気付いたら異世界でした。
「ここは…魔法の国なのかしら?」
硬い箱が走り、変な乗り物が私にぶつかろうとしている。
肌を露出した、はしたない着衣を身に纏う者たちがじろじろと私を見つめている。
透明の扉が勝手に開いたり閉まったりしているし…騎士団を醜くしたような者が先ほどから私に偉そうに話しかけてくる。
「お嬢さん?言葉…分かる?」
目の前の板のように平たい顔をした男が、私の目の前にずずっと顔を寄せて覗き込んできた。
脂が浮いた毛穴まで見える位置にその顔が飛び込んできたことに驚き後ずさる。
「し…失礼ですわよ!淑女に対しての態度として、其方の言い方は無礼です。」
「はあ?…ああ。そういう設定?…こっちも仕事だからさ、どうでも良いから質問だけ答えてくれる?…ここじゃ、通行の邪魔になるからさ、ちょっとそこの駐在所まで来てくれるかな?」
無礼な平たい顔が親指で指した先には、安っぽい赤い石のような物が入り口の上に付いた。白と黒の小屋だった。
「あそこは何ですの?物置きでしょうか?」
「駐在所って言っているだろう?失礼はどっちだ?」
あからさまに大きな溜息をついた平たい顔について物置に向かって歩く。
それにしても不思議ね。
お城の絨毯でもないのに、とても歩きやすい床が一面に敷かれているわ。
ヒールがカツンカツンと小気味良い音が足元から聞こえる。
それに比べ、前を行く平たい顔が吐いているブーツ…?はなんてボロボロなのかしら。
騎士でも平民だと靴もまともに買えないのね。
身分差に哀れな気持ちを抱きつつ、案内された小屋に到着する。
その間、見たこともない衣装を身に纏った者たちがこちらを見つめていた。
あの者たちも平民だから生地代が払えず、あのような露出する服装なのかもしれないわね。
あちこちに使われる魔道具を購入する余裕があるのなら、少しは税収を減らして差し上げたら良いのに…ここの領主はお金にがめつい狸なのだろう。
そのような者たちから見たら、正真正銘の公爵令嬢の私の完璧なるこのドレスは…羨ましいに違いないわね。
私は敢えて背筋を伸ばし、手にしていた扇子で口元を抑えながら案内された席に座る前に…固まったのだった。
なんて…貧相な椅子なのかしら…?
気付けばテーブルも細くて長くて小さくて…足元もおぼつかないような貧相な物だ。
「こんなにも貧しい生活を強いるなんて…ここの領主は何をされているのかしら?」
「は?領主?…市長なら…あ、ほら、あそこで今演説している人だよ。」
平たい顔が入り口から指さした場所を見つめる。
そこには城のような建物の壁取り付けられた平たい黒い箱の中で話をする中年男性が見えた。
「あの箱の中にいると言うことは…あの男は巨人なの?」
「何を言っているんだ?あれはテレビだろう?本人は俺たちと同じくらいの人間だ。…っていうか、その設定いつまで続けるつもり?」
「あの魔道具はテレビというのね。」
「あのな…」
平たい顔が何やら怒り出すのを無視して、出された取っ手のないカップを見つめる。
「これは持ち手がないわ」
「湯呑だから当たり前だろう?」
「ゆのみ…?」
「手でこうやって持って、飲めばいい。」
平たい顔が湯呑というカップを大雑把に手に持ち中身を飲むのを見て、毒はないと理解する。
私はそっと湯呑を手に取ろうとして、「あつっ」手を引っ込める。
「上の方を持て。お湯が入っている所は熱いだろ?って、お嬢さんは湯呑を使ったことはないのか?」
「ありませんわ。それに、このように緑色の飲み物も初めてです。これは何ですの?草の茎のような物が浮かんでいますが…まさか雑草?」
「緑茶だよ!静岡銘茶だ。」
そっと湯呑の上の方ギリギリを手に取り一口、緑色の湯を口に含む。
その様子が、あまりに危なっかしかったのだろう。
平たい顔は後ろに控えていた、これまた平たい顔になにやら指示を出していた。
「まあ、味は変わっているけれど悪くないわね。」
「だから静岡銘茶だと言っているだろう。ここで一番高い茶だ。」
平たい顔の答えに、平民ながらに貴族の私を敬う気持ちがあることを察し、溜飲が下がる思いがした。
「ほーほっほっほっほっ。無様ね。」
「リーネクライス様の御心を乱したこと、謝罪致します!」
目の前で謝罪を繰り返す男女を見下しながら思考する。
そもそもの発端はこの男爵令嬢が婚約者がある伯爵令息に近づいたことで始まったのよね。
伯爵令息が男爵令嬢に心許すことが我慢できないと相談を受けたのは3日前のこと。
その後、私は水面下で自分の護衛たちを使って裏を取った。
結果、私に相談してきたご令嬢にはあまりに残酷な結果だったこともあり、ここで断罪したわけだが。
「謝るのは私ではないのではなくて?アリアベータ。」
「はい、リーネクライス様。」
伯爵令息の婚約者であるアリアベータが隣で頭を下げる。
「アリアベータはどう思って?この者たちをどうしたら気持ちが落ち着くかしら?」
私の婚約者ではないし、気分を害したのは私ではない。
まあ、私の護衛を使って裏を取る時間や労力は使ったけれど、実害は受けていないのだ。
それでも、ここまで私が動いたのはアリアベータは私にとっては大事な親友の一人だからだ。
物心ついた頃より交流のあった親友の心を傷つける者たちに怒りを覚えたのは確かよ。
「まず、ベルセルク伯爵令息との婚約は破棄したいと思います。それと、傷心ゆえ…この2人の顔を二度と見たくはございません。」
「そうね…伯爵令嬢であるアリアベータからの婚約破棄は可能でしょう。理由があちらにある以上、認められることと思いますわ。そうでしょう?シルベスター王太子殿下?」
まさか見つかるとは思っていなかったのか、物陰に隠れていたこの国の王太子、シルベスターが苦笑いをして近づいてくる。
「知っていたのか。」
「あなたの護衛は全て存じ上げておりますから。」
私がチラリと彼の後ろに控えている護衛に視線を移すと「ああ。」と納得したように頷いた。
「リーネにはユースベルタの変装魔法さえも敵わなかったということを理解したよ。」
肩を竦める仕草をする姿さえも、様になっている。さすが王太子というべきだろうか。
「それで、シルベスター様でしたらこの婚約を破棄することも可能かしら?」
「一部始終を魔道具で撮らせてもらったしね。父上に進言することは可能だ。…それでいいのかい?アリアベータ嬢。」
突然に現れた王太子殿下に声を掛けられたアリアベータが肩をビクリとさせ驚く表情をしたかと思うと、みるみる目に涙を溜め始めた。
「あ…ありがとうございます。」
そんな彼女の姿を見たシルベスターが何か考える風に空を見つめたかと思うと、
「ベンジャミン伯爵家とシュツーリア男爵家には王都への出入りを禁ずる。そうだな…アリアベータ嬢の父上であるマジャール伯爵の許しを得るまでとしよう。」
王太子の決定は王家の勅命となる。
頭を下げ続けていた伯爵令息と男爵令嬢の顔色がみるみるうちに青ざめていくのが分かる。
「良かったですわね。シルベスター王太子殿下も、アリアベータ伯爵令嬢も貴方たちの交際を引き裂くつもりはないとのことよ。お優しいお二人に感謝するべきだわ。私だったらこんな甘い結果で満足しませんもの。」
震えながら頭を下げる二人を無視して、私はその場を後にする。
「リーネ。先ほどの言葉は私への牽制かな?」
私を追いかけてきたらしいシルベスターが聞いて来る。
「牽制など必要ありませんでしょう?シルベスター様は不貞行為などなさらないと信じておりますもの。」
私の答えに彼は笑い出すと「まあね。リーネ以上の令嬢を私は見たことがないからね。」と呟き、そっと私の手を取ってきた。
「公爵家まで送っても?」
「あら。公務は大丈夫なのかしら?いつもお忙しい様子でしたのに。」
「今日は君とお茶を一緒にしたくてね。公務が落ち着いたタイミングで誘いに行ったら、あの騒ぎさ。気になったからユースベルタに変装させて情報を集めていた矢先、君に見つかってしまった。」
チラリと振り返ると護衛のユースベルタが苦笑いをしている。
「そのような小さきことに護衛を使うなど、王太子としてどうなのでしょう?」
「きみだって護衛を使ってアリアベータ嬢の悩みを解決に導いたではないか。」
「親友の為なら当然ですわ。」
「愛しい婚約者のためなら当然だろう?」
ああ言えばこう言う王太子を軽く睨むと、ふっと息を吐く。
「シルベスター様ったら…私に甘すぎます。」
「愛情表現だと思って諦めてくれ。」
全く悪びれる様子がない王太子にクスリと笑うと、一緒に帰路につくこととした。
王太子の馬車に乗り込み、公爵家へ早馬を出す。
いくら公爵家とはいえ、婚約者とはいえ、王族が我が家に来るのだ。
先触れがないと、父親が怒るだろうことは想像に難くない。
「リーネ。君に会いたくて私は頑張ったんだ。少しは見直してくれるかい?」
王太子が公務を頑張るのは当たり前のことだ。
しかし、彼がこういうことを言う時は決まって、何かモヤモヤすることがあって落ち込んでいる時なのだろう。
いつも甘やかしてくださっているからね。
「シルベスター様がいるから、私は今日もこうして安心していられるのです。いつも頑張ってくださって、ありがとうございます。」
私が彼の柔らかな髪に触れ頭を撫でると、彼は目元を緩め本当に嬉しそうに笑う。
まるで、仔犬ね。
可愛らしい王太子の姿を見られるのは私だけ。
そう過信しても罰は当たらないかしら。
「!!!」
次の瞬間だった、突然に馬車が大きく揺れ、身体が宙を浮く感覚を覚えた。
シルベスター様を守らなきゃ!
ぎゅっと愛しい彼の頭を胸に抱え、次の衝撃に備えた…はずだった。
「どこ?」
恐る恐る目を開けた私の視線に飛び込んできたのは、別世界だった。
腕にあったはずのシルベスターの姿もなく…たった一人、私は知らない世界に放り出された。
「夢かしら?」
おもむろに自分の頬をつねってみる。
痛い。
え?てことは夢ではない?
「えーーーーーっ?!」