440 時詠みの聖女
ガーディの誤解が解けた日から二日後、部屋の掃除当番のため、彼女がイナリの部屋に訪れていた。
「そういえばイナリさん、聞きましたかっ?近日中に、『時詠みの聖女』様がここにお見えになるらしいですよっ」
「『時詠みの聖女』?」
ガーディはどこか興奮した様子だが、この世界の聖女事情に疎いイナリは首を傾げる他ない。
「その様子からして只人では無さそうじゃが、一体何者じゃ?」
「聖女様の一人で、占い師として有名な方で、予言者とも呼ばれるほどのすごいお方ですっ」
「ほーん……」
ガーディの興奮冷めやらぬ様子に反し、イナリは天井を眺めながら白けた返事を返した。
別に、イナリは占いそれ自体を否定するつもりは無い。未来を知りたいと思う人間の心理は普遍的なものだし、そういった者に占星術だの亀卜だのを用いて、指針を示す者の必要性も理解している。
しかし、占いと予言は全く違うものだろう。それらを混同して紹介されては、胡散臭さを感じてしまうのも仕方がないことだ。
「して、その『時詠みの聖女』とやらは、どういった手品を使うのじゃ?」
「て、手品じゃないですよっ!?……ええと、人や物の過去を知ることができて、その情報を元に少し先の未来を視ることができる、と言われてますっ」
「ふむ?」
イナリは耳をぴくりと動かしつつ首を傾げた。
「その助言を受けることができた人の多くが、歴史に名を遺すと言われていますっ。地方を脅かした魔物を討った英雄や、世間を賑わせた発明の生みの親……たくさんの逸話が、吟遊詩人さんによって歌にされているんですよっ」
「なるほど、のう……?」
話を聞いた限り、どうもイナリの知る占い師とは違いそうだ。
しかしよくよく考えれば、確かにここは魔法の概念がある世界だ。イナリが知らない、未来視を可能とする術も確かにあるのかもしれない。
「立場的に無理だとは思いますけど、叶うなら一回くらい話してみたいですよねっ。それで、私が将来どうなっているか教えてもらったりとか――」
妄想を膨らませているガーディを後目にイナリは考える。
もしこの話が本当なら、イナリは「時詠みの聖女」とは絶対に接触すべきでないだろう。
何せ、イナリは秘密の塊のような存在だ。何かの拍子に過去を読まれてしまっては、イナリの秘密が丸裸にされるだけでなく、この世界の真理に到達し、さらに芋づる式に地球の誕生からの歴史を全部知ることにもなりかねない。
そうなったら、アルトやアースから何と言われるか……考えるだけでも恐ろしい。尻尾がぞわりと震えるほどである。
「ガーディよ、『時詠みの聖女』は何のためにここに来るのじゃ?」
「さあ……いつ来るのかも含めて、詳しいことは何も聞かされてないですねぇ。ただ、お迎えの準備は進めてますよっ」
「そこは曖昧なのじゃな」
「きっと護衛の都合でしょう、悪い人に狙われたら大変ですからねっ!」
「ふむ、それもそうか」
そんな強大な力があるのなら、その力を狙おうとする者は後を絶たないだろう。細かい日程を伏せるのは極めて妥当な判断だ。
しかしこうなると「時詠みの聖女」とやらは本当に只者では無さそうだ。本格的に警戒したほうがいいかもしれない。
ただ問題なのは、イナリが未だに神の力を持たない一般人であり、不可視術や神託、風の操作の一切ができない状態であることか。それはつまり、話しかけられたら最後、もう逃れる術は無いということだ。
「……どうするか、エリスに相談せねばなるまいな」
ガーディが鉢植えに庭から持ち込んだ花を生ける様子を眺めつつ、イナリは小声で呟いた。
というわけでその日の夜、部屋に訪れたエリスに、ガーディから伝えられた内容をそのまま話した。
「――お主、何か『時詠みの聖女』について知らぬか?たぶん、吟遊詩人とか詳しいじゃろ」
あれはいつだったか、エリスは吟遊詩人の間で流行っていた物語の影響を受けて、パーティを追放されるとか何とか、心配性を拗らせてよくわからない懸念をしていたはずだ。
そこから察するに、エリスはこれまで、吟遊詩人に歌われた「時詠みの聖女」の逸話を耳にしていたりするのではないか。そういった期待混じりにイナリは問いかけた。
するとエリスは腕を組んで唸る。
「どうでしょう、大体そういうのって脚色が入りますからね……ですが、どういう魔法かはわかるかもしれません」
「ほう、詳しく話すのじゃ」
「『時詠みの聖女』様の逸話では、必ず占いのシーンでスクロールが現れるんです。そこには、対象者の過去が列挙されていて、最後の方になると現在と、少し先の未来が記される、とされています。ここは基本共通しているので、これが『時詠みの聖女』様の聖魔法でしょう」
エリスは両手を広げて、巻物を広げるような動作をする。
「つまり、我に魔法を使われたら最後、我の過去が全て丸裸にされるわけじゃな?」
「そうですね。ズルいです、イナリさんの事を一番知っているのは私だったのに……」
「流石に相手が悪いのじゃ。それに、我らが共に過ごした時が無くなる訳でも無かろ、何も恐れることはないのじゃ」
「い、イナリさん……!」
感激して悶えている神官はさておき、イナリは毛布の中で尻尾を揺らしつつ考える。
断片的だったりするならまだやりようがあったかもしれないが、読み取った過去の情報を精査できるとなると話は別だ。接触を避けるのは、絶対だ。
「『時詠みの聖女』との接触を避けるにはどうすれば――いや、それ以前に、接触する可能性があるのかから考えるべきかの?」
すっかり「時詠みの聖女」と相対する前提で考えていたが、イナリは表向きただの一般人だ。そもそも会おうと思って会えるような存在ではないのではなかろうか。だとすれば、これまでの懸念は全部杞憂で片付くのだが。
そんなことを考えつつイナリが問えば、エリスは首を傾げる。
「主な目的が何であれ、接触する可能性はあると思います。例えば、教会で保護している人へ慰問とかで」
「ふむ」
確かに、聖女の務めとして怪我人や病人を見て回るというのは自然なことだ。治療とまではいかずとも、「お元気ですか?」「うむ」程度のやり取りなら発生しうるだろう。
だが、それだけでも聖魔法が発動される可能性は否定しきれない。二つの世界の秘密を抱えている以上、「もしかしたら大丈夫かもしれない」という楽観視は排除するべきだ。
「もしそうなったら、どうにかして外に出るのがよいかの?」
「できなくないとは思いますが……世話の当番をうまく調整しないといけませんね。アリシアさんに相談したら、協力してもらえるでしょうか?」
「どうじゃろか」
アリシアはイナリを神として受け入れてくれているので、「時詠みの聖女」に神だとバレたくないから、とでも言えば納得してもらえそうな気はするが――。
「最近のあやつ、ちょっと怖いんじゃよな……」
「怖い、ですか?何かあったのですか?私の方から何か伝えられることがあるなら――」
「あいや、そういうのではないのじゃが。避けられているとでも言えばよいのかの?我には全く心当たりが無いのじゃが、お主、何か知らぬか?」
「……うーん、特には……」
「じゃよな……時期的にはもちまるが来てからではあるが――」
イナリは顔を下に向け、イナリの傍でもちもちしているスライムを一瞥する。まさか、こんな無害で賢いスライムに恐れをなしているわけがない。
「ま、我の勘違いの可能性もあるのじゃ、気にせんでよかろ」
イナリは考えを振り払うように手を振った。
その直後、エリスがハッとした様子で部屋の隅にある道具を指さす。
「もしかして、あの危険な車いすを平然と使っているから、いつ事故が起こるかとヒヤヒヤされているのでは……?」
「……それはあるかもしれぬな」
すっかり忘れていたが、イナリの外出は常に、車いすごと射出される危険と隣り合わせなのだ。
それはまあ、怖いだろう。納得である。




