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6人目・とある伯爵令嬢〈前編〉


 この時代、っていうか今のこの世界、令嬢の未来はとかく旦那によって左右されてしまう。

 わたくしのようなお嬢様が、働く手段も難しく。

 魔術や学問のような特殊スキルで身を立てることも、わたくしにはできないのだから。

 ここは、正攻法でいくしかありませんわ。

 そう、目指すは円満な結婚生活。

 旦那との関係がうまくいかないことには、わたくしの未来も立ち行きませんのよ。


 そのためにはまず、嫁ぎ先の侯爵家の没落はNG。

 でも、王妃の実家として権勢を極めるとか、ホントどうでもいい。

 そんなことより円滑な結婚生活、堅実な領地経営ですわね。

 そして最終的に、わたくしが幸せになること。


 そのために、今のわたくしの状況、実はとってもラッキーなのではなくて?

 ええ、そうとしか思えない。

 自分の運が良いとか悪いとか、今まで思ったことはなかったけれど。

 この状況、わたくしに訪れた人生最大の幸運。

 ああ、手が震える。でも、このチャンス、つかみ取りたい。


 扉が、ばたんと閉じられる。

 ごく内輪だけの家族会議みたいなものは、これで終了。

 残念ながら、わたくしの意見は求められない。だからわたくしは考える。ずっと考えていた。

 まあ、頭の悪いわたくしが考えたところで、という気がしないでもないけれど。


 この部屋に残されたのは、わたくしと、わたくしの婚約者だった人の弟、ジェイド様。

 それから、部屋の隅にひっそりと侍女が一人ひかえている。

 若くて、最近雇われたのか今まで見かけなかった侍女。

 普通ならベテランの侍女を付けられるところだけど、さすがの侯爵家もそこまで手が回らないようね。


 ジェイド様が靴音を鳴らして数歩わたくしに近づき、そして見下ろす。

「さすがに顔が青いし、手が震えているな。

 貴族のご令嬢が婚約相手に逃げられるとか、とんだ醜聞だ」


 手が震えていることに気づいてくれた。はやりこの方、気遣いのできる方なのではないかしら。

 でも、乱暴な物言いも、あざけるような言い方も、この人には似合わない。

 ずっと思っていたことだけど。


「言葉もないか。まあ、うちの侯爵家も大混乱だよ。

 兄貴が庶民と駆け落ち、なんて言えるわけがないから、対外的にはいずれ病死だな。

 そして、できの悪い弟に侯爵位がめぐってきたというわけだ、しかも兄貴の婚約者付きで」


 ええ、それなのですわ。

 本来ならば、連れ戻せるはずなのです。というか、まずはそれを試みます。

 が、元婚約者、彼がハイスペックすぎたのですわ。手がかりがない、なんて。


 彼、本当に優秀なのですけど、常人には思いつかないような突拍子もないところがあって。

 わたくしにとって、最後までよくわからない方でしたわ。

 ええ、その彼に振り回されていた弟の、現婚約者であるジェイド様に親近感を覚えたほど。

 ジェイド様は堅実な方なのです、今は少々わかりにくいですが。

 そしてわたくしは、堅実な生活が好みです。


「まあ、お前もその程度の女だったってことだよ。

 兄貴をつなぎ留めることなどできない、役立たずの令嬢だ」


 ……よくわかりませんわ?

 わたくしがチャンス到来と、内心小躍りしていること、それは伝わりませんのね。

 では、なぜ、こういう話になるのかしら?

 ああ、ジェイド様がそう思っているから。

 自分がそう思っているから、わたくしも同じだろうと、そう考えてしまうということかしら。


 ジェイド様自身が、悔いていらっしゃるのね、ご自身を役立たずだと思うほど。

 お兄様を引き留められなかったと。お兄様が次期侯爵にふさわしいと思っていたから。

 そう、兄弟仲は悪くはなかったのでしたわ。

 ご両親からは、できの悪い弟という扱いを受けられていたけれど。

 でも、わたくしの目から見て、ジェイド様のできは悪くない、むしろ良い。

 ただお兄様がハイスペックすぎただけで。


「おい、なんとかいったらどうだ?

 どれほど不満でも、俺がお前の婚約者だ。

 ああ、心配するなよ、俺に駆け落ち相手はいない。

 俺にとって侯爵位は魅力的だ。それを放り出すような阿呆なことはしない。

 だからお前はずっと俺の婚約者だ、結婚するまでな。絶望したか?


 それとも、もっと聞かせてやろうか。

 俺に愛妾はいない。面倒だから持つつもりもない。

 だから、お前が俺の相手をするしかない。どれだけ嫌でもな」


 ……つまり、婚約者としても結婚相手としても、誠実に行動するというお話ですね。

 何とも面倒な言い方ですが。

 でも、そう言ってくださるなんて、わたくしを尊重するお気持ちがおありなのね。


 じっと、ジェイド様を見上げます。

 いぶかしがりながらも、ジェイド様が目を合わせてくれました。

 ありがとうございます、まずはここからですものね。


「誤解があるようですわ。

 わたくしは、あなたのお兄様を好ましく思ったことはありません、実のところ、まったく。

 ですから、わたくしが好意を持っていたような言い方、やめてくださいませね。不愉快に感じますの。

 わたくしは今、心からほっとしております。あなたのお兄様と、結婚しなくてすみましたから」


 おや、ジェイド様はずいぶんと驚いていらっしゃるよう。言葉も出ないくらい。

 そんなに意外でしたかしら?

 そんなに誰もが、お兄様を好きになるに違いないと、思っていらしたのかしら。

 では、もう少し聞いていただきましょう。


「わたくしはむしろ、あなた様を好ましく思っております。

 今、こうやって話していただいて、より好ましいと感じました」


 不意にジェイド様が声を上げられました。

「お前は馬鹿か、阿呆か!!」

 あまりに突然で、わたくし驚きましたわ。体が強張ります。


 はっと息をのんだジェイド様が、唸るような声で続けられました。

「……すまない、お前を怖がらせるつもりは、なかった。

 俺は、女を殴ったりはしない、信じられないかもしれないが。だから、怯えるな」


 やはり、気遣いのできる方ではないかしら。何というか拗らせてる感がありますけれど、それでも。

 ならば、わたくしはこの方と向き合ってみよう。

 ジェイド様を好ましいと思っているこの気持ちを、大切にしてみよう。

 限られた選択肢の中で得られた幸運を、つかんでみよう。


「わたくしは、あなたと、ジェイド様と幸せになりたい」

 

 ええ、わたくしは幸せになりたいんです。

 だから、わたくしと一緒に、あなたも幸せになってくださいませ。


 そんな気持ちを込めて見上げれば、ジェイド様は何とも言い難い表情をされて。

 何かを言いかけ、でも口をつぐみ、結局ふいっと部屋を出て行かれました。


 直球すぎましたかしら?


 さて、わたくしはまだすることが残っております。

 部屋の隅でおろおろしている侍女の手に、そっと銀貨を握らせて。


「困らせてしまったかしら。大丈夫よ、あなたが怒られたりはしないわ」

 ついでに、にっこり。あたふたしていた侍女が、こくこくと肯きます。


 そうして、わたくしもこの部屋をあとにします。

 今日は初日。まだまだ先は長いのですわ。

 婚約、結婚、そして結婚生活。だから、慌てず、無理せず、一歩ずつ。

 わたくしの目指す幸せのために。




 わたくしはマリエ・ブルック、由緒正しい伯爵家の令嬢。

 由緒正しいだけの、実情は伯爵の名とは程遠い、そんな伯爵家の令嬢。


 過去の権勢を夢見る父に、伯爵家としての暮らしぶりに固執する母。

 そんな両親に毒されたとしか思えない弟。

 領地収入は減り続け、体面を保つものままならないというのに。


 だから、わたくしが何とかしなければと頑張った。

 頑張って、頑張って、そして、どうにもならないことがわかった。

 わたくしが中途半端に関わったところで、家政の状態も、領地経営も、ゆるゆると下降するだけ。

 もっと影響力のある誰かでなければ、あるいは専門家でなければ、この状況は覆らない。

 伯爵家で最も力を持つのは父であり、次に次期伯爵の弟であり、そして家政を取りまとめるのは母なのだから。

 そして、反対すればするほど、三人ともかたくなになるだけ。


 そのころちょうど、ジェイド様のお兄様との婚約の話がきた。うちの伯爵家を支援するという条件付きで。

 わたくしは何よりもそれが欲しくて、婚約を歓迎した。


 でも、王妃様のご実家となる侯爵家が、没落寸前の伯爵家の令嬢を望むなんて、訳アリもいいところ。

 ジェイド様のお兄様、わたくしの元婚約者、イケメンでハイスペック、なのに、なのに、女性関係がもう、どうにも。

 これだけのメリットがあるにもかかわらず、最終的にうちに話がまわってきたほどに。

 聞くところによると、あちらの侯爵家の派閥の適齢期の令嬢が軒並み婚約済みで、また最近の強引すぎるやり方も敬遠されているようだとか。


 わたくしにとっては、ラッキー、たなぼた、何でもいい。

 婚約しただけで、支援金だけでなく人材も派遣してもらえた。

 うちの伯爵家をマシにしようとは、考えていただけたのかしら。

 さすが多少批判されても影響力のある侯爵家、派遣された家令補佐、ベテラン侍女、領地管理人、皆さんハイスペックでいらっしゃる。

 重要なことなので今一度。さすが、今をときめく侯爵家の使用人の皆さん、クオリティーが違いますわ!やはり金のあるところに良い人材は集まるのかしら。


 すると次に気になるのはこれ。侯爵家から来ていただいた皆さんが、うちの父、母、弟にどう対処するのかしら、と見守っていたら。

 あれ、何て言うのかしら……。強いて言うなら、褒めて伸ばそう子どもの長所、みたいな。否定せず、うまーくおだてて、のせてしまう、みたいな。


 ええ、思いっきり、そのスキルを観察させていただきましたわ。なるほど、そうすれば良かったのかと。

 真に残念ながら、わたくしにはできませんでしたけれど。


 伯爵家が少しずつ変わってゆく。父も、母も、弟も、少しずつ変わってゆく。

 窓から明るい日差しが差し込むように。


 そんな折、派遣された家令補佐さんとベテラン侍女さんが、わたくしに教えてくれた。

 いきなりやってきた他家の使用人がこれほどスムーズに仕事ができるのは、お嬢様が伯爵家の使用人に協力するよう言ってくださったからでしょう、と。

 そして使用人が協力的なのは、お嬢様がこれまで伯爵家を立て直そうとずっと努力されてきたことが、使用人に伝わっているからでしょう、と。


 確かに、わたくしはそうした。

 でも、わたくしには伯爵家の立て直しはできなかった。

 けれど、わたくしの行動は無駄なことでもなかった。

 わたくしはまったくの無力ではないのだと、そう思えた。

 そう思えて、嬉しかった。


 伯爵家が少しずつ変わっていく。

 その何より、誰より、わたくしが変わった。




 婚約者が変更になった翌日、侯爵夫人に呼ばれてお伺いした帰り、待っていたかのように廊下にジェイド様がいらっしゃいました。

 わたくしに会いたいと思ってくださったのかしら、どうかしら?


 ジェイド様に腕を取られて、図書室に引き込まれました。

 これでは、廊下に残された侍女が心配してしまいそうですけれど。

 その割にジェイド様は、手近な本を手に取りまた元に戻し。そして低い声でぼそりと、

「お前、俺から逃げるなら、今のうちだぞ」


 ……ちょっと意味がわかりませんわ。いえ、むしろそのままなのかしら。

 自分のような男では、結婚相手を幸せにできないかもしれないと、懸念されている。

 結局のところ、わたくしのことを気遣ってくださっている、そういうことかしら。

 では、こう答えてみようかしら。


「わたくしは幸せになりたいんです。

 ジェイド様と一緒なら、幸せになれると思っております」


 今、ものすごい目でジェイド様に見られています。

 まさに新種の生物か、はたまた幻の古代生物かという感じです。


 我に返ったジェイド様がこちらを睨みつけます。

「馬鹿か、お前は!」

 いきなり大声を出されたので驚きました。体がびくりと震えます。

 ジェイド様が舌打ちされます。

「……悪かった。だから、その、怯えるな」


 やはり意味がわかりませんわ。

 わたくしが逃げるように仕向けたいなら、怯えさせた方が良いと思いますけれど。

 つまり真意は逆。わたくしに傍にいてほしい。

 あら、そうなのですか?怯えるなとはつまり、怯えず自分を受け入れてほしいと?

 それとも、結論が希望的観測すぎたでしょうか。


 ジェイド様が苛立たしそうにわたくしを見ます。

「お前、頭が悪すぎて、俺の言ったことを覚えていないのか!?」


 確かにわたくしは頭が良くありません。良かったら、さっさとうちの伯爵家を立て直しています。

 王立学園の成績も中の下でしたし。

 よって、どの成績も上位だったというジェイド様は、本当に素晴らしいと思います。


 それはともかく、俺の言ったこととは昨日の会話のことでしょうか?

 そらなら覚えておりますわ。


「ジェイド様に駆け落ち相手はいない。

 ジェイド様は侯爵位を放り出すようなことはしない。

 だから、婚約が解消されることはない。

 ジェイド様には愛妾もいない。今後も同じ。

 婚約中も、結婚後も、わたくし一人を大切にしてくださると。

 そういうお話でしたわね?」


 ジェイド様が宇宙人でも見るかのような目で、わたくしを見ています。

 ご自身が何を言ったのか、いまいち自覚がおありではなかったようですね。


 もう、この際はっきりと言ってしまいましょうか。

「乱暴な言い方も、人をあざけるような態度も、ジェイド様には似合わない、ずっとそう思っていました。

 あなたは紳士で堅実な方です。わたくしにはそう見えます」


「……お前は本当に、阿呆だな」

 ジェイド様がそう、低くつぶやいて。


 えっと思う間もなく、壁に押し付けられて。

 壁ドン。ええ、この状態は壁ドンと呼ばれるのものではなかったかしら。

 いえ、違う、この世界にそんな言葉はない、だから、ええと。

 大混乱の中、あごに手が添えられたかと思うと、仰のかされる。

 あ、と思う間もなく、口づけられて。


 そしてまた唐突に、体を離されました。

 ジェイド様が睨むようにわたくしを見て。

「これで、分かっただろ」


 ええ、確かに。




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