御堂口の困惑
リーネの前にマユがハンバーグランチセットを持ってきた。
俺にはステーキランチセット、ライス大盛りだ。
「いただきます」
勢いよく食べ始めた俺の隣で、何やら祈り出したリーネを、マユがうっとりとした表情で見つめている。
傍から見て、ヤバイ女だ。
それが俺の妹だなんて…世の中は残酷すぎる。
しかし、そんなマユに今回ばかりは助けられた。
まさかリーネが、彼女の愛好するゲームの登場人物だなんて…俺の頭もおかしくなったのだろうか?
最近、やたらめったら課長の雑用を押し付けられていたからな…ストレスがないとは言い切れない。
リーネの精神状態を疑っていたが、まず疑うべきは自分自身かもしれないな。
大きめにカットした肉を口に放り込む。
何度か咀嚼していると
「は?!」
「あ、帰るのね?」
眩く光に包まれたリーネの姿が一瞬にして消えたのだ。
なぜだ?
なぜ、妹は当たり前な顔で飯を食べだした?
周りの人間たちだって訝しむだろう?
…って、あれ?
周囲を見渡せば、何事もなかったように日常を取り戻しているようだった。
「なんで?」
「リーネクライスの魔法よ。」
「魔法…。」
リーネ…せめてハンバーグランチセットくらいは食ってから帰ってくれ。
これだって俺の給料に計算すれば時給分くらいの値段が…
「じゃあ、服は!?今日買った服は無駄だったのか?」
「兄貴うるさい!また来るわよ。彼女、ゲームで見てるより好奇心旺盛で行動的だったじゃん?どんな手を使っても、また来るわ。」
「お…おう、そうか。」
確かにリーネという悪役令嬢?は、子供のようにキラキラした目で興味の赴くまま行動する女性だ。
妹が「また来る」と言うのも、納得する。
リーネが残していったハンバーグランチセットを妹と二人で食べて、満腹で眠くなりながら家に帰れば、母親が珍しくすき焼きを作っていた。
「リーネなら帰ったよ」
「…え?ええっ!?」
やっぱりだ。
昨日から料理を褒められまくった母親は、リーネを驚かせたい一心ですき焼きを作っていたのだろう。
「マユが言うには、また来るってさ。」
「いつよ?」
「さあ?」
たった一晩の付き合いで、ここまで我が家に溶け込んでいた令嬢に、俺は感嘆する。
「ちょっと!兄貴!見て見て!」
「あんだよ?うるせえなぁ。…?!」
マユに呼ばれて見た先には、テレビに映ったリーネの姿。
いつものゲームじゃないか?と思ったが、なんか違和感がある。
「リーネクライス目線のゲームになってる!」
「はあ?!」
マユと並んでゲームを進めていくと、リーネが神殿で教皇様とかいう長髪の白っぽい男と話している姿が見えた。
「リーネクライスの魔力量が増えたって!」
「だから、なんだ?」
「馬鹿なの?リーネは魔力量が少ないことが原因でシルベスター王太子との婚約破棄を余儀なくされるのよ?」
「気が触れたからじゃなかったか?」
「それも、あるにはあるんだけど。貴族たちの大きな理由は魔力量の方だったの。」
なんだかわけが分からないが、要するにリーネが好きな奴と結婚出来そうだってことに、俺は安堵した。
『幼い頃からずっとそばにおりましたもの。今更ずっと一緒にいられなくても、無事が分かればそれだけで幸せですわ。』
健気にそう言った彼女が、どことなく淋しげにも見えたのだ。
「で、リーネはいつ来るんだ?」
「まだ分からないわね。魔道士たちに協力を仰ぐみたいだから、近々ではありそうだけど。」
「魔道士?!」
「魔法の研究を生業にしている人たちよ。」
なんだかファンタジーじゃないか?
あ、ファンタジーな話なんだったか?
いいな…魔道士…。
俺にも使えねえかな…魔法とか…。
「あんたたち、いつまでもゲームなんてしてないでご飯にしましょ。」
母親の活気のない言葉に、返事を返しつつ
「親父は?」
「リーネちゃんが帰っちゃったってラインしたら、飲んでくるって。」
「はあ!?」
どんだけだよ?
リーネ、夕飯だけでいいからこっちに来いよ。お前のせいで、うちの両親が大変だ。
「まぁ…食べるか!」
「そうね。すき焼きなんて、何年ぶり?」
「リーネちゃんに食べさせたかったのに…」
「呼びました?」
「へ!?」
「リーネ?」
「リーネクライス様!」
居間の隅に立つリーネは、俺たちの驚きなんて無視するように「やった!成功だわ!」と一人ではしゃいでいる。
「もしかして、魔道士に?」
マユが尋ねると、「あら、よくご存知だこと。」と笑って、リーネは答えた。
「私の魔力で行き来できるように、魔法陣を作って頂きましたの!これからは、いつでもこちらに来れますわ!」
…まじか。
母親と妹は喜びの涙を流す中、俺は困惑の冷や汗が止まらないのだった。
突然ショッピングモールで姿を消したリーネが、今度は我が家の居間に突然現れ、すき焼きを食っている。
父親に「リーネがまた来た」と写真付きでラインを送れば、すっ飛んで帰ってくるなり、リーネに無事を確認していた。
「少し、お酒臭いですわ」
とリーネに顔を顰められても、お構いなしな父親に…メンタルの強さを学んだ。
「すき焼きとは、この白いゴハンに合いますわね。とても美味しいです。」
「でしょう、でしょう?リーネちゃん、お野菜も食べなきゃ、身体に良くないわよ。」
母親の幸せそうな笑顔を、そういえば久しぶりに見たような気がする。
「リーネ様!ゲームがね!リーネ様目線になっていたんです!」
「え!…まぁ!…」
何故か顔を赤らめるリーネ。
「王太子と何かあったんか?」
俺の問いに、リーネはキッと俺を睨んだが…顔が真っ赤で怖くない。
なんか、あったな。
生暖かい気持ちで、リーネを見つめていれば、
「もう!あなたちまでですか?護衛も侍従もみんなして…そんな視線で私を見ないで下さいませ。」
リーネが両手で顔を隠して叫んだのを、うちの両親はニコニコと見つめている。
まぁ…ここまで素直な反応をされるとな…こうなるよね。
「あら、やだ。今度は何ですの?」
突然、右手を広げた彼女の手の平に、今朝見た光景が再現された。
5センチ四方の白い紙に目を通した彼女は、ガタリと立ち上がったかと思うと、そわそわし始めた。
「き…来ます。」
「は?」
「シルベスター様がここに来ます!」
「はあ?!」
瞬間、居間の隅…先ほどまでリーネが立っていた場所一体が光輝くのだった。