王太子のお宅訪問ですわ。
ミドーグチの母親が作る料理は、なんとも不思議な美味しさなの。
うちの屋敷の料理人たちも、勿論、王城の料理人たちも、とても美味しい料理を作ってくれるわ。
でも、ミドーグチがいる世界の味は根本が違うのよ。
お腹いっぱいになっても、食べたくなる味。
そんな話をシルベスター様にしたのがいけなかったのかしら?
見るからに不貞腐れた表情をした彼の口から「転移禁止」が出なかった事には感謝するのですが、まさか…ここまで追いかけてくるなんて。
「貴様がミドーグチか?」
シルベスターが登場しての第一声は、ミドーグチを指差しての威圧だった。
「いや、この家にいるのは皆、御堂口ですよ。御堂口は苗字、ファミリーネームですから。」
シルベスターの威圧など全く気にもかけない様子でミドーグチが答える。
「なに?」
流石に気を張っていたらしいシルベスターの気持ちも削がれたようだ。
「シルベスター王太子殿下で言う、スカイフォルですね。」
マユが分かりやすく説明をしてくれ、私も内心『そうだったのか!』と驚いていた。
「なんだって?」
私の扱いで、慣れているとはいえ、ミドーグチ一家はシルベスター王太子殿下に対しても、全く緊張されていないようですわ。
「シル君ていったか?うちのが数年ぶりにすき焼きを作ったんだ。食ってやってくれないか?」
笑顔のミドーグチの父親がシルベスターを席に着くよう促した。
「数年ぶりなんて、あなたの稼ぎが悪いからでしょう?恥ずかしい話を私のせいにしないでちょうだい!さあ、シル君もどうぞ。」
いつの間にか席を追われたらしいミドーグチが自分のご飯を手に持ちリビングへと移動していた。
「え?…シル君?」
ああ…さすがにシルベスター様も戸惑いますわよね?
見た目には貧相この上ない者たちが、上級貴族である私たちに馴れ馴れしい態度を取るのですもの。
でも、ここは私たちの住む世界ではないのですわ。
ここでは、私たちは余所者なのです。
「リーネが食べたいと言っていたやつか?」
「いいえ。それは、まだ食べれていませんが。すき焼きもとても美味しいですわよ。」
「きみはもう食べたのかい?」
「はい、シルベスター様が来る前から頂いておりますわ。」
シルベスター様が困惑しながらもミドーグチの座っていた席に腰掛ける。
「不思議な食器ばかりだ。」
「お料理も不思議なんですよ。」
「ふむ。」
マユに薦められ、シルベスター様の隣の席に着席し、彼を見つめる。
居間と呼ばれているテレビ?のある続き間からこちらを眺めているミドーグチとマユに、私は小さくお礼を告げた。
「美味いな!」
「でしょう?」
「なぜ、卵を生でと思ったが、確かに美味い。」
「この世界の卵は新鮮なんだそうです。新鮮だと生でも美味しいのだとか。」
「ほう…。」
元々、素直な性格をしているシルベスター様だけあり、あっという間に料理に釘付けですわ。
「シル君、リーネちゃん、これも食べてみて!私が漬けたのよ。」
ミドーグチの母親が小さい器に入った、根菜を薦めてくる。
私とシルベスター様はフォークで一切れ取ると、口の中に入れる。
ぽりぽりと噛みごたえがあり、塩辛いような…そうでもないような…。
何だろう、根菜が何か纏ったみたいな味です。
「不思議だが…悪くない。」
「ええ。根菜だと分かるのですが、全く違っているみたい。」
「お漬物って言うのよ。手間暇かけてぬか床で漬け込むと、こうして美味しくなるの。まるで夫婦みたいでしょう?」
ウフフと笑うミドーグチの母親が可愛らしい。
手間暇かけて漬け込む…夫婦みたい…。
やだ、そういうこと?
私が言葉の意味に気付いて顔を赤らめるのを、シルベスター様が嬉しそうに見つめてくる。
「ここは…リーネを大事にしてくれる者が住まう場所のようだね。」
「はい。この世界に困惑する私を助けて下さった方々なのです。」
「そうか。」
シルベスターの細く長い手が私の頭を優しく撫でる。
「先ほどは無礼を申し訳なかった。どうやら、リーネはここの世界が気に入っているようなので、これからもリーネを宜しく頼む。ただ…」
突然頭を下げたシルベスター様に、みんなキョトンとされていますが、構わず続けるシルベスター様は、居間にいるミドーグチを見つめ、一旦途切れた言葉をはっきり告げた。
「リーネクライスは私の婚約者だ。良からぬ虫が付かぬよう、そなたに護衛を任せたい。」
「はあ!?俺!?」
「見るにそなたがここでは一番武力がありそうだからね。」
「確かに。」
シルベスター様の発言に天を仰ぐ仕草をするミドーグチと、納得するマユを見て、私は笑いが込み上げる。
「シルベスター様以上の殿方なんていませんわよ。」
「リーネクライス以上の令嬢もだよ。」
シルベスター様の金色の瞳がキラキラと輝いて見えます。
ああ、なんて素敵な方でしょう。
私の思いを最大限に考慮して下さるなんて、私には勿体ないくらいですわ。
「お前ら、いちゃつくなら帰れよ。」
ミドーグチの溜め息に我に返った私は、恥ずかしさのあまりシルベスター様の手を取った。
「そ…そうですわね!帰りましょう。シルベスター様。」
「ああ。では、世話になった。料理美味かった。」
「また、いつでもいらっしゃい。」
「美男美女ならいつでも大歓迎だよ。」
ミドーグチの両親に手を振り、私たちは帰宅のための魔法陣が描かれた皮紙に魔力を込めた。
あら…このままだと、シルベスター様も我が家に着いてしまうわね。
そう思い至った時には、見慣れた私の部屋に到着していて、シルベスター様は興味深げにキョロキョロしている。
「ここがきみの部屋か。うん、リーネの匂いがする。可愛らしい部屋だね。」
「は…恥ずかしいですから、あまりジロジロ見ないで下さいませ。」
「なぜ?この部屋を参考に、王城のきみの部屋を作らせるのに。」
「…もう、なんて答えていいのか困ります。」
恥じらう私を軽く抱き寄せたシルベスター様が、私の耳元で囁いて離れた瞬間、王城に帰る魔法陣に魔力を込めたのが分かった。
「また明日来る。」
シルベスター様が消えた途端、私はペタリと、床に座り込んだ。
床の冷たさが、私の火照った思考を静めるような心地がした。