443 イナリに会う者たち
その後もイナリは、箱に入っているもちまるに宴会の料理を時々食わせてやりつつ、スティレやハイドラと雑談に興じた。
そうして時間を過ごしていると、ふと会議室の扉が開いてギルド長アルベルトが現れた。彼は部屋中を一瞥してイナリの姿を認めると、微妙に鼻につく笑みを浮かべながらイナリの元へ向かってくる。
「ああ、まだ帰ってなくてよかった。狐っ子、元気にしてたかね?」
「まあぼちぼちじゃ。お主は相変わらずみたいじゃな」
「ああ。本当は最初から参加したかったが、リーゼに今抱えている仕事を終えないと部屋から出さないと言われてしまってな……体が鈍って仕方がない」
「なんか、大変そうじゃな」
ギルド長の仕事が想像できないイナリは、とりあえず適当な相槌を返した。するとアルベルトは神妙な面持ちでイナリに向き直る。
「さて、こんな場で申し訳ないが……改めて、謝罪をさせてくれ」
「ふむ?」
何か謝罪されることなどあっただろうかと、イナリは小首を傾げる。
もしかして、以前イナリのなけなしの小遣いを巻き上げた件だろうか。一応あの件は意図していなかったとの釈明は受けたが――よくよく考えたら、イナリの口から許すとは言っていなかっただろうか。……だとしたら、あまりにも今更すぎやしないか。
などとイナリが考えていると、アルベルトは頭を下げる。
「今回の件について、冒険者ギルドから何か行動を起こせば、君が大変な目に遭うことはなかったかもしれない。だから――」
「あぁ、そういうことか」
イナリは合点がいった。察するに、これは以前アリシアから受けた謝罪の冒険者版みたいなものだ。そして、行動を起こさなかった神官や冒険者を一切恨んでいないイナリにとっては殆ど意味を成さない謝罪である。
「教会の方からも色々言われたがの、今の我がこうなっているのは、お主らの選択の結果ではなく我の選択の結果じゃ。それに、もしもの話をしたところで何か変わる訳でも無し。気にすることも無ければ、謝罪も不要じゃ」
「だが……ううむ……」
「それでも自分自身が許せぬというのなら、今後の立ち振る舞いを改めたらよいのじゃ。我の小遣いを巻き上げた時と同じじゃ」
「なっ……その件はもう勘弁してくれ!あれからしばらく、俺の信用が失墜して大変だったんだ……」
項垂れるアルベルトを見て、スティレが補足する。
「それは本当。他所の街で活動していたのに噂に聞いたくらいだから。メルモートに幼気な子供に強請ったろくでなしのギルド長がいる、って。もっと盛られた噂もあったけど」
「違うんだ、あれは事故だったんだ……」
「……ちと可哀想になってきたのじゃ」
軽く揶揄ってやるだけのつもりが、罪を自供する犯人のように沈痛な面持ちになってしまったアルベルトに、イナリは思わず言葉を漏らした。
「――そうだ、もう一つ……いや、二つか。用件があるんだ」
意気消沈から立ち直ったアルベルトが、要件を指折り数える。
「まず一つ。これはお宅のリーダーから聞かされているかもしれないが――今回の顛末を上に報告して、狐っ子の家の跡地をキャンプ地点にする計画が立ち上がってしまっていた」
「ああ、そんな感じの事は聞いたのじゃ」
「それが、もしかしたら白紙になるかもしれない」
「む?」
てっきりこの場でイナリの意思を確かめるのかと思っていただけに、予想外の言葉にイナリは首を傾げる。
「あの場所は、何故か魔物が近寄れなかっただろう?」
「そうじゃな」
「それがキャンプ地を作る決め手になっていたんだが、どうにも先日の災害以来、魔物が侵入できるようになったそうだ。……心当たりはあるかね?」
「んや、特には……?」
「そうか」
強いて言えば社が燃えたことくらいだろうか。生憎と、イナリの社に魔除けの効果は無い……はずだ。少なくとも、建築者たるイナリはその認識だ。
「ひとまず、そういう進展があった、というだけだ。引き続き何かあれば連携しよう」
「うむ。それで次は何じゃ?」
「こんなタイミングなんだが、狐っ子に会いたいと来客があるんだ。どうも、二人きりで会いたいらしいのだが……」
「……誰じゃ?」
「狐っ子の姉を名乗っている、黒い狐獣人だ」
「ああ、なるほど。会うのじゃ、連れて行ってくれたもれ」
そんな人物は一人しかいないだろう。イナリは「虹色旅団」の面々に一言告げると、アルベルトに連れられて会議室を後にした。
「――では、話が終わったら呼び出し用のベルを鳴らしてくれ」
「わかったのじゃ」
アルベルトは談話室に到着すると、事務的な言葉を告げて部屋を後にした。妙に振る舞いが真面目なのは、余所行きの態度だからだろうか。
などと考えつつ、イナリは目の前で優雅に座って紅茶を嗜む黒髪少女に向けて声を掛ける。
「――アースよ、久しいのう。もうすぐひと月ぶりになるじゃろうか?」
「そうね。全然お見舞いに来れてなくて、ごめんなさいね」
「んや、よいのじゃ。察するに、我が教会に居るからやりづらいのじゃろ?」
「それもあるのだけれど、地球に戻した転移者の監視がね……」
「ああ……」
てっきり「黒の女神」の方が理由かと思っていたが、どうも地球に戻したカイトの方が本命だったらしい。
「本当、アルトに全部任せたのは失敗だったわ。地球に帰ってきたのはいいけれど、装備を全部そのままなんて信じられない!普通、記憶とか身体とか、諸々調整を済ませてから戻すべきよね!?」
「そ、創造神ならではの悩みじゃな……」
腕を組んでぷりぷりと怒るアースにイナリは苦笑した。
「して、結局カイトの処遇はどうなったのじゃ?」
「装備は私の方で回収して、極力転移前の状態に戻してあるわ。記憶は……消すか悩んだけれど、少し嫌な予感がしたから、夢だったと認識させることにしたわ。世間的には、神隠しに遭ったとでも思われてるでしょうね」
「ふむ」
嫌な予感というのは、イナリの直感のようなものだろうか。あるいは、何か言語化できない不都合がある気がして対応を避けたとかかもしれないが。
「でもね、これはこれで問題があって。事あるごとに『アレは夢じゃなかった……!?』とか『何か大事なことを見落としている気がする……』とか言って、正気に戻ろうとするのよ。そのたび働かされる私の身にもなってほしいわ。おかげで全然落ち着かないし……って、私の愚痴はよくて、今は貴方のことよ!」
アースはそう言うと、体をずいと前に出し、まじまじとイナリを見る。
「貴方の調子がどうか気になっていたのだけれど……まあ、見た通りって感じかしら」
「うむ。全然治らんのじゃ」
イナリは腕をぷらぷらと揺らして返した。
「うーん、おかしいわね。想定の半分くらいのペースかしら?神の力もあまり回復していないようだし……原因に心当たりは?」
「んや、さっぱりじゃ」
イナリが首を横に振ると、抱えていた箱から薄緑色のスライムが顔を覗かせる。そういえば、宴会の会場に預けるのを忘れ、一緒に連れてきてしまっていた。
アースはそのスライムを指さして尋ねる。
「……イナリ。このスライムは?」
「ああこやつか?こやつはもちまるじゃ。くふふ、愛いやつであろ?」
イナリはもちまるを撫でながら続ける。
「最近は四六時中一緒に居るのじゃ。いつも我の身体の傍で動いていての、見ていて癒されるのじゃ」
「……ええと、貴方がそれでいいなら別に文句を言うつもりは無いけれど……気づいてるかしら」
「何がじゃ?もちまるの可愛さならば、我が一番よくわかっておるのじゃ」
「そうじゃなくて」
すっかりもちまるに対して親バカを発揮するイナリに対し、アースは紅茶が入ったカップを机に置き、額を押さえて告げる。
「その子多分――貴方の力、吸ってるわよ?」
「……はえ?」
イナリが手元のスライムを見下ろすと、それは「何ですか?」と言わんばかりにもちもちと揺れていた。




