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Day 3 あなたの意思で東雲を処刑する

 長い廊下には、おびただしい血痕が残されている。千切れた白い布の欠片がレースだと思い当たったとき、甲斐は溢れる涙を止めることができない。


 母屋は幾つもの部屋がある。普通ならば迷ってしまうだろう。けれどまだ乾ききらない鮮血の香りに誘われるかたちで、ついに辿り着いてしまった。


「まさか」


 八つ裂きにされたドレスのフリルは無惨にも粉々にされており、腕や脚は原型を留めない衝撃を物語っていた。


 二日目の夜に処刑された東雲の影はどこにもなく。

 そこにあるのはむごたらしい死に体をさらすマリアの干からびた眼差しだけが寧ろはっきりと象徴された。


「マリア!」


 駆け寄り抱きすくめたい、しかし砂のごとくポロポロと崩れていく肌は、一滴の血も通っていない証だ。


 甲斐の涙は骨の剥き出しになったマリアの手首をすり抜けていった。


「おー、そこが殺されるんだねえ」


 やってくるや否や杏子は嘲るような口ぶりで驚いている。


「笑わないでよ」


「は、笑ってないけど、なに怒ってんのさ甲斐ちゃんは」


 握った拳が痛いのも忘れて甲斐は杏子に向き直る。


「よせよ、喧嘩はやめよーよ」


 後退りする杏子はばつの悪そうな表情を浮かべる。


「そうだな、喧嘩は止めろ。けどな、つとめを果たせ、お前は」


 いつの間にか曼荼羅がいた。


「ほお、つとめとは?」


「まあどのみち今日はお前が消える番だ。ちなみに読者は吸血鬼ではないよ。オレは仕事するからね、杏子ちゃんとやらと違ってな」


「ウチは艶さん、あなたが吸血鬼ではないことを暴きましたわ」


 五百城も曼荼羅に被せてくる。


「寡黙を占ってどうすんだ、しかもどっちも吸血鬼を当ててないって、無能なんですね」


 辛辣な鏡に対して、五百城も曼荼羅も全く意に介していない。


「東雲はまさかの吸血鬼ではなかったよ。こりゃ五百城、もしくは曼荼羅に必ず吸血鬼がいるんだね。杏子ちゃんの霊視を信じてほしいなあ。ついでにさ、杏子ちゃん視点曼荼羅が怪しいかな!」


 スマートホンが鳴る。また鏡がメモをしてくれたらしい。


 五百城(占い)→艶(吸血鬼ではない)

 曼荼羅(占い)→読者(吸血鬼ではない)

 杏子(霊媒師)→東雲(吸血鬼ではない)


「杏子ちゃんとやらはどうしてもオレを殺したいのか」


「うーん。マリアが八つ裂きにされてるのってさ、はい、やっぱり吸血鬼じゃないでしょって曼荼羅自身が示したかったから殺したって説あるよね。そういう意味では曼荼羅にはいなくなって欲しいかも」


 マリアを失った悲しみが深くて、二人の会話が頭に入ってこない。もはや拒絶しているも同然な甲斐は心臓が収縮して苦しくなってくる。


「なぜマリアの死がオレのアドバンテージに?」


「だってそれは昨日マリアのこと吸血鬼じゃないって言ったからだよ。ってことでいいよね、杏子ちゃん」


「鏡さんはよく分かってるね」


 嬉しそうに杏子が鏡の肩を叩く。


「ほお、じゃあお前らはどうする。オレを処刑するかい」


 ぐるりと全員を見渡して曼荼羅が問いかけている。


「どうしてみんなそんなにさっぱりしていられるの」


 耐えかねた甲斐は感情を表に出す。


「勅さんも東雲さんもマリアも死んじゃって、それなのに、なにもなかったようにしてるのは、本当の吸血鬼よりも怖いことよ」


「うーん。悲しんでマリアの魂が戻ってくるなら、幾らだって涙を流すよ。別に死を無視するつもりはないさ。これは吸血鬼との闘いだってことを忘れるなよ。泣き崩れる暇なんてないのさ」


「文字通り血も涙もないのね」


 冷淡なのは曼荼羅だけではない。今夜誰を処刑するかばかり思考を巡らせているのは、明晰な鏡、そしてにこやかに微笑む五百城ですらもマリアの存在など単なる問題解決の材料としか捉えていない。


「露骨な曼荼羅さん、あなたは嫌いだな」


「おいおい甲斐さんとやら。勘違いするなよ、これは生死を賭けた闘争、感情で処刑先を決めるのはナンセンスだぜ」


 涙でぐしゃぐしゃの顔を隠して甲斐は膝を抱えてうずくまる。


「あーあ。話に参加しないと困るよ。まあ、いいけど。さて、ボクは曼荼羅さんを処刑する気はないからね。死んでもらうのは君さ」


 鏡の瞳には杏子が映る。


「え?」


「え、じゃない。君しかいないんですよ。東雲さんを処刑するってのはイコール杏子さんも処刑する。なぜなら確実に吸血鬼、または狂人を排除できるからね」


「ふわあ。やべえ欠伸が出るぜ。オレはもう寝るからよ、あとは好きにやってくれや。鏡の説明でもう十分だしな」


 そう言って曼荼羅は燭台のある畳の間に戻っていく。


 甲斐と艶は寄り添って、読者とともに沈黙を貫いていた。


「この流れですと、もう決まったようなものですね」


 やや遅れて五百城も部屋を出ていってしまった。

 また夕方になれば強制的に眠りにつかされてしまうだろう。


 そうなる前に情報を精査しなくてはならない。はずなのに喋るものと、そうでないものも、一応は疲労を蓄積させていた。


 これ以上言葉を紡ぐエネルギーなど、蝕まれてしまっているのだ。



**********



 水槽の金魚で、元気のないのが二匹いた。

 片方を別な桶に移し変えると、なぜか健全な金魚の七匹のうち一匹が死んだ。


 病気がかかっているらしく、実は元気のない二匹の、水槽に残された方が周りに悪影響を及ぼしているのだと知る。


 二匹とも桶に放つ。残りの健全な六匹は、すくすく泳いでいる。


 もしかすると病人はそれで終わりかも知れない。

 かも、というのは例えばの話で。


 健全そうに見えているだけで、本当は、非常に恐ろしいウイルスを保有する、抵抗のある種が紛れ込んでいることを。

 誰も否定できないし、肯定することもできない。


 結局は、生き残ったものが健全であり、同時に健全ではないのだ。


 あたかもシュレーディンガーの猫よろしく。

 にゃーと鳴いているし、潰れてもいるし、誰がどう観測するかで、収束するかも知れないし、しないかも知れないし。


 水槽の金魚がにゃあ。にゃあ、にゃあ、にゃあ。



**********



 月が満ちる。

 燭台に揃った七人の女はそれぞれの血を注いでいく。


 鏡は「杏子」へ

 艶は「杏子」へ

 五百城は「杏子」へ

 杏子は「曼荼羅」へ

 曼荼羅は「杏子」へ

 甲斐は「杏子」へ


 読者が誰を念じて血を捧げるかは問題にはならない。


「へえ。五百城さんも杏子ちゃんを処刑するんだあ」


「仕方ないですよ、総意ですからね。例えあなたが吸血鬼ではないとしても、それは狂人の可能性だってありますから」


「五百城の言う通り、黙って処刑される定めなんだよ。ここでお前が残って、万が一本物の霊媒師じゃなかったときのリスクを鑑みれば当然の成り行きだ」


 ただな、と曼荼羅が続ける。


「ただ、これで明日は五人に減る。そこで吸血鬼を処刑できなければオレら桜井全員負けさ」


「どうして?」


 熱の和らいできたらしい艶が訊ねる。あくまで仰向けで首を捻る程度の力しかないようだった。


「どうしてもこうしても、ねえ」


 察したかのように鏡がスマートホンを取り出す。


 四日目

 桜井、桜井、桜井、吸血鬼、吸血鬼

 または

 桜井、桜井、桜井、吸血鬼、狂人


 メモが送られてくる。


「東雲と杏子がいないから、確実に言えることは桜井以外は五人のうち二匹」


「杏子ちゃんはまだ死んでないけどな」


「ふははっ、ごめんごめん。それでだ、仮に誤って桜井の一人を処刑してみろ?」


 スワイプするとメモの続きが出てくる。


 桜井、吸血鬼、吸血鬼

 または

 桜井、吸血鬼、狂人


「つまり、同数以上の人外。オレが解説するまでもないけど詰みだな」


 曼荼羅が額に手を当ててため息を吐く。


「なるほど、良く分かったわ」


 艶は納得したようだった。


 この段階でようやく甲斐は冷静に周りの声が判別できるまでに落ち着いた。そしてずっと気になっていたことがある。


「ねえ、本物の桜井のみんながやられたらどうなっちゃの?」


「さあな、この不可思議な世界に永久に閉じ込められるんじゃなかったか。最愛の人に会えない、と」


 振り絞った言葉は曼荼羅に虚しく一蹴された。


「ウチらが代償を払うなら、吸血鬼は一体何が得られるんでしょうね」


 言い終えるや否や五百城は倒れる。

 次いで甲斐、曼荼羅とうつ伏せになっていく。


 燭台がカタカタと揺れて、ししおどしの小気味良い音が訪れる。


 こーん、と鳴る頻度が心なし増えてきた。テンポが早まっている。庭の池は波打っていて、激しい風が雨戸をひっきりなしに叩いていた。


 誰もが寝静まったとき、吸血鬼が起き上がり、鋭い爪で喉を八つ裂きにするに違いない。

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