442 イナリを待つ者たち
何かと忙しいらしいエリスと別れ、イナリ達は早速教会から離れることにした。
しかし、その道を阻むように、聖堂から教会の前の道路まで、ありとあらゆる場所が人々で埋め尽くされていた。故に、車いすで通過するのは決して容易いことではない。
「まだ『時詠みの聖女』はここに居らんのじゃよな?凄まじい賑わいようじゃ」
「そりゃね、有名人を一目見たいって人がいっぱいいるからねぇ。……すみません、通りまーす!」
イナリの呟きに、リズが返しながら道を切り開く。身長はイナリと同じくらいだが、魔術師の風貌と大きな帽子のおかげか、道行く人々はすぐに道を開ける。
その道をゆっくり進みながら、車いすを押すエリックが口を開く。
「中には、人生が変わるような何かを期待している人もいるのかもしれないね。何せ沢山の物語を生んだ存在だし、『時詠みの聖女』と話せば啓示を得られる、なんて言葉すらあるくらいだから」
「ぐぬぬ。存在の尊さも有難みも、我の方が圧倒的に上だというに……!」
「お前の理屈は相変わらずよくわからんが、今回ばかりは相手が悪い。諦めな」
ディルの言葉にイナリは口をへの字に曲げた。もしイナリが完全体であれば、今頃ディルの懐に拳のひとつくらいはお見舞いしていたことだろう。
あるいは、「時詠みの聖女」よろしく、イナリも神の肩書に相応しい武勇伝のひとつでもあったほうがいいのかもしれない。例えば、「魔の森を生み出して世界を混乱に陥れた」とかどうだろうか。
そんなことを考えつつ、イナリは皆へ問いかける。
「お主らはどうなのじゃ?かの聖女を一目見たいと言うなら、別に残っても構わんのじゃ。……あいや、誰も我に着いてくれぬとなると、それは話は変わるがの?」
すると、皆一様に首を横に振る。
「今日はイナリちゃんのために皆集まったんだ。パーティの仲間以上に大事なことなんてないよ」
「そうそう。まあ『時詠みの聖女』が使う聖魔法には興味あるけど……大衆の前では使わないだろうしね」
「それ以前に、お前が許可してもエリスになんて言われるかわかったもんじゃないからな」
「お主ら……」
ディルだけ少し毛色が違う気もしないでもないが、ともあれ、皆「時詠みの聖女」よりもイナリの事を優先してくれるらしい。
「あと、今日お前が外出することは、関わりがあった奴らに伝えてある。冒険者ギルドに着いたら、きっとそいつらもお前を待っているだろうさ」
「うむ……うむ!」
沢山の人々がイナリを囲む様子を想像し、じんわりと胸が暖かくなったイナリは、深く頷いた。この暖かさは、きっと防寒具だけのものではないはずだ。
「全然人、居らんのじゃけど」
人の海をかき分け、ようやく冒険者ギルドに到着したイナリの心は冷めていた。何というか、上げて叩き落された気分だ。この寒さは、きっと冬の寒気だけのものではないはずだ。
普段はそれなりに人が多い時間帯のはずが、ギルドの酒場は閑散としている。ちらほら見える冒険者の中にも顔見知りはいなさそうだ。
「ディルよ、話が違うのではないか?」
「……すまん」
これにはディルも気まずさを覚えたのか、ギルド内を何度か見回した末、一言絞り出すのみである。
「ま、まあまあ。もしかしたら緊急の依頼でも入ったのかもしれないし……」
「お主がのんきに我の車いすを押している時点で、緊急性のある話などあるわけなかろ」
エリックのフォローも空しく、イナリは一蹴して返した。「虹色旅団」の一員として所属しているので、緊急事態があったときにいの一番に声がかかるのが誰なのかくらい、わかりきっているのだ。
「――ああっ!イナリさんじゃないですか!」
かなり居た堪れない雰囲気を醸していた面々に対し、ギルドの受付から駆け寄り、明るく声を掛けてくる人物がいた。
「おお、リーゼではないか。元気にしておったか?」
「はい。皆さん、イナリさんの事を心配していたんですよ」
「……その割に、誰も彼も他所の聖女に夢中らしいが」
イナリが辺りを見回しながらへそを曲げて返すと、リーゼは苦笑する。
「酒場ではイナリさんも落ち着けないと思いまして。丁度会議室が一つ空いていたので、そちらに移って頂いたのです。すみません、不安に思わせてしまいましたね」
リーゼの言葉を少しずつ理解したイナリの目は、少しずつ輝きを取り戻す。
「……ということは、我を待つ者が存在するのかや?」
「勿論です。こちらですよ」
イナリを安心させるように笑みを浮かべたリーゼに先導され、一同はギルドの奥の一室へと通される。
そして案内された会議室の扉を開けると、スティレやハイドラ、冒険者パーティ「疾風」の面々、以前ポーション配りで顔見知りになった冒険者など、十数名の人々の姿が目に入る。
テーブルの上に料理や飲み物を並べ、小皿に取り分けながら雑談に興じていた彼らは、部屋に現れたイナリを見て声を上げる。
「お、今日の主役の登場だ!」
誰かがそう言うや否や、会議室に居た人々が一斉にイナリの傍へと寄ってくる。
「ま、待ってください!そんなに一気に来たら、イナリさんが怖がってしまいます!」
「あいや構わぬよ。こんなに賑やかなのは久々じゃからの、むしろ嬉しいくらいじゃ」
慌ててイナリの前に立ったリーゼを制止し、イナリは皆に笑顔を見せた。
「それより、教会の食事は質素なものが多くて、いい加減飽きてきたのじゃ。さあ、この我に、美味な物を捧げるがよい!」
その声にイナリが快復しつつあることが伝わったのか、皆が安堵の笑みを浮かべていた。
「――ふう。こんなに喋ったのは久々じゃの……」
美味な食事で腹を満たし、一通り皆と話し終えたところで、イナリはふうと息をついた。あっという間に時間が過ぎたし、ここまで喋るのは久々なこともあり、妙な達成感がある。
ちなみに、意外なことに、魔の森でイナリの身に何があったのかという質問は殆どされなかった。というのも、イナリはディルと一緒に街門の近くで見つかったので、一緒に行動していたと思われているようだったからだ。これは何かと事情が多いイナリにとって非常に都合が良いことであった。
そんなこんなで、イナリの世話に徹していた「虹色旅団」の面々にも寛ぐよう促し、一人、息抜きも兼ねて冒険者同士の歓談を傍から眺めていると、イナリの傍にハイドラとスティレが歩み寄ってくる。
「イナリちゃん、お疲れ様!大人気だったね?」
「うむ。どこぞの聖女に負ける我ではないのじゃ」
ハイドラの言葉にイナリは胸を張って返した。このギルドに着いた直後、がらんとしているギルドを見て半ば絶望しかけていたことは、既にイナリの記憶の彼方である。
「火災に巻き込まれたのは災難だった。同志が無事で、本当によかった」
「うむ。改めて、エリスを街へ運んでくれたこと、礼を言わせてもらうのじゃ」
イナリはスティレに向けて頭を下げた。
ハイドラはしばしばイナリの見舞いに来ていたが、スティレに関しては魔の森でエリスを任せたきりであった。だからこそ、面と向かって礼を告げたいと常々思っていたのだ。
「気にしなくていい。当然のことをしたまでだから」
そんなイナリの言葉に対し、スティレは目を逸らしつつ端的に返した。
「して、お主の方は変わりないかの?」
「うん。魔の森の様子も、あの日から少しずつ安定してきている。相変わらず魔物は居るけど、爆発する実は無くなったし、イミテ草も殆ど焼失した」
「そうか。エリックやディルから軽く話は聞いておったが、お主が言うなら一層安心じゃな」
エリック達の言葉を疑っていたわけではない。ただ、エルフであり森に関して詳しいであろうスティレの言葉には、また違った重みがあるのだ。
「ただ、あの森が今後どうなるかが心配。今は教会が総出で調査をしているみたいだけど、もし森を伐採するなんて言い出さないか……」
「ふむ。我の知る限り、今のところそういった噂は無いがの」
「それならいい。場合によっては、エルフとして直談判も辞さない。その時は二人も一緒に手伝って」
「そんなことにはならんと思うがのう」
「か、考えておきますね……」
活動家の片鱗を見せるスティレに対し、魔の森の生みの親とも言えるイナリは唸り、ハイドラは実質的な遠慮の言葉で返した。




