Day 1
しばらくすると畳の間には夥しい数の灯火が、それは天井の梁に沿って螺旋状に配置された蝋燭によるものだった。
やがて足音が四方から迫ってくる。
静かな夜に艶の咳、庭のししおどし、謎の反響がこーん、と鳴る。
一人、また一人と女たちがやってくる。影に紛れて姿がはっきりしない連中に、背筋に悪寒が走る。
ふいに部屋の明かりがすべて消えた。咄嗟に甲斐はマリアと艶の手をとる。完全な闇に不気味な声が渦巻く。
「ここに招待したのは、言うまでもありません」
甲斐の耳は覚えている。これは屋敷の門で立ち往生する甲斐たちを招いたフードの人物のものに違いない。
「あなたがたには使命がある。簡単なことです。燭台に血を垂らしてもらえばいいのです」
燭台に血を?
なぜそんなことをしなければならないのか、震える両手からマリアと艶の不安が伝搬する。
「理由なんてどうでもいいではないですか。元の世界に戻りたいでしょう。あなたたちの大切なものに会いたいでしょう」
晴々しく微笑む蛍の顔が甲斐の脳裏を過る。
「これが夢であるかどうかを決めるのは、あなたがたではありません。それでは顔合わせといきましょう」
パッと屋内が明るくなる。瞳孔が反射的に光量を絞ろうとする。ぼやける景色には、幾人かの影が揺らめく。
徐々にぼんやりとした人影は、はっきりとした輪郭を伴っていった。ひい、ふう、みい、隣で勅が指を折っている。
「おかしいですわね」
ひとしきり数え終えるや否や勅の呼吸が乱れる。
「十人いらっしゃいますわね」
甲斐、マリア、艶、勅の他に、確かに六人いる。そこにフードの人物はいない。
十人の女たちによって輪ができていた。中央には大きな燭台が置かれている。とても人の力で運べるような代物ではなかった。
暗転した一瞬で、巨大なウェディングケーキばりの燭台を配置するなんて、現実離れにもほどがある。
胸のポケットが振動した。
取り出すとスマートホンが点滅している。
画面をタップすると、異様な文章が浮かび上がってきた。
**********
七人の神聖な儀式に、三人の招かれざるものが混じっています。招かれざるものは二匹の吸血鬼、それと異端者です。
吸血鬼は夜に一度だけ生存者を八つ裂きにできます。ただし吸血鬼同士はそれを行えません。
あなたがたは昼に一度だけ生存者を処刑できます。目の前の燭台に窪みがありますのでご覧ください。
九つの窪みが燭台の外周を均等に施されている。
その窪みに、あなたの血をほんの少し垂らすのです。怪しいと思った人物を想像し、憎しみの念をこめながら。
すると宵が訪れるころには、願いが通じるでしょう。
七人の内、三人は特別な力があります。
それは明日分かることでしょう。
**********
文章を読み終えると甲斐は思う。
「これって人狼じゃない」
夕方の教室で、蛍と聞いた内容にそっくりだ。
「眠りにつく前に、これと似たようなことを聞きました」
黒い着物を引き摺って、勅も言った。
「それに、気になっていることがあります」
「な、何が、気になってる?」
興味深げにマリアが口を開いた。他の八人も勅の言葉を待つ。
「それは、甲斐さん、あなたのお名前です」
「わたしの名前?」
桜井甲斐。そう名乗ると場が凍りついた。するとマリアが甲斐を握る手を強める。
「マリアも」
「え?」
「マリアも、桜井、なの」
カールした髪の奥でマリアの表情が曇る。
まさか。甲斐は全員に視線を向ける。
「どうやら皆さんお察しの通りでしょう。改めまして名は勅、姓は桜井でございます」
そして女たちは順番に名乗り始めた。
桜井甲斐
桜井マリア
桜井艶
桜井勅
桜井東雲
桜井曼荼羅
桜井五百城
桜井杏子
桜井鏡
桜井読者
全員の姓が一致していた。
人狼についての予備知識を夢の中へ誘われる前に得ていたこともまた一致している。
何のために?
スマートホンには余白があった。さらにスクロールさせていく。
**********
この中に本物の桜井は七人のみ。紛れた人外三匹を駆逐しなければ永遠にこの世界に閉じ込められるだろう。
**********
「さしずめ人桜ゲームだな。ボクらは試されている」
ベージュの長い布を纏ったのは鏡だ。西方の異国情緒溢れる装いは神秘的のひとことに尽きる。
「能力ってあれだろ、吸血鬼か、そうでないか分かったりするやつ」
鏡の右隣であぐらをかいている曼荼羅もまた能力について知識を蓄えているようだ。彼女はオールバックの髪を背中に流している。
「悠長に話してる場合かな」
そこに水をさすように、口を挟むのは杏子と言う女だ。刹那に曼荼羅と睨み合う。
「オレの意見が気にくわないのか」
「はあ、そんなんじゃないよ。でもルール知ってるんでしょ、ならさ、今夜は一人死ぬんだよ。吸血鬼に殺されるんだよ」
腕捲りをしていた曼荼羅が即座に身を引いた。杏子の台詞はもっともで、今夜無作為に吸血鬼は誰かを八つ裂きにする。
「みすみす殺されるのを待つしかないの?」
恐怖を圧し殺して甲斐が呟く。
「そんなのいやです!」
さっきまで落ち着き払っていた勅が急に狼狽え始めた。着物が乱れて襦袢が剥き出しになる。宥めようとする甲斐の制止を振り切って、勅は障子戸を突き破り、外の暗闇へとまっしぐらだ。
「ちょっと勅さん!」
慌てて追いかけようとした甲斐は艶に左手を引き戻される。離そうと振り返ると艶はぐったりしていた。
「艶?」
額に手を当てると熱がある。川で濡れて風邪をひいたのかもしれない。まだあどけないマリアと苦しげな艶を残して勅を探すのは流石に遠慮せざるを得ない。
今度は右肩が重くなる。マリアがのしかかってきた。スースーと寝息までたてている。この肝心なときに。
「おいっ、鏡」
倒れた鏡を支える曼荼羅と目が合う。すぐに彼女も鏡に重なるようにしてうつ伏せになった。
他の女たちも次々と眠りこけている。
ついには甲斐も意識が薄れてマリアの胸に崩れ落ちた。