92 トレント・サバイバーズ
イナリが小屋の中で座ってお茶を堪能していると、突然、微細な振動を感じる。
「……む、地震かや?……いや、違うのう。これは……何かが爆発しておる音かや?」
僅かに聞こえる音の正体が気になったイナリは、ごくりとお茶を飲みきって小屋を出ると、音のする方角を確かめる。
「川の方から音がするのう……もしや、エリック達が来たのじゃろうか」
この前来たチャラ男の例のように、全く知らない者がここに来る可能性も無いとは言い切れないが、時期や川から来たということを考えると、エリック達が来たと考えるのが一番妥当そうだ。
イナリが街に連行された時以降、彼らの戦闘の様子を見てはいないが、素人目でも異様な戦闘力は確認できたし、最高で十とされる冒険者の等級が八ということは、エリック達の戦闘力は相当なものであろう。
ともすればきっと今頃、イナリが今いる安全圏を囲むようにびっしりと張り付いているトレントは、エリック達の手によって対処されているのだろう。それは今イナリの耳に入っている、この音が何よりの証拠である。
「どれ、ちと様子を見に行くとするかの」
イナリは川の方へと歩いて行った。
イナリは一瞬だけ、植え損ねたオリュザの種をついでに持って行っても良いかと思ったが、それは後回しにしても問題は無いだろう。
それより今は、以前エリック達の戦闘を見たときはエリスに抱えられていたということもあって、あまり落ち着いて見られる状態ではなかったから、今回は改めてじっくりと彼らの戦闘を観戦しに行く方が楽しそうだ。
あるいは、イナリが着いた頃にはトレントが全滅していてもおかしくない。その時には労いの言葉でもかけよう。
そんなことを考えながらイナリは音のする方へと近寄っていくが、一向にその音が止むことは無い。どころか、激しさを増しているような印象を受ける。
イナリがこちらへ向かうきっかけとなった爆発音は依然として鳴り続けているし、さらに注意して聴けば、刃物がぶつかるような音に加えて、恐らくトレント達のものだろう、土を貫くような音や葉がガサガサと鳴る音も聞こえてくる。
「一体どのような戦闘を行ったら斯様な音が鳴るのじゃ……?」
一抹の不安を感じたイナリは、歩く足を速める。
イナリが川に着いて周辺の様子を確認すると、先ほどまでは安全圏との境界がわかるようにびっしりと整列していたトレント達が、今は外側のある一点に向かって押し寄せていた。
それも、カサカサという擬音が似合いそうな感じの足取りで、大量にである。
横一列にトレントが並んでいた光景でさえかなり精神的に厳しいものがあったのだから、恐らくその中心部は、一般人だったら正気を失うような光景が広がっていることだろう。
「な、何じゃかすごいことになっておる。だ、大丈夫じゃろうか?」
そんなことを考えながらイナリが背伸びしてトレントの向かう先を確認すると、トレントの隙間から火の玉や、エリスが以前展開していたような結界らしきものの光が見える。
そして、よく聞くと、トレント達の動く音に紛れて、人間の会話が聞こえてくる。その声はイナリに馴染みある者達の声であった。
「もう、何こいつら!無限に湧いてくるしめんどくさすぎ!キモいし!!」
「おい、流石にこのままだと押し切られかねないぞ!どうするんだ!」
「エリス、結界はあとどれくらい持つ!?」
「今のペースだと長くても五分です!このまま防戦一方では厳しいので、どうにか対処しないとマズいです!」
耳を澄ませて聞こえたエリック達の会話からするに、彼らの力をもってしてもあまり状況は芳しくないようだ。
イナリのいる側からは確認できないが、このトレント達の機敏さを考えると、エリック達は全方位を囲まれて方角の把握が難しくなり、撤退すら厳しくなっているのだろう。
一応川の形や流れから推測はつけられそうだが、トレントが地面に根を刺して水の流れをメチャクチャにしていることもあって、とてもそんな余裕はなさそうだ。
「ここはひとつ、我が手を貸してやるとするかの。……おーい!我の方に来たら安全じゃぞー!こっちじゃぞー!」
一先ず、安全を確保するために彼らに行くべき方角を示す。かなり騒がしいので伝わるかどうかはダメ元での行動であるが、果たしてエリック達にイナリの声は届くだろうか?
「……うーむ、流石にそう容易くはいかぬか。おぉーい!」
予想通り、トレントや戦闘音にイナリの声がかき消されてしまうので、イナリは何度も声をかけ続ける。
「はっ!?イナリさんの声がします!!何か、呼ばれてます!私から見て右の方です!」
「右……そっちか!少しずつ進んでいこう!エリスを中心にして、リズは進行方向に火球で道を拓いて!僕とディルが周りのトレントを抑える!」
「了解だ!」
「わかったよ!」
どうやらイナリの声が届いたようで、彼らはこちらへと少しずつ近づいてくる。
「ふう。我の声が届いたようで何よりじゃ……」
一仕事終えて安堵したイナリは、トレントの方を眺めながら一息つく。
しばらくすると、トレントの間から見えるエリック達の姿が少しずつ明瞭になってきた。
改めて彼らの戦い方を観察すると、どうやら、エリスが防御結界を展開して一定の領域を確保しつつこちらに進んでいるようだ。
恐らく、何度も攻撃を受けるとやがて結界が解除されてしまうのだろう、他の三人がトレントが結界を壊されないように守っている。
「どれ、我も少し戦闘とやらに参加してみるかや」
イナリは手元で風刃を生成して、エリック達の位置とは重ならない位置のトレントに向けて撃ち込んでみることにした。
エリック達の援護に加えて、今まではただの木にしか撃ち込んだことが無いため、ここらで一度、魔物に対する効力も見ておくべきだろうと判断してのことであった。
「……ふんっ!」
イナリが風刃を飛ばすと、それは見事トレントを二体切断することができた。
「お、おぉ……!」
この世界に来てからというもの、木を一本切り倒すのにすら何度も風刃を使わなくてはならなかったために、若干自信を失っていたイナリだが、魔物に対してはそれなりの力を持つようである。
当然副作用として疲労が襲ってくるが、今はそれすら心地よく感じる。
イナリはガルテから貰ったベルトからブラストブルーベリーを一つ外して、さらに誤爆防止用の金具を外して口の中に放り込みながら、満足気に頷いた。
「……うーむ、必要な措置とはいえ、ちと面倒じゃなこれ……。そういえばコレ、効くのじゃろうか?」
イナリはもう一つブラストブルーベリーを手に持って首を傾げる。
「えぇっと、確か……このピンとやらを抜いて……投げるんじゃったか……?」
ガルテに説明された、うろ覚えなこの金具の使い方を思い出しながら、イナリはぽいと実を、トレントに向けて放り投げる。
「……む?爆発するのでは―」
十秒後に爆発するという説明を失念していたイナリが、投擲したブラストブルーベリーが不発であったかと疑った瞬間にそれが爆発し、その周辺にいた三、四体のトレントの根や幹を抉った。
「わ……わお……」
思いのほか高い威力にイナリは思わず竦んでしまう。以前ディルにこの実が爆発する様子を見たときよりも威力が高いように見える。きっとあの金具が原因なのだろう。
今一つ投げてしまったので金具は残り五個だが、使いどころは考えた方が良さそうだ。
イナリがそんなことをしている間に、エリック達がすぐそこまで近づいてきていた。
「おぉ、何とかなったようじゃな!」
最早援護などする必要も無いだろうと判断したイナリは、エリック達が完全に安全圏に入るまでその様子を眺める。
そして安全な場所まで来たところで、イナリは手を上げて声をかける。
「よく来てくれたのう、歓迎するのじゃ!……ええっと、その、大変、じゃったな?」
エリック達はそれなりの数トレントを倒しているはずだが、イナリがそちらに目をやれば、未だに大量のトレントがひしめいている。
「いやあ、本当にね……」
そう言いながらリズが杖を地面に立ててしゃがみ込む。
その際チラリとイナリの方に目を向けてくる辺り、リズには今回の事態の原因がイナリにある事はわかっているのだろう。それを察したイナリは目を泳がせた。
「イナリちゃんのおかげで助かったよ、ありがとう。あのままだと、ただじゃ済まなかっただろうね」
「久々にヒヤッとしたな。いよいよ魔王も本腰を入れてきたみたいだな?」
「本当、イナリさんには感謝しかありませんよ。大量のトレントを検知した時は死を覚悟しました……。皆さん、怪我などはありませんか?」
「僕は大丈夫だ」
「リズも大丈夫だよ。死ぬほど疲れてるけど……」
「俺は少しトレントとの戦闘で擦ったが……まあ、ポーションで治せる範疇だな」
「そうですか、大きな怪我無く無事でよかったです。あ、これ、擦り傷用のポーションです」
「おう、悪いな」
エリスが鞄からポーションを一つ取り出してディルに手渡す。
「ひとまず大丈夫そうで何よりじゃ。ならば、ここはトレント共が煩くて落ち着かぬじゃろうし、我の家へ来て休むが良いのじゃ」
「そうさせてもらおうかな。じゃあ皆、もう少し歩こう」
「うええ、もう立ちたくないぃ……」
「まあ、トレントの隣で過ごしたいんなら、ここにいても良いんじゃないか。お前一人になるだろうが」
「元気出ました!リズ、歩けます!!!」
「おう、じゃあさっさと行くぞ」
イナリを先頭に、一行はイナリの家へと向かって歩き出した。
昨晩、あらすじを書きなおしてみました。前と比べてかなりいい感じになった気がします。




