52 明かり
「……む、寝てしもうてたか。どれぐらい経ったじゃろか?」
クッキーをつまみながらリビングのソファで横になっていたイナリは、いつの間にか寝てしまっていた。
部屋の中は暗くなっており、外を見ると月の光が窓から差している。……厳密には月ではないが、名前がわからない以上そう言うしかないのだ。
窓に近づいて外を見れば、街灯に火が灯されている様子も見える。
「そういえば、アレは魔道具じゃなさそうじゃな」
以前、街灯に火を灯している少年の姿を見かけたときには特に気に留めなかったが、彼は器用に蝋燭を置いて火を灯していた。魔道具が浸透しているこの街でそれを使わないというのには、何か理由があるのだろうか?
「まあ良いか。さて、明かりは……」
イナリは狐の耳と尻尾を持つが、特段夜目が効いたりはしない。
昔は明かりが無い社会だったので夜でも目が暗闇に慣れていてそれなりに見えていたが、人間が都市を建造し始めてからは常にピカピカとした光に晒されて、そういったこともなくなってしまっていた。
あるいは、もしかしたら今でも、多少人間よりは暗い場所も見えるのかもしれないが、比較したことが無い以上わかりようがない。
「確か魔力灯とかいったかの。確かこの辺に……」
イナリは、ここ数日この家で過ごした記憶を頼りに、魔力灯のあると思われる場所へと向かう。
イナリの記憶が正しければ、このリビングにはいくつか魔力灯があったはずである。
そのうちの一つはエリスが書類に何か書いていた時にその横に置いてあった水晶型の物で、常に同じような場所に置いてあったことも覚えている。
「あった、これじゃな。それで……」
イナリは棚の上に置かれた、自身の記憶と一致する水晶を手に取る。
「……ここからどうするんじゃこれ……??」
イナリが見た限り、手に取った水晶は透き通っていてきれいな球体である。
なので、以前イナリが使い方がわからず苦労した井戸とは違い、多分ここを押したら動作しそうだとか、わからないなりに何かを察することが出来るような手がかりが一切見つからず、そもそも何をしたら動作するのかがわからない。
水晶が置いてあった台座も、見たところただの台座だ。この水晶と連動する仕掛けがあったりはしなさそうである。
「おかしいのう、確かに光っておったはずなのじゃがな?」
イナリは、どの方角から見ても同じ景色の水晶を色々な方向から見ているうちに、何かの拍子に落としたら割れてしまいそうだと感じた。
この水晶の所有者であろうエリスは、普段から優しいので怒ったりはしないと思うが、何か、ここぞとばかりに体で払うタイプの対価を要求されそうで怖い。
「……いや、流石に考えすぎかの……。他に何かなかったじゃろうか」
イナリはそっと水晶を台座の方に戻し、他の場所を探すことにした。
「ここならいけるじゃろうか」
次にイナリが目を付けたのは、キッチンの魔力灯である。キッチンの天井部についている棒状の灯りで、リビング全体は照らせないがそれなりの明るさは確保できるはずだ。
そして何より、キッチンの魔力灯は以前、早朝にディルが操作して点灯させていたところを見ていたので、イナリでも操作できる自信があった。
「確かあやつは魔力灯の側面の辺りをを触っておったのう」
イナリは記憶をたどりながら、天井を見上げ、手を伸ばす。
「……。ふんッ……。ぐっ……」
イナリはまず普通に手を伸ばしても届かないことを察し、その場で何度も飛び跳ねて魔力灯の操作を試みたが、まるで届かなかった。
「ぐぬぬ……こうなったら我にも考えがあるのじゃぞ……」
イナリは部屋にある丸椅子を持ってきて、それの上に立って天井の魔力灯を操作することにした。
「ふふん。我もやればできるのじゃ。これでようやく明かりが灯せるのじゃ」
イナリは椅子の上に登って、そこからさらに背伸びをして、恐らく操作部があるであろう魔力灯の側面を確認する。
「なになに……『ここから魔力チャージ』?」
イナリに魔力灯の詳しい仕組みはわからなかったが、どうやらこの魔力灯は魔力を流す必要があるらしいことは理解した。
「……我、確か魔力が無いみたいな話、されたような……」
イナリはウィルディアが以前、魔力を持つものは誰でも魔力を見れるといった話をしていたのを思い出し、顔を青くした。
「……これ、我、魔力灯使えないのでは……」
もしかしたら、エリスの水晶型の魔力灯も魔力を流せば光ったのかもしれない。
何にせよ、どうやらイナリはこの家では暗闇の中を生きていくほかないようだ。
「……お腹がすいたのじゃ。何か食べに行くかの。はあ……」
何か美味しいものを食べればこの憂鬱な気分も晴れるかもしれない。
イナリはテーブルの上に置いていた硬貨入れを懐に入れ、街へと赴くことにした。
「明かりがある事に安心するときが来るとはの……」
特にどこに向かうわけでもなく、漠然とギルドや商業地区のある方向に向かって歩きながら、イナリは呟く。
地球に居たころは月明りや街灯で視界がある程度確保されていたが、広い室内は光源が限られ、暗闇に慣れていないイナリには少々厳しいものがあった。そのため、今のイナリは暖かな橙色の街灯の光に癒されている。
街灯にどうして魔力灯を使わないのかが何となくわかった気がする。きっと、魔力が無ければ動かせないということもその理由にあるはずだ。
「それにしても、全然人がおらぬな」
以前エリスとリズと共に、日が暮れてから外を歩いた時にはいくらか人通りがあったはずだが、今の街には人影がまるでない。そして街道沿いの建物に灯りが灯っている場所もせいぜい二、三軒程度である。
恐らく日中は何かの屋台であろうものも、人がいない以上ただの装飾品でしかない。
いつの間にか寝ていたために、日が暮れてからどれくらいの時が経っているのかがイナリにはわからないが、もしかしたら今は大半の人間が寝ている時間帯なのかもしれない。
イナリは、誰ともすれ違わないままにギルドの前へと到着した。
ギルドも入り口から見た限り、かなり暗く、静かだ。
「……流石に一人くらい誰かおるじゃろか?何か食べられると良いのじゃが……」
パーティハウスからギルドまでは、遠くは無いが決して近くもない距離がある。ここまで歩いてきて、イナリの空腹はかなり加速しており、家を出る前にブラストブルーベリーの一粒でもつまんでおくべきだったかと後悔し始めている。
イナリはそっとギルドの扉を開き、中を覗く。
「……誰か、おるかや……?」
見たところ、受付カウンターの奥には仄かに明かりが漏れているが、カウンターには誰もいないし、酒場に至っては真っ暗である。イナリは、今まで見てきたギルドとは違った様子に、一抹の不安を覚える。
イナリは内心ドキドキとしながら受付カウンターの方に歩いていき、少し背伸びして台の上にあるベルを弾いて鳴らす。
「はい!只今お伺いします!」
奥から若い女性の返事が返ってきたことに安堵し、イナリは気を抜いて、その場で座り込んで誰かが来るのを待った。
もしかしたらリーゼが来るかもしれないと期待したが、流石にいつでもいるわけではないようだ。
すぐに誰かが奥から歩いてくる足音が聞こえてくる。
「お待たせしました!何か御用で……え?誰もいない……??」
歩いてきたのは先ほど返事をした女性のようだが、どうやらイナリが座り込んでいたせいで、向こう側からは誰も見えていないように見えているらしい。
「も、もしかして幽霊……」
受付の女性の声が震え始めてしまった。イナリは、何か変な方向に話が進む前に己の存在を示すべく手を受付カウンターより上にあげて己の存在をアピールした。
「ここじゃよー」
「うわあああああ!!!!!!」
「な、何じゃ!?!?大丈夫かや!?!?」
突然視界に現れた手に驚いて受付の女性は泡を吹いて倒れてしまったようだ。これにはイナリも驚き、カウンターの横を回って彼女の様子を確認する。
「きゅう……」
「うーむ……こりゃダメじゃな……」
深夜、誰もいないギルドで目を回して倒れる受付嬢を前に、イナリは立ち尽くすほかなかった。
 




