84 謎の来客
その後、イナリ達は何事も無く街から出て、街道の端の方へ寄った。
「この辺で良いかの。不可視術を使うのじゃ」
「りょうかーい」
イナリは同行している二人に声をかけると、街道から見えない木陰に入って不可視術を発動する。
元々、人通りも大して無さそうな道なので、わざわざ木陰に隠れる必要は無いようにも思う。
しかし、万が一、全くの赤の他人にこの術を発動しているところを見られてしまうと都合が悪いので、念には念を入れての事である。
それに、たまに冒険者や湖に釣りに行く人などもいないわけでは無い。現に、少し前まで、昨日ウィルディアとこの辺りを通った時に居たと思われる者の姿があったのだ。
「よし、終わったのじゃ。では、我は家に向かうとするかの」
「おう。エリスも言ってたが、何かあったらすぐ逃げて来いよ。まあ、余程の事が無けりゃ大丈夫だとは思うが」
「イナリちゃん、気を付けていくんだよ。……特にトレントに取り込まれたりしたら大変だから、なるべく近づかないようにね?」
リズがイナリだけに聞こえるように警告してくる。
「うむ、わかっておるわかっておる。それにお主ら、二、三日したら我が家に来るのであろ?しっかり支度しておくからの、楽しみにしておるが良いのじゃ」
イナリはひらひらと手を振りながら二人に背を向けて森へと向かって歩き出した。
「どうしてこう、あいつを見てると不安が拭えないんだろうな……」
「なんだろ、自信満々すぎるせいかな?それか普段の様子を知っているから……?」
イナリは背後から聞こえる話を聞こえないふりをして、二人と別れた。
そして無事、湖から川を上り、イナリは家へとたどり着いた。時刻は夕方に差し掛かったくらいで、若干日が傾き始めているが、まだ辺りはよく見える。
「さて、まずは畑を作るとしようかの。場所は……茶の木の隣でよかろ」
イナリは、アルトと話すのは明日に回すことにして、ひとまず畑を作ることにした。
というのも、今回は一週間近くかけて作物を育てるわけだが、街から持ってきた種を植えるために畑を作ってそこに種を撒けば、あとは基本的にただ待つだけだからだ。
「……土を耕すための道具、あったかの……」
この世界に来てからイナリが栽培した茶の木とブラストブルーベリーの苗は、イナリの手で軽く掘って苗を植えただけであり、耕地はイナリの家には無い。
そして神社に備え付けられていた鍬も、地球に置いてきてしまった。
それもイナリが使ったわけでは無く、神社の管理者がまだまともにイナリの神社を管理していた頃、境内の手入れや、近所の畑の手伝いに持っていっていたものであり、そもそもこちらの世界に来るときに持ちこもうとは露ほども思っていなかったものである。
「うーむ、流石に我が手でどうにかできることではないよの……」
イナリは家の中から外を眺めて唸る。
頑張れば手で耕すこともできなくは無いだろうが、とても一週間どころでは済まない、年規模の話になることだろう。あまり現実的とは言い難い。
「……参ったのう、その辺の石で即席の鍬が作れるじゃろうか……む?」
イナリが部屋を何気なく見回すと、この世界に持ちこんだ短剣が目に付く。
これは火をつけるときの火打ち金としての用途しかなかったために、部屋の隅に転がっていた剣である。
「……ひとまず、今日のところはこれを使うとするかの」
イナリは短剣を手に持って軽く眺めた。何度も火打石をぶつけているにも拘わらず、非常に状態が良く、まるで新品のような見た目であった。
「ふむ、これなら問題ないじゃろう」
イナリは剣を手に外に出ると、畑スペースに目星をつけてしゃがみ込み、剣を何度も地面に突き立て始めた。
「ふう、思ったより時間がかかったのう」
イナリは短剣を片手に、汗を拭って立ち上がる。
辺りは完全に真っ暗になり、月明かりが辺りを照らす時間帯になってようやく、ある程度の耕地が確保できた。その四隅にはその辺にあった枝を立てて、その領域がわかるようになっている。
「明日種を撒いて、成長促進をすればよいじゃろうな。疲れたし、今日はさっさと寝るとするのじゃ」
作業中、イナリはいくらかブラストブルーベリーをつまんで体力回復はしたものの、疲れるものは疲れるのだ。
しかし、ガルテから貰ったベルトのおかげで、手軽に実を取り出すことが出来たのが中々に便利であった。今度会った時に感想を伝えても良いかもしれない。
イナリは両腕を上げて軽く伸びをした後、服に付いた土を掃いながら家へと戻った。
「……軽く水浴びをしてから寝た方が良いじゃろうか。いや、我神じゃし、汚れとは無縁なはずじゃから大丈夫じゃな。それに毎朝、体を洗っておるしの」
身体を洗うよりもさっさと寝たい気持ちが勝り、イナリは自分に言い訳をしながら寝支度を進める。
すると、イナリの耳が茂みから何者かが近づいてくる音を拾う。
「む?動物か魔物じゃろうか。いや、話し声がするからして人間じゃな。はて、このような時間に何者が来るのかや……」
虹色旅団の面々から、散々不審者がいるという話を聞いたばかりであるために訝しむ。
イナリの不可視術が発動している以上、相手が何かしてくるようなことは無いだろうが、もしエリック達が言っていた不審者だった場合、その情報を伝えられるはずだ。
イナリはそう考えながら誰が来るのかと構えていると、茂みから四名の男女が現れる。
「おぉ、ここが件の安全スポットとやらか!すげえ、マジで魔物がいねえ!」
「おい、あまり大きな声を出すな。偶然居ないだけで、お前のその声で近くにいる魔物が寄ってくる可能性もあるだろう」
「うちの相方が悪いな……」
現れたのは、どうやら冒険者パーティのようだ。軽薄そうな印象の男を見て、イナリは思わず「うげっ」と声をあげてしまう。
地球に居たころ、イナリの神社に来ては心霊スポット巡りとか言いながらはしゃぐ男女を思い出してしまったためである。
そんなことはさておき、イナリには男二人組はともかくとして、女二人組の方はどことなく見た覚えがあった。
「うーむ、誰じゃったかの?……あっ、我が酒場で並んでた時に不敬な事を抜かしておった者らじゃな!」
彼女らは、イナリが一人で酒場の注文列に並んでいたところを見て「どことなくダメそう」と評価した二人組であった。
「ふーむ、あの時の事は思うところが無いことも無いが、ともあれ不審者ではなさそう、じゃな?」
不審者ではなさそうではあるが、とはいえ彼らの動向が少し気になったイナリは、寝支度の手を一度止めて彼らの様子を観察する。
どうやら今はその辺から枝を集めて火をつけて、魔の森で狩った魔物の一部を焼いて食べる準備をしているようだ。
「……はっ!我、持ってきた肉を食べておらんのじゃ!……ちと、火を借りて頂くとするとするかの?べ、別に減る物じゃあるまいしの?」
イナリは家の机に放置していた肉串が入った袋から肉をいそいそと取り出して、火を借りる準備に入る。
「いやあ、にしてもよくこんな場所知ってたな!森じゅう魔物だらけだから、過酷なサバイバルを覚悟してたぜ」
「虹色旅団のパーティの人と一緒に作戦に参加した人から聞いたんだ。魔境の中で恐らく唯一安全な場所なんだって言ってたから半信半疑だったけど、本当みたいだね」
「虹色旅団か。アレだろ、確か……最近名前が付いた、エリックさん達のところだ。何か、変な子が入ったとか?」
「そうそう。えっと……あれ、どんな子だったっけ……。ほら、この前酒場で並んでた子で……えっと、ここがその子の家らしいっていうのも覚えてるんだけど、肝心なところが思い出せないや……」
軽薄そうな男と、この前見た女の一人が話している。彼らが話しているのは恐らくイナリのはずだが、その散々な評価にイナリはやきもきする。
もし不可視術を発動する必要が無かったら殴り込みに行っていたかもしれない。そう思えるレベルである。
「エナ、何故そこまで覚えていて忘れるんだ……?」
「いや、本当に思い出せないんだよね、こう、靄がかかってる感じ。カミラは思い出せる?」
「そりゃ当然……む?確かにわからないな……記憶力にはそれなりの自信があったのだが」
「やっぱりそうだよね?こう、喉まで出かかってるんだけど」
どうやらイナリを「ダメそう」と評価した方がエナで、落ち着いた口調で話す方がカミラというらしい。
しかし、最初はイナリを忘れているのかと内心苛ついたものの、話を聞くとウィルディアがイナリの名前が呼べなかった時と状況が似ているように思える。
どうやら、これは不可視術の副作用と見た方が良さそうだ。
「ふーむ、このような副作用があったとはのう。……エリックとエリスは大丈夫じゃろうか?」
不可視術を使うところはリズとディルしか見ていないので、それ以外の者には軒並みイナリの事が認識できなくなっているはずである。
仕事漬けであまり接点が無かったエリックはともかく、常にイナリの尻尾を追い回していたエリスがイナリの事を忘れてしまう可能性を考えると、イナリは形容しがたい不安を感じる。
場合によっては、不可視術の使い方も少し考えなくてはならないかもしれない。
不安に駆られるこの土地の主がいるとは露知らず、エナたちは会話を続ける。次に口を開いたのは、軽薄な男の事を相方と呼んだ男であった。
「というかだな、ここがその、新メンバーさんの家だったとして、勝手に使っていいのか?というかそもそもそれを君に伝えた者の情報守秘義務はどうなっているんだ」
「……あっ、確かに……」
冷静な男の指摘に、エナが動揺する。
イナリとしては、そもそもここに人が来ることを想定して、鳥居や青白く光る石を設置している。そのため、誰かがここに来ることについては、ここら一帯を破壊の限りを尽くすとかでもない限り特に問題ないのだ。
しかし、どうやら冒険者としては、あまりよろしくないことのようだ。
「やはり人間というのは面倒なものじゃ。実に哀れな事よの」
イナリは自身の予備の着替えを枕代わりにするために一つの塊にまとめながら、人間の哀れさを嘆いた。




