1人目・王太子の婚約者候補〈前編〉
あらあら、この状況は、何だかあれによく似ているわ?
何と言ったかしら、市井で流行っているという、ヒロインの物語。
数人の殿方と恋のさや当てをして、その中から一人を選んでハッピーエンド。
そのストーリーに欠かせないのが、ヒロインの恋を盛り上げる悪役令嬢。
優秀な美少女転入生。
彼女を取り巻く、王太子殿下をはじめとした側近の方々。
そしてわたくしは、王太子殿下の婚約者候補。
では、わたくしの立ち位置は悪役令嬢?
まあ、まるであの物語のよう!
物語の登場人物の気分が味わえるなんて、なかなか素敵。
でも待って。
ええ、そう、これは重要な点のはずですわ。
悪役令嬢というものは、だいたいの物語で美人さん。
しかも単なる美人ではなく、相手を圧倒するほど迫力のある美しさ。
比べてわたくしは、どうかしら?
……あら、どうしましょう。
わたくしの見た目について、皆様よくおっしゃるのが、小動物みたいに可愛い。
比べて、話題の転入生さんは、どうかしら?
ぱっと見、きつい感じもするほどの美少女で。
庶民育ちとは思えないほど、王立学園の装飾過剰な制服を着こなし。
庶民育ちとは思えないほど、王太子殿下の前で堂々としていらっしゃる。
わたくしがイジワルなんかしたら、返り討ちにされるのではないかしら?
いいえ、返り討ちにするまでもなく、ひとにらみでお終い、ですわね。
「貴女は、王太子妃にふさわしくありません!」
なんて言われたら、その通りです!と答えてしまいそう。
加えて転入生さんは、清々しいほどの塩対応をされているわ、王太子殿下と側近の方々に対して。
貴族の令嬢特有の回りくどい言い方ではなく、歯に衣着せぬ物言い。
マナーは完璧、にもかかわらず恭しさは欠片もなく。
殿下の意をくんで返答するなど、片鱗もなし。
こういう貴族の令嬢ではありえない態度を、王太子殿下は魅力に感じられたのかしら?
いいえ、何というか、女王様とげぼ……、従者たち?
ええ、そうですわね。
こんなに殿方を侍らせていたら、令嬢たちの反感をかうものですれど。
皆「お姉さま、すごい」というキラキラした眼差しになっておりますわ。
さあ、どうしましょう?
転入生の男爵令嬢、ヴィクトリアさんが学園に来たのが、2か月前。
王太子殿下がヴィクトリアさんに初めて話しかけたのが、1か月前。
殿下がヴィクトリアさんと会話する頻度が毎日になったのが、1週間前。
もちろん殿下は、ご自身の立場を理解されていらっしゃる。
会話するのは教室かカフェ。二人きりになるなどもちろんなく、複数人で。
ヴィクトリアさんに対して、恋人にするような接触はまったくなし。
殿下の目的はただ一つ、優秀な人材確保。
お相手が令息ならば、あの殿下がここまで気に入るとは、そんなに優秀なのか?
くらいで済んだのでしょうけれど。
令嬢で、かつ優秀、更に美少女。
一歩間違えれば、殿下のためにならない噂になりかねません。
とりあえず、わたくしが対処すれば良いのかしら。
と思い、殿下がよく利用されるカフェの席の、仕切りを挟んでちょうど陰になる席に座って、 やがて来られた皆様方の動向をうかがっているところなのですけれど。
やはり一番の問題は、婚約者候補がわたくし、というところなのでしょう。
王太子殿下の婚約者候補に最も必要とされるものは、王妃様のご実家の侯爵家の派閥でないこと。
あちらの侯爵家の力が強くなりすぎたので、バランスをとる必要がある、それだけ。
そして選ばれた婚約者候補は3人。
あちらの侯爵家の派閥ではなく、ある程度の力があり、穏健派か中立派。
その条件に当てはまり、年齢的に釣り合う令嬢は3人しかいなかった、残念なことに。
1人は、共に王太子妃教育を始めて3か月目で、辞退。
まあ、これは予定通りといったほうがいいですわね。
もともとフィーナさんは芸術方面に秀でた方でしたもの。
先週、招待していただいた内輪の演奏会、素晴らしくて天にも昇る心地でした。
もう1人は、半年ほど共に学びましたけれど。
諸事情あって、婿をとって侯爵家を継ぐことになったため、辞退。
こちらは予定外ですが、どうにも仕方ありません。
後を継ぐ予定のお兄様が隣国に留学中、あちらの王女様に見初められてしまったのですもの。
彼女、レティシアさんもこの前良き伴侶が決まり、幸せそうな笑顔に、わたくしも幸せな気分になりましたわ。
ここで、問題なのです。
レティシアさんと共に学んで、半年。
妃教育の成績、社交性、王太子殿下との相性などから判断して、レティシアさんが無難なのではないか、婚約者はレティシアさんで。
という流れになりかけていたところに、残ったのがわたくし。
妃教育の成績は、良くはないけれど、悪いというほどでもなく。
性格や、社交性など王太子妃としての資質についても、良くはないけれど、悪いというほどでもなく。
そして、王太子殿下との相性についても、良くはないけれど、悪いというほどでもなく。
ずるずると婚約者候補のまま、ここまで来てしまった。
ただ一人の婚約者候補にもかかわらず、候補のままで。
殿下は、わたくしに対する不満を、なかなか上手に隠していらっしゃいます。
でも、少しの違和感が、令嬢方に伝わってしまっているのですわ。
無論、わたくしにも。
王太子殿下は、ただ一人の婚約者候補をあまり気に入ってはいないのだと。
いつだったかしら、王宮の庭園の四阿で、殿下との定期的なお茶会の日。
遅れてくる殿下を待つ間、わたくしは見つけてしまった。
青虫を。
四阿の柱をゆっくりゆっくりのぼっていくその姿を見つめていたら、殿下が来られた。
「何をしている?」
と聞かれたからお答えした、まっすぐ殿下を見上げて。
「青虫を、見ておりました」
そのときの殿下の表情に一瞬よぎったのは、呆れと、苛立ちと。
不意に、仕切りの向こうから声が響いてきました。滅多にない殿下の笑い声とともに。
「さすがだな、ダナート男爵令嬢」
殿下が笑っている、褒めている。
ヴィクトリアさんのような令嬢ならば、殿下は認められる。
そうなのでしょう。そういうことなのです。
「私の側近にになるかどうか、考えてほしい」と殿下。
「女性官僚の道のほうがおすすめですよ」と宰相のご子息。
「魔術塔は、君を歓迎する」と天才と呼ばれている魔術師。
「是非、騎士団に」と騎士団長のご子息。
……魔術塔と騎士団はさすがにどうかしら?
彼女、魔術の才能があるとか、武術の鍛錬としているとか、聞いたことありませんけれど。
そして側近のうちあと1人、王都で三本の指に入る大商会の跡取りの方は、不参加のようですね。
「お断りさせていだきます」とヴィクトリアさん。
仕切りを挟んでも、言外にヴィクトリアさんの、蹴りたい、という雰囲気が伝わってまいりました。
ここですわ。今こそわたくしの出番です!
できるだけ優雅に、仕切りから姿を見せます。
……たとえ小動物が、ちまちま歩いているようにしか見えなくとも。
「まあ皆様、皆様に囲まれて、ヴィクトリアさんが困っていらっしゃいますわ」
「ティアーナ」
と殿下が顔をしかめられます。
側近の方々は苦笑されています。やはり側近の皆さまは、わたくしにお気づきでしたね。
殿下のフォローお疲れ様です。人材確保のための交渉時、殿下は熱が入りすぎるのです。
殿下がお立ちになりました。
「ティアーナ、まるで盗み聞きをしているようだが」
「いいえ、盗み聞きではございませんわ。皆様をじっくりと観察させていただいていたのです」
殿下のお顔がピクリとひきつります。
やはり、わたくしの返答はお気に召しませんでしたか。
でも、なぜでしょう。極めてシンプルにわかりやすく、そのままをお伝えいたしましたのに。
でも、今問題なのは殿下ではありません。わたくしの目的はヴィクトリアさんなのです。
「初めまして、ゼア侯爵家のティアーナと申します。
わたくし、ヴィクトリアさんとお話してみたかったのです。ぜひ、わたくしのテーブルにいらして?」
そして、差し支えない範囲でできるだけ、ヴィクトリアさんのお気持ちを話していただけると助かりますわ。
お話を聞いて、迷いが晴れました。
そうなのです。
王太子殿下の婚約者など、条件を満たす、侯爵家か伯爵家の娘であれば、大雑把に言って誰でもよいのです。
わたくしでなければならない必要は、どこにもない。
だから、ヴィクトリアさんにはぜひ、我が侯爵家の養女になっていただきましょう。
これで万事、おおむね、だいたい解決です。
そして、わたくしは病気療養中として領地に戻り、適当な時に治ったと復帰すれば良い。
腐っても侯爵令嬢、わたくしの使い道はそれからでもまだありますわ。
方針は決まりました。
カッコよくて、ステキな王子様。
初めから、あたが求めるような婚約者にはなれないと、わかっていた。
それでもわたくしは、あなたに認められたかったのかもしれません。
わたくしを、受け入れて欲しかったのかもしれません。
この気持ちに、ようやく決着が付けられます。
わたくしは、どうやってもこうやっても、ヴィクトリアさんのようにはなれませんもの!
だから、諦めましょう。
殿下はわたくしを受け入れられず、わたくしもまた、そんな殿下を受け入れられなかった。
わたくしは、自分を変えることができなかった。
自分らしくあることを、諦めることができなかった。
それを認めてしまいましょう。
さあ、お父様は、わたくしの提案に肯いてくださるかしら?