなど、今まで着たことがなかったのですが…確かに着てしまえば合理的ですわよね。
ひらひらでペラペラでなんとなく恥ずかしい気もするが、そんな私に気を使っているのか、足首まで裾の長さがあるスカートに、袖もゆるやかな羽織はカーディガンと言うらしい。
この世界には腕のいい職人が多いのでしょうか。
とても繊細に細い糸が編み込まれたそれは肌触りが心地いい。
「やっぱ、リーネ様はスタイルいいわ~。モデルみたい!」
私より年上だというマユが、幼い女児のように無防備な笑顔を向けてくる。
「モデルとは何でしょう?…でも、マユが喜んでくれるのなら、私も嬉しいわ。」
私がいつもの癖で、支度を手伝ってくれる専従たちに言うように伝えると、なぜか手を握られ頬を染められてしまった。
着替えを終えて、昨日通されたリビングへ行くと、湯気に乗って私の鼻先に空腹を誘う匂いが届く。
「この世界には、美味しい物が多いですわよね。昨夜のお肉と卵のお料理も、見た目からは想像出来ない程に美味しくて…私、このままだと太ってしまいそうですわ。」
「まぁ!リーネちゃんたら嬉しいこと言うわ~!ヒサシも見習ってたまにはお礼くらい言いなさい!」
ミドーグチの母親が満面の笑みで「女の子は多少お肉がついてるくらいの方が可愛げがあるのよ。」と言って、私のお皿に炒めたばかりのソーセージを3本入れてくれた。
そんな私の前に座るミドーグチがニヤリと笑ったかと思うと、
「母さん、いつもありがとうございます。…でリーネ、それ食ったらちょっと付き合って貰いたいのだが…いいか?」
母親に対して心の籠もっていない感謝を述べたミドーグチの瞳が何故か真剣だったので、私は頷くしかないと思った。
ミドーグチの母親は何やら小言が止まらなくなっているが、慣れた様子でマユがそんな彼女を慰めている。
昨日とは違って、ナイフとフォークが用意されているものの、ご飯と呼ばれる白い麦のような物がこんもりとよそられた湯呑のようなお皿には慣れずにいる。
フォークで掬うとホクホクのそれは、口の中に甘さを含んだ美味しさを充満させる。
取っ手のないスープカップを緑のお湯を飲むときのように、そっと上の方を持ってゆっくり口に含めば、不思議な匂いと味が上書きするかのように、口の中に広がっていく。
「美味しいわ…」
思わず溢れた呟きを聞いたミドーグチが、ふわりと笑った。
「それが生きているってことだろ?」
「…そうね。私は生きてるのよね。」
不思議と、私の心が温かくなる。
「ところで、きみが魔法を使ったとマユが言っていたのだが…」
明らかにミドーグチはマユを信用していないといった口調だ。
私はナイフとフォークで一口大に切り分けた卵を口に含むと、今朝マユが見ていた手紙を送った時の様子を思い出す。
…そろそろ、お返事が届く頃かしら?
シルベスターは私からの手紙の返事にあまり時間を置かない。彼が言うには、「早く返事をしなければ、きみは私への手紙の内容も…下手すれば送ったことすらも忘れてしまいそうだから。」との理由だ。
私の手紙が無事彼の元に届いているのであれば…彼は読んですぐに私に返事をくれるはずだ。
多少、返事に悩む時間は掛かるのだが…。
「ええ。シルベスター様に私の無事をお伝えしたくて、魔法陣を使いましたわ。」
それが何か?とミドーグチを見れば、彼は口を半開きのまま目を見開いてこちらを見つめてきた。
何をそんなに驚いているのかしら?
まぁ…そのくらい表情が変わった方が平たい顔も、多少凹凸が生まれそうですけど。
「手紙?魔法陣?」
「ええ…。魔法陣を使えば手紙を送れますでしょう?それで…あら、丁度お返事が届いたようですわ。」
魔法陣を使って送られてくる手紙が届く時、受け取り側の指先にピリピリした感覚が生まれる。
私がフォークを一旦置いて、手の平を上に向けて指先に集中すれば、フワリと手の平に小さな紙が落ちてきた。
私が送った紙と同じくらいの大きさのそれを、私は確認する。
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愛しい私のリーナへ
馬車が横転して気がついたとき、きみは薔薇の香りを残して消えていて、気が気ではなかった。
ああ…きみが無事で良かった。私はきみのお陰で怪我一つしていないよ。早くきみに会いたい。シルベスター
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自然と頬が緩むのが分かる。
愛しいシルベスターの字は見慣れている。
間違いなく、これはシルベスターの筆跡だ。
そして、シルベスターの言葉だ。
「良かったわ…無事でしたのね。」
「ま…魔法か?それが魔法なのか?」
ほっとしている私の横でミドーグチと母親が驚いた表情のまま固まっている。
「ええ。一般的な手紙を送り合う魔法ですわね?」
「魔法が一般的…て。…え?マジで本物ってそういうこと?」
ミドーグチが何を言っているのか理解が出来ない。
でも、そんなことも気にならないほどに、私はシルベスターからの小さな手紙で胸がいっぱいだった。
「不思議ね…先程までも美味しかったお料理が、一段と美味しく感じるわ。」
ニコニコと食事を摂る私に、ミドーグチは何かを言いかけ、止めたようだった。