感情と思考の狭間
王城のラウンジで、王妃様とお茶を飲んでいた。
「リーネは、不思議な魔法を使うそうね?先日の神殿では、逃げ出そうとした神官たちが壁や窓にくっついていた上に、真っ白な粉まみれだったそうじゃない?」
私は、大福のモチモチをイメージした逃走防止の魔法を思い出して、「ああ…」と声が漏れた。
「あれは、まだまだ試行が必要です。まさか真っ白になってしまうなんて…その後の神殿のお掃除に手間を取らせてしまいました。」
落ち込みながら答えた私に、王妃様は「あらまぁ。」と目を丸くされていた。
「そういえば、王妃教育が終わったのですって?」
「はい!その時間を使って、魔法の研究を」
「任命式がありますわよ。」
「え?」
「神殿長、引き受けたのでしょう?」
「…はい。」
名前だけで良いって言うから…
「それを見越して王妃教育を終わらせるなんて、流石だって教育係が言っていましたわ。」
あ…これは、名前だけ神殿長になるなんて言い出せない流れかしら?
「…恐縮…です。」
…名前だけの神殿長では済まない感じかしら?
「王妃教育が終わり、自ら神殿長に就任するほど慈善活動にも積極的なんだもの、いつでも婚姻式が出来ますわね。」
え?
婚姻式って結婚ってことよね。
は?
まだ、早くない?
「い…いえ、神殿長の職務を覚えなきゃいけませんし、城下の料理店経営もまだまだ勉強中ですので、まだ時間が必要かと!」
私の必死の訴えに、王妃様は少しの間思案したかと思うと
「来年ね。来年には落ち着いてますでしょう?それまでに次代の神殿長の候補者たちも決まっていますでしょうから。」
1年…。
猶予が1年…。
「結婚くらいしちゃえばいいじゃん?」
マユがパプコとかいう冷たいアイスを器用に半分に切って、私に手渡す。
「ええ…?」
蓋の部分が上手に開けられず苦戦する私を見兼ねたようで、自分の分は口に咥えたまま無言で取り上げ早業かと思う勢いで開けると「軽く握らないと溢すからね。」と言って、再度手渡してくれた。
「シルベスター様のこと、好きなんでしょう?」
「はい。好きですわ。」
「いつかは結婚したいんでしょう?」
「はい。結婚するならシルベスター様がいいです。」
「じゃあ、すればいいじゃん。結婚。」
「ええ?」
マユの言っていることは至極当然なことだ。
いつかは…と思っているなら来年だって、そのいつかじゃないか?
分かってるんだけど…
「感情が思考に追い付かない?」
「…そんな感じですわ。」
私がコクリと頷いたのを、マユは「まだ18だもんね〜」と考え込むように唸る。
パプコの冷たさが、少しだけ暴れていた感情を落ち着かせる思いがした。
◇---シルベスター視点---◇
リーネが悩んでいる。
母上が結婚を焦らせるようなことを言ったことは、キースから聞いた。
執務机に向かい、書類の山を片づけ…ふと、疑問点を見つける度に「ユースベルタ…あ、いないんだったか。」
と繰り返す自分も、まだ結婚には気持ちが向けないと実感していた。
リーネも何年間も信頼してきた…時には涙ながらに悩みを打ち明けてきた教皇が、全ての元凶だったことには…少なからずのショックはあったはずだ。
悩みを聞いていたのが私ではなかったことは悔しいが…こればかりは仕方ないというのも分かっている。
分かっているが…
「感情とはままならぬ!…キース、出掛けよう。」
「は?執務は?」
「落ち着いて出来ない時にやったところで、大して結果は変わるまい。」
「…まぁ、それもそうですね。」
キースも仲間を失った悲しみは同じだ。
先ほどから同じ書類をずっと計算し続けているのを、私も気付いていた。
キースと数人の護衛を引き連れ、やってきたのは王都から1時間ほど南下した小さな村の、小さな保養所だった。
「ユースベルタに?」
「彼は、我々のことを忘れている可能性もあるけどな…我々にとっては仲間だったことは変わらない事実だからな。」
私の言葉に、キースは何度も頷くと
「兄弟以上に長い時間を共に過ごした気がします。」
少しだけ涙目で、真っ直ぐ保養所の白い建物を見つめていた。
あの日、沢山の記憶を一気に消されたユースベルタは半狂乱になった後、パタリと倒れた。
記憶の大半を失う魔道具を使用した副作用のようなものだと、騎士団長が苦々しい表情で言い捨てたのを覚えている。
ユースベルタの母親はすでにこの世にはいない。
数年前、ユースベルタが王城で職を得た際に、首をつったと聞いている。
父上の家臣に聞いた話では、ユースベルタに依存心の強い母親だったため、一人息子が自分から離れることに耐えられなかったのだろうとのことだった。
深層は闇の中だ。
ユースベルタはそんな渾沌とした感情を隠し、私に仕えてくれていたのだから…父親がもう少し情のある人間だったなら…何か違っていたのかもしれない。
それも、今さらの話だ。
結局、私は彼の主でありながら、彼の苦しみを、リーネから指摘されるまで気付かなかったのだから。
気付くタイミングは沢山あった。
そう、沢山あったのに…今さらだ。
保養所の所長に挨拶をすれば、ユースベルタの様子が見える場所に案内された。
木陰のベンチで本を読む彼は、どことなくあどけない少年に見える。
「彼が魔法を覚えた年齢まで遡って記憶を失くしたので、彼の精神年齢は3歳くらいかと思われます。毎日ああして絵本を読んでは、時々誰かを待つように顔を上げ、また絵本を読み始めます。何度も何度も。同じ絵本ばかり。」
「そうか…。ちなみに、何ていう絵本なんだ?」
「王太子の冒険です。」
所長は切ない視線をユースベルタに向けると、「ああして、毎日母親を待っていたのですかね?」と呟いた。
「ああ。…彼はずっと、寂しいと弱音を吐ける場所がなかったんだ。」
「…そうですか。では、せっかくやり直しの機会を得た彼の弱音を、私たちは受け止められる存在になりたいです。」
やり直しの機会か…。
そうであって欲しい。
「元来、負けず嫌いで努力家な奴だから、きっと大丈夫だ。」
私は自分に言い聞かせるように答え、隣に立つキースを見る。
「ユースベルタがいつ帰ってきても、受け入れられるように…我々のやるべきことが見えてきたな。」
と言えば、
「可愛い後輩を育てる日を、のんびり待ちましょうか。」
と笑ってくれた。




