88 聖女アリシア ※別視点
エリス視点です。
「はあ……疲れました……」
イナリさんが家に帰ってから二日目です。今日回復魔法を受ける予定であった患者の方の治療が終わり、私は椅子にもたれかかります。時刻は夕方くらいでしょうか。
よりにもよって、私の癒しが無くなってしまったこんな時に限って連勤することになってしまうなんて、最悪です。ただでさえ、イナリさんの十分な見送りもできていないのに……。
とはいえこの予定はイナリさんがくる以前から組まれていたものですし、万が一、私がいなくなって失われる命がある可能性がある事を考えたら、仕方ないことではあるのですが。
私の本業は回復術師で、素質が要求されるような職業なので、どこにでもたくさんいる職業ではありません。恐らく、そんな中で私が冒険者として活動できているのも、虹色旅団がこの街でも有数の冒険者パーティだからでしょう。
それにしても……。
「……暇ですね」
基本的に、予定されている治療を終えたら、その日は夜までずっと待機するというのが基本です。
たまに急患が運ばれてきたりしますし、ヒイデリの丘が魔境化した直後は怪我人も多く、運び込まれる人々も少なくなかったですが、今は魔境化に巻き込まれた人々もこの街まで避難して、迂闊に近づくような人もいなくなったため、平常運転に戻っています。
「帰ってイナリさんとふれあいたい……あ、今は居ないんでしたね、はあ……」
イナリさんの事を考えては昨日の事を思い出して気落ちします。帰ってもイナリさんがいないし、寝るときも一人です。ものすごくベッドが広く感じました。
我ながら、流石に依存が過ぎるような感じはしていますが、イナリさんが持つ癒し効果はそれほどの威力があるのです。パーティメンバーの皆さんにこの話をしても「何言ってんだこいつ」と言いたそうな顔をされるだけでしたが。
何なら、ディルさんに至っては口に出して言いやがりましたし。……昨日の夜、どうやらリズさんの昔の話を勝手にイナリさんにしたとかで酷く怒られていましたし、ディルさんって、かなりデリカシーが無い人です。一緒に叱られていたエリックさんは、多分ディルさんに巻き込まれただけでしょうし。
昨日の事と言えば、イナリさんの不可視術に認知に作用する問題があったというのには驚きました。
完全に偶然でしたが、イナリさんの毛を拝借してお守りを作っておいたのは正解でしたね。イナリさんは自身が神だと言い張っていますが、それはさておき、何か特別なところがあるのは本当かもしれません。彼女曰く、昔髪の毛が呪いに使われたとか言っていましたし。
……後で改めて、しっかり承諾を取っておきましょう。事後でも承諾が得られたらそれは問題ないのです。……そうですよね?
そんなことを考えていると、隣から声がかかります。
「エリス様、昨日からずっと何か物憂げな表情をなさっています。それに、少々冷静さを欠いているようにも。もし体調が優れないようでしたら、本日はお休みになられてはいかがでしょう?」
「聖女様、い、いえ、大丈夫ですよ」
隣にいるのはこの街の聖女、アリシア様です。
聖女というのは、主要な都市や街に一人置かれる、神託を受けるための訓練を積んだ者のことで、神託という形で神と直接つながる必要がある以上、回復術師以上に素質や厳しい訓練が求められる職業です。
その訓練の中には回復術師が行う訓練も含まれており、回復術師の互換的な側面も持っています。
そんな理由もあって、聖女は常に神託を受けるわけでは無いので、アリシア様は普段、回復術師として業務に当たっています。
他の地域では戦争に赴いて腕を揮うような聖女や、結界を張ることに特化した聖女もいるようですが、そこは人それぞれです。
「……二人の間は昔のように、聖女様、ではなく、名前で呼んでくださって構いませんのに……」
「いつ誰が見ているかわからないのですから、聖女様が私に対する言葉遣いを丁寧にしているのと同様に、私も丁重にしなければならないのですよ」
アリシア様は、私と同じ神官養成所で子供のころから仲が良かった友人です。
お互いに聖女と回復術師という役職になってからは、このような堅い口調で会話するようになりましたが、疎遠になったというわけではありません。
私がアリシア様に言い返すと、彼女はむっとした顔で話してきます。
「じゃあ、私が口調を崩せば、エリスも普通に話してくれるってこと?」
「……アリシア様、誰かが来たらすぐに正すのですよ」
「うん。こんなふうになれるのってエリスの前くらいだからさ、大目に見てよ!」
アリシア様の本来の性格は普段の聖女としての姿とはかけ離れているので、一緒にいる私はいつ誰が来るかもわからず気が気でないのですが、アリシア様もたまには羽を伸ばしたい時があるのでしょう。
アリシア様は居住まいを崩して笑いかけてきます。
「で、どうしたのさ?何か、昨日からずっとそわそわしてる」
「その、この前、私のパーティで保護している子が新しくパーティに入ったという話をしましたよね?」
「あー、何だっけ。イナリちゃんだっけ?何か最近いきいきしてたのって、その子の影響もあるのかな?」
「ええ、そうです。あまりパーティメンバーからは理解されないのですが、その癒し効果はものすごくて、その辺の売店で売っている効果があるのかないのかわからないようなアロマとは違い確かな癒し疲労回復睡眠に効く最強の女の子です。最近は好感度を高めていった結果一緒に寝ることも可能になって睡眠の質がものすごく上がりました。それに力を持たないとても弱い子なのに妙に背伸びをするのがまた可愛くて―」
「あ、ごめん。とりあえずエリスがその子が大好きってのはわかったから、本題に入ってもらっていい?」
「……すみません、少々取り乱しました」
「エリス、昔から子供の世話が好きだったもんね。冒険者として働くきっかけも小さな女の子の魔術師が心配だったからなんでしょ?まあ、私もその気持ち、わかるよ」
「そういえばそんなこともありましたね」
「冒険者ってあんまりちゃんと知ってるわけじゃないけど、教会にずっといるよりよっぽど楽しいことだと思うよ!私もそういうのに憧れたこともあったし!」
「ふふ、機会があれば、一緒に外を出歩けるといいですね」
「そうだね、エリスとは、ほぼほぼここでしか話せないし。……ついでに、外でも今みたいに、何も気にせずに喋れたらいいんだけどなあ」
「……中々難しいことをおっしゃいますね……」
「はは、まあ言ってみただけ!今も十分楽しいしね!……あ、ごめんね、今度こそ本題に戻そうか。何だったっけ、その……イナリちゃんがどうかしたの?」
「ええ。その……一週間ほど家に帰ることになってしまいましてね、心配でしょうがなくて……」
「まあ確かに、さっきのエリスの様子を見れば、いかに心配しているかはわかるけど……。ちょっと過剰じゃない?」
「普通ならそう思われてもしょうがないかもしれませんが……家が魔の森のど真ん中なんですよ。だから、何かあったら大変な事にもなりかねないでしょう?」
「ええ!?そんな状態で行かせちゃったの!?」
アリシア様が驚きに声をあげますが、すぐに口を押えます。
「……ごめん、騒いだら人が来ちゃうよね。……それで、何で行かせちゃったの?大丈夫なの?」
「一応、結論から言えば、魔物に襲われる心配はないのですが……しかし、環境が突然変わらないかもわからないでしょう?」
「……うーん、結論だけじゃ何とも言えないけど……。本人が行きたいって言ったの?それとも親御さんの都合とか?」
「本人の希望です。魔の森なら作物が育ちやすいから種を植えて育てたいのだと。それと……恐らくご両親は……」
「あっ、そっか。保護した子なんだもんね。至らぬところが、あったね……」
私の言葉に驚いてか、微妙にアリシア様の言葉選びが聖女寄りになってしまっています。
ここでは言葉を濁しましたが、イナリさんは両親が居ないと言っていました。
果たしてそれが示唆するところが、自身を生贄に出すようなものは親ではないという話なのか、あるいは他界してしまって村での居場所を失ってしまったのか……考えればキリがありませんが、いずれにせよ、あまり声を大にして言うことではありません。
「まあ、自棄になったりしたわけじゃなくて、エリスとお仲間さん達で相談した上で行かせたんだよね?なら大丈夫だって信じてあげた方が良いんじゃないかな?」
「……それもそうですね。それに一応、明日か明後日辺りに遊びに行く予定なんですよ」
「へえー、森の中なんだよね?危険じゃなかったら、楽しそうって素直に言えたんだけど……。というか、エリスも気を付けてね?貴重な友達がここに運び込まれてくるのなんて御免だからね」
「ええ。パーティの皆さんは優秀ですから、ご心配なく。それに、どういうわけかイナリさんの家の周辺は安全圏になっているのですよ」
「ふーん?でも警戒は怠っちゃダメだよ?……これ、冒険者の人が良く聞かされるフレーズって聞いたことあるんだけど、本当?」
「あー、どうなんでしょう?私のパーティのメンバーの一人がそういうフレーズを好んで用いるんですけど―」
アリシア様と雑談をして時間を潰していると、部屋の扉を叩く音がしたのち、神官が入ってきます。
「……どうかなさいましたか?」
「聖女様!突然失礼いたします。神託が降りる兆候を観測したとのことで、至急神託を受ける準備をお願いいたします!」
「……承知しました。ではエリス様、私はこれで失礼させていただきます。大変楽しい時間でございました」
「はい、聖女様。また共に仕事ができる日を楽しみにしております」
聖女となったアリシア様が、挨拶を残して退室していきます。
「……変わり身の何とも早いことで……」
部屋に私の声が響きます。
……もう業務時間も終わりますし、私も帰りますかね。
 




