放課後
ゲーム好きならば、ルールを知らないといけない。放課後、西日の射す教室で、誰かが語っていた。
熱心に耳を傾ける蛍の横で、甲斐は上履きをパタパタさせて足を前後に揺らしていた。椅子で囲んでひとつの机に、総勢二三十人が顔をつき合わせる。
人狼しようよ。聞き慣れないワードに、惹き寄せられた仲良しグループたちは、発起人の説明に思考を委ねる。好奇心旺盛な蛍は興味津々で身を乗り出す。
「こんなにたくさんいるならさ、十人でやればいいかな。二つか三つのグループに分かれて、まあ、それはいいとして。簡単に言うとね、村人が残るか、狼が残るか、勝敗の条件はそれだけさ」
十人のうち、村人陣営は七人、狼陣営は三人。それならやったことがある、と声がちらほら。
「何か能力はないの?」
「あるさ」
と発起人は笑う。
「村人のなかに。占い師、霊媒師、騎士がいる」
「へえ、霊媒師って、死んだ人と話せるとか。騎士はなんだろ」
熱っぽく蛍が問いかける。人だかりは少しずつ減っていく。みんなルールを覚えるよりも、体育館でバレーをしたり、校庭でサッカーしたり、それぞれにやりたいことがある。
黒板は日直がきれいにしたからまっさらだった。
発起人はそこにチョークで書き込んでいく。
占い師。
夜に一度だけ生存者を指定できる。
狼か否かを判別可能。
霊媒師。
夜に一度だけ死亡者が狼か否かを判別可能。
騎士。
夜に一度だけ生存者を指定できる。
指定した生存者は狼の攻撃から護ることが可能。
「ちょっと待ってよ。夜に一度だけ、って何さ。昼はすることないのか」
「そんなわけない。昼こそ醍醐味満載さ。それぞれから発言を引き出して、誰が狼かを推理するのさ」
「誰が狼かを?」
蛍がごくりと喉を鳴らす。
「昼と夜が交互に訪れるのがこのゲームの特徴さ。昼に議論し合って、怪しい奴を処刑する。つまり霊媒師はその日の夜に処刑された奴を判別可能ってこと」
「夜は代わりに狼が誰かを指定して、殺害するんだっけ」
甲斐の発言に発起人は頷く。
「基本的に、日を追う毎に二人死ぬ。初日だけは特別で、狼が無作為に誰かを殺してスタート。実質九人で開始だね」
占い師、霊媒師、騎士がそれぞれ一人ずつ。それと初日の無作為犠牲者。
「あとの六人のうち、一匹は狼だとすると、五人はただの村人かしら」
「いや、狼は二匹」
「じゃあ四人は村人ね」
「そうとも限らない」
ややこしい、と眉をひそめる蛍同様に、甲斐も頭がパンクしかけている。黒板をぎっしりと埋め尽くす文章や図を脳内再生していく。
教室の後方で金魚の水槽がぶくぶくバブリングしていた。
金魚A「占い師」
金魚B「霊媒師」
金魚C「騎士」
金魚D「狼1」
金魚E「狼2」
金魚FからJ「ただの村人」
「ってことでいいかしら」
「ん、甲斐、それだと狼サイドが一匹足りないね」
もう話を聞いているのは蛍と甲斐だけになっていた。水槽のオオカナダモに隠れたらんちゅうが狼に思えた。
餌の瓶からパラパラと粉末を落とすと、パクリと金魚の口が開く。発起人は蓋を閉めてまた話を続ける。
「そうそう、今回は狼が二匹だからね」
金魚FからJにバツ印を書く。そして発起人は赤で大きく交差したバッテンの隣に新しく
金魚F「狂人」
金魚GからJ「ただの村人」
と加えた。
「これでパーフェクト」
「狂人?」
急に出てきた能力に蛍が戸惑う。
「狂人は占い師に選択されても、狼ではない、となる。だけど狂人は誰が狼か分からないし、狼も誰が狂人か知らない」
「不思議な能力ね。何のためにいるの」
「このゲームは騙し、それが重要。狂人は他の能力を偽ってもいいのさ」
「それじゃ占い師が二人出てくることがあるってことか」
「蛍くんは頭がいいね」
発起人は嬉しそうに頬を上気させる。
「勝敗は簡単。村人は狼を探して昼に処刑して、二匹全滅させればいい。反対に狼陣営が村人陣営と同数以上になったら狼の勝ちだ」
ここで蛍が手を挙げる。
「あのさ、質問。昼の処刑って」
「投票さ」
と発起人は即答する。
金魚Aに向けて、他の金魚BからIの矢印が引かれる。
「多数決で金魚Aは処刑。さよならだ」
「なるほど。それと今のでJがいないのは初日に無作為に殺されてるってことでいいよね」
「ははは。やっぱり蛍くんは賢いなあ」
さて、ルールが分かったことろでと、がらんどうの教室を眺め回して三人で落胆の色を浮かべる。
「今度は実戦から始めようか」
発起人は唇の端をひきつらせていた。
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母屋の廊下は長く、暗闇に先が隠されている。歩くほどに軋み、三人の重みだけで抜けてしまいそうだった。
燭台が両側に等間隔で設置され、身を寄せ合って進む。
甲斐の肘にはりつくマリアのか細い手はポッキリ折れてしまいそうな儚さを秘めている。
二人の少し後ろを艶がついてくる。濡れた足跡は恐らくシミになっていることだろう。
「あれ、明かりじゃない」
ぼんやりと白い襖が朧気に待っていた。ひとりぶんの隙間が空いていて、そこから光が回折してくる。
「それに音」
こーん、こん、と不気味なリズムで招かれる。さらに囁きとおぼしき声も聞こえてくるではないか。
意を決して襖に指をかける。せーので横に引っ張ると、虹色の光に全身が包まれる。
くらんだ目を開けると、そこは畳敷きの間で、天井の高さは気が遠くなりかける。
「ごきげんよう」
着物の袖が柱の裏側でなびいている。
「誰かいるの?」
甲斐の言葉に反応して、肩、頭、の順に姿を露にした女は、控えめに見積もっても眉目秀麗であった。
「ふふ、驚きましたか」
深い黒の生地はわざとらしいてかりは抑えられており、金色の刺繍というのか、流れるような曲線が適度に施されている。
「申し遅れました。名は勅でございます」
穏やかな口調で以て、勅は握手を求めてきた。
「ええ、よろしく。わたしは桜井甲斐」
すると勅は一瞬怪訝な表情をしたが、すぐに柔和な笑顔に戻った。少し冷たい肌をしていた。
「こっちはマリアと艶」
紹介するとマリアと艶は軽く会釈する。
「お人形さんみたいですねマリアちゃんは、それと艶さんはどうして濡れているのかしら」
「ああ、これは水車小屋の近くで溺れていたから」
艶の代わりに甲斐が答える。
「ひい、ふう、みい。あとは四人かしらね」
「四人?」
首を傾げるマリアと、妙に納得した様子の艶。甲斐もマリア同様に、残り四人の意図を把握しかねていた。
「あら、マリアちゃんは初めてだったのですね。失礼致しました。今宵は選ばれた七人で儀式が執り行われるのですよ。それほど難しいことではございません」
部屋には四人以外の気配はない。これから集まるということか。
「甲斐さんたちは眠って目覚めたらここにいたのではありませんか?」
「うん、そうだけど」
「そうやって百年に一度、七人の女性が選ばれてやって来るのですよ。もう少し待ちましょう」
さっきから勅の説明は筋が通らない。
百年に一度?
七人の女性?
「ちょっと状況がが飲み込めないんだけど」
「ふふ。そうですよね、でも、いずれ分かります」
困惑する甲斐たちを歯牙にもかけず勅はおっとりした様子でその場に座りこんだ。
夜は深まりどこかで獣の咆哮が聞こえた気がした。