シルベスターの憂鬱
リーネの部屋から戻った私は、さも、ずっとそこにいたかのように、バルコニーから執務室に入った。
夕刻より私に会いたいと粘っていたカーネリアン公爵が、やっと現れた王太子を見て不気味な笑顔を作る。
ここ数日の間、私は素直な表情をする者たちに会いすぎたせいだろうか…貴族特有の裏のある笑顔を見ると、吐き気を覚える。
貴族の礼儀に沿うように、全く心の無いどころか、皮肉が込められているかのような礼を取ろうとするカーネリアン公爵を制し、「構わない。」と一言呟けば、彼は当たり前だとでも言わんばかりに鼻を鳴らした。
私の傍に立つユースベルタから殺気を感じつつ、私は何事もないかのように彼の前のソファに腰を下ろし「伺おうか?」と発するだけだ。
カーネリアン公爵がこの部屋を訪れるのは、さして珍しくはなかった。
3日に1度、酷い時には毎日のように訪れては、大して面白みのない話をして帰る。
リーネとの婚約は破棄すべきだ。
ジャスミン嬢ほどの出来た娘はいない。
自分の仕事の成果は凄いから褒めろ。
ローズレン公爵の仕事はミスばかりだ。
概ね、そんな話を永遠としていくのだった。
国王である父上にも、勿論しているのだろうが、父上のことだ「本人に言え」と突っぱねている可能性もある。
今日も地獄のような無駄な時間が流れるのかと、内心溜め息が漏れかけた時、私の耳を疑う発言が聞こえた。
「ローズレン公爵令嬢は魔力量が増えたと同時に、別世界に転移する魔法を得たようですが…それは危険極まりない力かと存じます。」
私は手元の書類を読んでいるフリをしながら聞いていたが、はて、リーネの情報をどこから手に入れたのかと怪しく思い、書類にサインをするフリをしながらユースベルタに『裏を調査せよ』の司令を出す。
書類を受け取ったユースベルタは、書類を届けるフリをしながら退室していくのを、目の前のカーネリアン公爵は気にも留めない様子で、私をジッと睨んでいた。
「ほう…リーネクライスの魔法が特異性を持っていそうだという情報は私も知っていたが…そうか。別世界への転移が特異性の正体であったなら…私も…ということになるな。」
「な!馬鹿な!」
「何を狼狽える?実は私も魔道士に頼んでリーネとお揃いの魔法陣を手に入れたんだ。ただ…魔力を大量に使う代物でね。普通は一回使ったら使い物にならない。リーネも三回が限界だと言っていた。私も、そう思うよ。」
「王太子殿下も行かれたのですか?」
「ああ…美味しい料理が沢山ある、不思議な世界だった。この世界にはない魔道具もあったよ。ただ…魔法のない世界だと言っていたな。」
「それでは…」
「リーネの魔法の特異性は別世界への転移ではないだろうね。あれは魔法陣と大量の魔力量の為せる技であり、リーネだからではないんだよ。現に私も行ったしね。…ああ、証拠を見る?」
私は後ろに控える執務長に「私の宝を見せてあげて」と言うと、執務長は溜め息と一緒に一枚の紙をカーネリアンに手渡した。
「キース。溜め息はないんじゃない?」
「結局、殿下の自慢&惚気話じゃないですか?」
「だって、仕方ないだろう?リーネがこんなに可愛らしく笑った絵…いや、写真というらしいんだが…リーネのこの瞬間を切り取ったまさにミラクルな代物じゃないか?」
手渡された紙を見た瞬間、カーネリアン公爵が青褪める様子が見て取れた。
そのまま持たせておいたら破かれそうだ。
私はすっと、手を伸ばしてカーネリアン公爵から宝を奪い取ると、彼の指紋を拭き取るように指で伸ばしながら目に映るリーネの笑顔に顔が綻ぶのだった。
「そこに写っているのが別世界だと?」
「ああ、そうだよ。信じないなら信じないで、構わないけど。この世界中どこを探しても、この場所は見つからないよ?試してみたら。」
私の挑発的な笑みに、一瞬ピクリとしたのが見えたが、流石、公爵とでも言うべきだろうか…すぐにまた気持ち悪い笑顔に戻った。
ふーん…。
じゃあ、今度はこちらから仕掛けてみようか?
リーネの魔法が効いているなら、事故のことを知っているのは私とリーネ、それから犯人たちだけだと言っていた。
つまり、事故のことを覚えていたら、コイツも関わっていたことになる。
「ところで、カーネリアン公爵はリーネクライスが魔力量を爆上げしたキッカケって、何だと思う?」
「は?そんなこと、知っていたら私の娘にすぐ試しますよ!」
「…確かに、そうだよね~。」
チッ。白か。
私は、まるで書類を届けて、いかにも新しい書類を持って戻ってきたかのようなユースベルタに目をやると
「ああ…また、仕事が来たようです。申し訳ないが…」
カーネリアン公爵を退席させる口実にした。
まぁ…公爵自身、ガセネタを掴ませた相手の所にすぐにでも怒鳴り込みたいのだろうけど…。
残念、そうはさせないんだな。
「あ、そうそう。城下の神殿長…ネルミットと言ったか?神殿の経費横領で捕まえたよ。」
「…そうですか。…なぜ、私にそんな情報を?」
「いや、お布施をちょこまかしていたらしいからさ。公爵も被害に合ってなかったかなと心配になってね。」
私が敢えて真剣な表情を作れば、彼は首を横に振って答えた。
「いえ、我が家は祈りの儀式以来、一度も神殿には行っていません。」
「…そうか。それは…幸いだったね。」
ほう、見え見えな嘘を吐く程度にはタヌキを揺さぶれたようだ。
何となくだが、溜飲が下がる思いがした。
「ああ、くだらない話で引き止めて申し訳なかった。私は執務がある故、また今度にしよう。」
「はい。…本日は私どもに時間を取って下さり、ありがとうございました。」
公爵が退室したのを見送り、先ほどの発言を撮ったかと執務長キースに確認すれば、彼は親指を立て満面の笑みで答えた。
キースはカーネリアン公爵が大嫌いだったね。
ユースベルタから手渡された書類には一言
『神殿長拘束完了』の文字。
神に仕えし神殿長様も、金に目が眩むとは…なんともお粗末なご時世だ。
ああ…こんなことを言ったらリーネに叱られてしまうな。
『だったら、理想の国に近づける努力をすることが王族の使命でしょう?嘆くくらいなら叫びなさい!』
以前、弱音を吐いた私にリーネが浴びせた台詞だ。
彼女は眩しいほどに真っ直ぐだ。
だから、目が離せない。
私の顔がニヤけていると、ユースベルタが苦言する。
「失礼な奴め。婚約者を思い出してニヤけて、何が悪い?」
「ただ、気持ち悪いだけです。」
「…!!…失礼な奴め。」
「神殿長…いや、元神殿長は何処にいる?私の読みが正しければ、彼は別の事件にも絡んでいるんだよね?」
「別の?ですか。」
ああ…ユースベルタたちからは馬車の事故のことは記憶にないんだっけね。
「うーん。まだ表に出ていない事件とでも言っとくよ。」
「なるほど…。ネルミットなら、王城地下の牢にいますよ。」
「それにしても、早かったね。流石と言うべきかな?」
「すぐに神殿が怪しいことは予測がつきましたから。いざ侵入してみれば、彼は枕…なのでしょうか?なんとも気持ち悪い柄の綿袋を抱えて眠っていました。眠らせたまま拘束して牢に繋いだので、きっとまだ夢の中にいますよ。」
「気持ち悪い柄?」
「ええ…女性の下半身を模したような…」
「ああ、うん、もういい。」
確かに気持ち悪いな。
タヌキにタヌキの下僕か。
どちらも反吐が出る思いだ。
そういえば、リーネは何度も神殿に通っていたよな…。
まさか、お布施を横領するばかりではなく盗撮とか気持ち悪い妄想とかされていたのではないのか?
「ネルミットを殺していいか?」
「…調書をとってからなら。」
ユースベルタと気が合うのは久しぶりだ。
私たちは互いに頷きあった。