はじまりの地はここに決めましたの
浮遊感がゆっくりと消失し再び足元に地面の感触を感じると閉じていた瞳を開けた。室内だった先程とは一転し日の光に思わず目を細める。うん、成功した!
遠くで鳥の鳴く声、外気の温度の高さに小さくガッツポーズを作りにまにまと笑みが零れる私の背後からドレスを引っ張られる。
「チップ! 成功よ!」
「お嬢様ぁ~…、ここ何処なんですかぁ」
逃げ切れたというのにおどおどと聞いてくるチップに、くるりと振り返る。辺りを見渡し
「何処って、シージュ街よ」
「や、やっぱり! って、元シージュ街でしょう!? 2年前に魔王軍の襲撃で廃墟になった場所じゃないですかっ」
「そうよ!」
「ほらっそこらに瓦礫が! 何でこんなところに転移!? あ! お嬢様失敗…」
「してないわ!」
失礼な。大体自分で発動したわけじゃないから間違えるわけないって分からないのかしら。
自分より頭一つ高いこの男、チップ・デルデーは元々屋敷に仕えていた庭師を無理やり私の従者にと引っこ抜いたけれど、元来の性格か周囲の評価が良くなかったのか常にマイナス思考気味だ。
「え、じゃあお嬢様ついに頭のネジが…」
「飛んでないわよ!」
キェーーッ……
「ひえっ!!」
「野鳥の声ぐらいで驚かないの」
「絶対違います! 魔物化したやつですよ~!」
振りほどいたというのに、またドレスをがっちりと掴まれる。全く少し大きな鳥ぐらいで情けない。
いつまでもこの場所のままってわけにも…。小さくため息をつくと髪を片手で払い、チップを腰に付けたままとりあえず歩を進めることにする。
「ど、どこに行くんですか!?」
「あー、もう。貴方は黙ってついて来なさい」
暫く歩くと瓦礫が減り損傷の少ない建物が見えてくる。ときおり空から聞こえる野鳥の鳴き声に背後から引っ張られるのが少し、いえ段々と気持ちが…。
いい加減ドレスを振り解こうと思った頃に目当ての建物の前に到着した。
「お嬢様、ここは…」
頭の上からの声に腰に手を当て、フフンと鼻を鳴らす。実家の屋敷と比べると小さいけれど前世での日本の暮らしを知っている私にとっては別荘だ。庭も一応ちゃんとある。
「私たちが今日から住む場所よ! どう?」
「住む場所って、えー…」
「もう、さっさと入りましょ」
胡乱な視線をスルーしつつ扉の前に立つ。片手を扉にかざすと淡い光が扉を囲い、静かに消えた。
少しだけ緊張しながら扉を引くと室内は光が差し込んで、まるでつい先ほど出て行ったかのように埃一つない状態の空間がある。
よしっ。ここまでは計画通り。ひとまず部屋を確認するもどこも損傷のない状態。むしろ香辛料など置いてある。キッチンにバスタブ、ベットまでちゃんと完備だ。
椅子へと腰掛けるといつのまにかキョロキョロと室内を見回ってきたチップが隣に来ていた。
「誰か住んで、るとか…? え、お嬢様」
「住んでないわよ。言ったじゃない私たちの住む場所って」
「でもこれって準備完璧じゃないですか、お嬢様3年間寮生活でしたよね」
トントンと私の前のテーブルを叩くとおずおずと前の椅子へ腰かける。
「そうよ。貴方にも少し説明したでしょ? 他にも協力してくれる人がいたってわけ」
「説明って、卒業パーティーに逃げるから必要な物を持って、合図をしたら来いってだけじゃないですか。全く意味が分からなかったんですからね」
「でも事実だったでしょう。私は今日あのバカ王子に婚約破棄どころか捕らわれそうになった」
「バッ……ふ、不敬ですよ!」
前のめりになったチップを制して持ってきてくれていた包みからグラスを出す。指先に少しだけ魔力を流し水を作った。
「とりあえず水。落ち着きなさい」
「…ありがとうございます」
こくり。
「って、有耶無耶にしないで下さい~!」
「もー、バカ王子でいいじゃない。散々我慢してきたんだから。それにもう国外よ。不敬も関係ないったら」
「……分かっていてここへ飛んだんですかお嬢様」
チップへとウインクしてあげると大袈裟に肩を落として溜息をされた。失礼ね。
チップの言いたい言葉は分かるけど答えてはあげない。そう、ここは先程までいたイラーン王国ではない。正しくは2年前に王国から捨てられた街だ。
2年前、魔王軍からの襲撃により激しく破壊されたシージュ街の民は逃げ、王国は兵を引いた。ここは海沿いで港もあるが魔王の統括する地に接している街の為、他の国からは回避され易く交易が盛んだったわけでもない。これといった特産物もないこの街に王国としては再生させるよりも手放したほうが懐が痛まなかったというわけだ。
「バカね。悪役令嬢としての終息地としてはおあつらえ向きじゃない?」