表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
9/9

Last day

 ひとりぽっちは寂しい。


 目がさめたときに、隣で眠る肌の温もりが失われたら悲しい。きっと何も手につかなくなる。


「嘘」


 信じられないことが起きると苦しい。

 受け入れがたい現実は切ない。


「嘘よ!」


 黒板の前の教卓はやけに小さくて、その上で仰向けに横たわる艶の薄く開いた唇は、今にもわたしの名前を呼んで、にこやかに微笑みかけてくれるのだと、そうとしか思えないほどに、無防備だった。


 窓からぬるい風が吹き込む。

 逆巻く髪を右手で抑えて、椅子の背もたれに胸をつけて、鏡は氷のような表情を崩さない。


 ここにいるのはわたしと、鏡と読者だけ。


 教室の後方で水槽のエアーが奏でる旋律が、神経を溺れさせるくらいに重々しい。


「とまあ、みんなマトモでよかったよ。曼荼羅を処刑する選択は、最終日に繋げるためには必然だからね」


 机の表面を撫でながら、黒板へと鏡は向かう。

 チョークを掴んで叩きつけるように、殴り書きする。


「おさらいをしないと」


 淡々と記されていくのは、この状況のことだろう。甲斐と読者は黙って眺めている。


 人気のない廊下に出て逃げ出してしまいたくなる。閉ざされた昇降口のガラスを割って、どこか遠くへと行ってしまいたい。


「ボクは曼荼羅から吸血鬼扱いされて、その曼荼羅に吸血鬼ではないと言われた読者さん。そしてここまでノータッチの甲斐ってところかあー」


 三人の名前を書き終えた鏡は教卓に視線を落とす。

 吸血鬼にやられたにしては艶の遺体は美しかった。

 分からない。服の下を覗いてみれば、内臓がそっくり消えている可能性だってある。


「甲斐、なんか隠してる?」


 いつの間にか鼻先までにじりよっていた鏡に甲斐は面喰らう。後退りすると机の角に腰をぶつけた。


「ねえ?」


 仄かに柑橘系の香りがした。鏡の匂いだ。


「わたしは...」


 じっと息を飲む。この教卓は、甲斐の世界のそれとそっくりだ。


 天井の蛍光灯も、金魚の水槽も、ステンレスの窓枠だってそう。でもどこか違っている。もし闘いに破れたら、永遠に幽閉されるのはこの沈黙の教室なのだろうか。


「わたし、騎士なのよ」


「きしぃ?」


 驚きのあまり目を丸くした鏡はそのまま動かなくなった。


「だとしたら無能だね、今日まで誰も守れなかったんじゃないか。毎晩何をしてたのかな、君は。疑いたくなくても疑っちゃうよな。そうだ、昨晩は誰を守った?」


「読者さんを、守ったわ」


「ほおー。なるほどねえ」


 腕組みして鏡はその場を往ったり来たりする。


「曼荼羅が吸血鬼ではないと言っていた読者さんを、か。どうして艶を守らなかった?」


「今あなたが言った通りよ」


 強い口調に負けじと甲斐は答える。


 すると鏡はまた黒板に駆け寄る。


「艶は三日目、五百城に吸血鬼ではないと告げられている。昨日のボクの考察では、というより少なくとも五百城は吸血鬼ではない」


「八つ裂きにされたからね」


「ああ、そうさ。五百城は本物の桜井、または狂人であるわけだ。だとすれば五割本物の可能性のある五百城と、三割本物の曼荼羅を天秤にかけたときに、守る対象は自然に艶とはならないか?」


「そこまでは、考えてなかったわ」


 五割と三割の計算に無理があることを甲斐は指摘したかったが、鏡の伝えたいことは分かった。


「急にわたしに詰問してくるなんて、それにもしも曼荼羅さんが本物なら、あなたは吸血鬼なのよね」


「そう。もしも曼荼羅が本物なら。でもさー、かなり確率低いけどね。曼荼羅が吸血鬼、狂人、本物のパターンがそれぞれあって、三分の一だから」


「そのレアケースってことじゃないの? それにあなたは昨日の時点で殺されたくなかった。なぜならそれで勝敗が決するから」


「うーん。ボクはさ、まだ甲斐を信じきってはいないんだよ。騎士がこれまでに死んでいる場合だって否定できないだろう?」


 壁掛け時計の針が凄まじい早さで回っていく。


「あんまり余裕ないみたいだな」


 鏡が顎をしゃくる。甲斐は背後を確認すると、教室の後方が蜃気楼のように歪んでいる。廊下に出よう、と促されるままに、読者もろとも教室から逃げる。


 窓の外へ視線を投げると、校庭のあるはずの空間は黒く塗り潰されていた。


 教卓の艶を置いていくのは後ろ髪ひかれるが、黒板がモザイク状に朽ち果て始めたところで諦めた。


 誘われるようにして三人は階上を目指す。低い地面からどんどん闇に侵食されていく。


「じゃ、ま、甲斐はボクを処刑したいんだね」


「そうなるわね」


 階段を踏みしめる音が構内に木霊する。


「甲斐は読者を疑わないの?」


「読者は何も喋らないから情報が落ちないもの。だけどもし曼荼羅が吸血鬼だとして、読者を守ろうと敢えて吸血鬼ではないと宣言したなら、話は変わってくるわ」


 ふふ、と鏡が顔を綻ばせる。


「まったくブレブレじゃないか。ボクは君が怪しいと思うけどな。今さら騎士を名乗る必要だってなかったんじゃないか。生存意欲を出してきたんだよなー、なんてさ」


 階下はすっかり闇に飲まれていた。そこが初めから暗黒で満たされていたように。


「騎士を騙るのはリスクがあるわ。わたし以外に万が一騎士がいたなら、そこで偽を告発されるし、それこそ名乗り出なくていいはずよ」


「だからこそ、君が名乗って対抗馬がいないのは、リスクを犯して手に入れたハイリターンだろうな」


「よほどわたしを疑うのね、鏡さんは」


 屋上の扉を押すと金属が擦れる嫌な音がした。鼓膜に粘りつく、気持ちのいいものではない。


 四方をフェンスで囲まれた、開放的な屋上は、黒い雲の上に浮遊している。辺り一面を渦巻く闇にとらわれて、甲斐たちはとうとう最後の瞬間を迎えるのだ。


 学校からみはるかせる大きな桜の木も、この世界にはない。代わりに屋上の中央に燭台が聳えていた。


 黄金の燭台だけが色を所有している。黒だらけの景色に異彩を放つ。これまでたくさんの血を注ぎ込まれてきた。巨大な燭台。


 灯火がひとつ、ふたつとついていく。

 七つの炎は天高く舞い踊り、薄紅の柱が現れた。


「ここまでくると、あとは誰を信じるか、よりも、いかに自分を信じれるかどうかだなあ」


 と鏡がひとりごちた。


「もう会えないかも知れないな」


 加えられた台詞に、反射的に甲斐は蛍を脳裏に描く。

 蛍にもう一度会うなら、勝つしかない。


 手首を切って、燃え盛る燭台に血を捧げる。

 屋上の出入り口も闇に包まれた。

 もうあとにも先にもこれっきり。これっきりなのだ。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ