肉じゃがの研究をいたします。
王太子殿下の訪問の後も、何度となくミドーグチ宅へ転移した私は、やっとの思いで『肉じゃがのレシピ』を手に入れた。
レシピ自体はミドーグチの母親が持っていた書籍と呼ぶには絵ばかりの中にあったのだが、食材の名前がそもそも私の世界とは違うものも有るようで、それらの解明に時間を要してしまった。
まさか、ミドーグチの世界では魔獣を飼い、増やして殺して肉にする仕事があるなんて…神の世界ではなかったのですね。
残酷すぎますわ…。
その他にも屋敷の料理人たちに聞きながら、ミドーグチの世界では当たり前にある調理器具などを作っていたのです。
テーブルの上にコンロを置けるように、持ち運びできるコンロを、今城下の魔道具店に発注していますのよ。
上手くいけば、私の名前で売り出して、売上金で次の魔道具を作るつもりですわ。
屋敷の厨房に毎日のように通う私の姿は、両親の耳にも届いたようで、お母様が厨房に向かう私を呼び止めた。
「リーネ。毎日、厨房に通って一体何をなさっているの?」
「あら、お母様。ごきげんよう。厨房ですから、お料理の相談ですわ。それじゃあ、急ぎますので。」
嘘はついていない。
そして、私はまだお母様から謝罪を受けていないのだ。
だから、必要最低限の回答で止めておく。
相手を傷つけたなら謝るのは礼儀だ。
そう、幼かった私に教えて下さったのはお母様だもの。
お母様にも礼儀は守って頂きたいわ。
ジャガイモ、人参、玉ねぎ、糸こんにゃく…
こんにゃくが分からないのよね。
ミドーグチの母親が言うには、こんにゃく芋なるものを加工して作られるらしいんだけど…こんにゃく芋?
とりあえず、糸こんにゃくはない状態の肉じゃが作りですわ。
お醤油やみりんという調味料がこっちの世界にはないために、少しずつミドーグチ宅から分けて貰った物を、料理人たちと思案する日々。
ある時、カルーが「もしかしたら…みりんに似ている物を知っているかもしれない」と言った為、ダメもと覚悟で取り寄せて貰う依頼をしたのだ。
それが今日届くはずなのよね。
「ライデン!例の物は届きましたか?」
「お嬢様、ちょうど先ほど。ほら。」
ライデンがウキウキした表情で木箱を開けている。
木箱の中には黄金に輝く液体が入った便が3本。
なんでも貴重品のため、一度に購入出来る数が限定されているのだとか。
瓶の蓋を開け、小皿に少量移した液体をそっと舐めてみる。
「あ…みりんだわ。」
ミドーグチ宅で何度となく味見を繰り返した私は、みりんの味をシッカリと覚えていた。
「実はこれ、私の実家のある領土の隣…隣国ガネット国で作られている物で。歴史は古いのですが、ミニリウムという種を潰して燻して煮出して…と手間暇が掛かるため大量生産が出来ず、高額なものでした。」
カルーが申し訳なさそうに報告するのを聞いて、私は原材料の違いという盲点に気付かされ、カルーの両手を握る。
「カルー!お手柄だわ!そうよ。原材料が違うかもしれないなんて…なぜ、私は気付かなかったのかしら。世界中を探せば見つかるのよね?お醤油もこんにゃくも!」
この時の私は、みりんの原材料がお米という…いわば種だということを、知らなかった。
肉じゃがに王手がかかったその日の夕飯時。
お父様が私に言った。
「リーネが最近、お母様に対して冷たい態度を取っているらしいじゃないか?」
私は口に運ぼうとしていたお肉を一旦置いて、口元をナプキンで拭うと姿勢を正して答える。
「私はお母様から謝罪の言葉を受けておりません。知らない世界から戻った私に最初に掛けて下さったお言葉をお忘れですか?」
「そ…それは、旦那様が代表して謝罪したじゃない?」
明らかに狼狽える様子のお母様に、私は視線を真っ直ぐに向ける。
「お父様からは頂きましたが、お母様からは頂いておりません。やっと帰ってきた我が家で、実の母親から花を散らしたと決め付けられた娘の気持ちを、少しでも汲んで下さるのなら、謝罪するのは礼儀なのでしょう?私はそう、お母様から教えて頂きましたけれど。」
ちょっとプライドの高いお母様には、お父様や侍従たちがいるここでの謝罪は…ハードルが高いかしらね?
「私はいつでも、お待ちしておりますわ。」
言う事は言ったとばかりに、また食事を始めた私に、小さく震える声が聴こえた気がして顔を上げる。
お母様が今にも泣き出しそうな表情で
「リーネ…ごめんなさい。」
そう言って下さったから、私は笑顔を向けた。
何故か、頬には温かいものが流れ落ちた。
ナプキンで涙を拭った私に、お父様はずっと気になっていたらしい質問を投げかけてきた。
「ところで…リーネは毎日、厨房で何をしているんだい?」
私は、今は隣国の大国オクステリア国に留学中の兄の席を見つめ、答える。
「新しい物好きな兄の為に、新しい料理を料理人たちと発明中です。」
毎年星祭りの季節に帰ってくる兄の為だと伝えれば、両親も納得したかのように頬を緩ませた。
「お前たち兄妹は昔から仲が良かったからね。」
「ええ。私の自慢のお兄様ですから。」
私には4歳離れた兄がいる。
2年前からオクステリア国に留学しているが、年に数回帰ってくる兄の話を聞くのは、私の楽しみでもある。
兄、クリスティンは私以上に好奇心旺盛な人物で、新しい物が大好きで、小さい頃から魔力量も多かった彼を、王家は家臣にしたいようだったが、兄はまだ縛られたくないと留学を決めた。
そんな兄が帰って来るのは来月。
間に合うかしら?
間に合わせたいわ。
ミドーグチは少しだけ、兄に似ている。
兄の方が綺麗だし、優しさもスマートなのですが…他人の小さな機微に敏感な所が似ている。
妹がいる兄とは、そうなるのでしょうか?
ミドーグチを見る度にクリスティン兄様に会いたくなるのは事実。
でも、私はいつまでも子供ではありませんから、寂しいなんて言いません。
新しい料理を作って待ってるくらいの、出来た妹になってやるのです。
そうしたら、きっと兄は私を褒めてくれますもの。
食事を終え、部屋に戻った私にメイラが笑顔を向けてきた。
「なあに?」
「いいえ。私はリーネお嬢様が好きだなーって思っただけですよ?」
「…!私もメイラが好きよ?」
私たちはフフフと笑い合うと、湯浴みをして寝間着に着替えを済ます。
「今日もお勉強をなさるのですか?」
「ええ。この国以外の食材について、調べたいことができたの。」
「あまり、無理はなさりませんよう。何かあれは呼び鈴を鳴らして下さいね。」
メイラが部屋を出ていったのを確認し、私はシルベスター様に手紙を書く。
以前は魔力量が少なかった為に魔法陣と手紙と両方を用意しなければならなかったのだが、今は魔力量が豊富なため、手紙に魔法陣を簡単に書いただけで届いてしまう。
魔法って不思議よね。
今さらながらに自分たちの世界について考えさせられてしまい、マユの影響かしらと笑いが漏れた。
ふと視線を上に上げた所にシルベスターの顔があって驚く。
「シルベスター様?!」
「シッ!」
シルベスター様が私の口元に指を当てると
ニコリと笑った。
「実はまだ公務の途中なんだけどね…リーネに会いたくて、来ちゃった。」
来ちゃった。って…。
王太子であるシルベスター様の仕事量は少なくないことは、王妃教育で知っているけれど…こうも毎日のようにここに現れるのもいかがなものかしら?
私はシルベスター様をソファに促すと
「今日も何かございましたの?」
そっと、彼の横に腰を下ろす。
「実はね…口外法度にしていた私たちの馬車の事故の犯人が見つかったんだけど…。」
「なんだか、面倒臭い方だったのかしら?」
「実行犯は小さな領土の男爵家の者だったんだけど…指示を出した人物がね~。」
ここまで口籠るということは、かなり厄介な相手のようですわね。
「シルベスター王太子殿下はどうしますの?」
「…実刑だろうね。王家の馬車を意図せずとも狙ったわけだし…良くて国外追放。」
まぁ…妥当でしょう。
本来なら、理由を聞かずとも打ち首になりかねないのですから。
しかし、彼は何か理由を抱えているみたいに悩んでいらっしゃいますわね。
「シルベスター様個人としては、どうしたいですか?」
「…!」
「あら。私は貴方の婚約者ですもの。貴方の苦しみくらいは背負う覚悟はありましてよ?」
「リーネ…。きみは本当に…。」
私は犯人を知っています。
マユのゲームで、実は犯人を予想させて頂きましたの。
でも、シルベスター様には言いませんわ。
私が知らない方が幸せだと彼は思ってらっしゃるのだから、私はそのように致しましょう。
今回だけは…ですけれどね。
「私は今一度だけ、反省のチャンスを与えたい。」
苦しそうに呟く彼を、本当に優しい人だと私は思ってしまう。
「ならば、事故自体をなかったことにすれば宜しいのですわ。」
「そんなこと…。…!まさか。」
「どうやら、私は人の記憶をちょっとだけ操る魔法が使えますの。操ると言っても、忘れさせるか、思い出させるかだけですけど。」
「…なんてことだ。」
「実は両親にも内緒です。この力は人を不幸にするためには使いたくありませんもの。だから、知っているのはミドーグチ一家とシルベスター様だけです。」
つまり、私を私利私欲の為に利用しないと信じられる人にしか教えていないのです。
「今回の事故に関わった者たちから事故の記憶を消しましょう。代わりに、犯人に反省の色が見えないようなら、犯人に繋がるヒントを含めた記憶を戻します。」
それで宜しいかしら?
と尋ねれば、涙目で私を見つめる彼と目が合った。
「ありがとう。リーネは私の女神だよ。」
「私は悪役令嬢ですわよ?ですから、私に不利益になるようでしたら、簡単に記憶を戻しますわ。」
「ああ。それでいい。私もリーネには笑っていて欲しいからね。」
シルベスター様が「そろそろタイムリミットか」と呟いたかと思うと、私の手に唇を落とし、髪を撫でてから帰ってしまった。
「本当にお忙しい方ですこと。」
私はふう〜と息を吐くと、馬車の事故があったあの瞬間を忘れる魔法を発動した。