439 聖女として ※別視点
アリシア視点の回ですが、アリシアのイナリ達に対する認識が(主にイナリのせいで)ややこしくなってしまっているので、忘れてしまった方はよろしければご一読下さい。
<この話までのアリシア視点の神に対する考え>
イナリ:
一悶着ありつつも、神として受け入れた。
黒の女神について話したら大変なことになる呪いを受けている(デマ)
樹侵食の災厄と戦い、神の力を振り絞って討った(と思っている)
アース:
イナリの姉。同じく神。多分アルト神と繋がりがある。
黒の女神の正体だと思っていたが、イナリと対話の上、別人と判断。
とはいえイナリを見捨てていたというし、単純に危険な気がする。
「黒の女神」:
アルテミアに顕現し、汚職に塗れていた神官を一掃したなどの逸話がある。
何かすごい翼とか羽とか角とかいっぱい生えてる(目撃者談)
邪神説とアルトの友人説、天の御遣い説で議論されている。結論は出ていない。
牢獄に召喚されそうになり、アルト神に阻止された(勘違い)
そのついでにイナリに呪いをかけたから邪神だ!(冤罪)
<アリシア視点>
「――聖女様、本日もご足労頂きありがとうございます」
「皆様こそ、こんな危険な場所の監視をして頂きありがとうございます」
ここは、魔の森が火に包まれた直前に突如生まれたドームの入口。
世界樹かと思ってしまうほどの巨木の間には、それこそ巨人がこじ開けたような形でできたトンネルが出来ている。これは、異様に頑丈な巨木に囲まれたこのドームの中で、唯一内外を出入りできる場所だ。
「本日も調査ですか?よろしければ護衛を一人か二人、お付けいたしましょうか」
「いえ、お気持ちだけで結構です。すぐに戻る予定ですから」
「承知いたしました。内部にも警備の騎士や冒険者が居ますので、有事の際はお声がけください」
「はい、ありがとうございます」
聖騎士に会釈しつつ、私はドームの内部へと足を踏み入れる。その先には、絞られた日光により仄暗く辺りが照らされる、どこか神秘的とも言える空間が広がっていた。
この場所で起こった出来事については教会主導で調査や聞き込みを行ったけれども、依然として解明されていないことが大量にある。
その中でも一番大きな謎、魔王が活動を停止した理由については何となく察しがついている。きっと、イナリちゃんが神の力のすべてを振り絞って魔王を討ったのだろう。
でもそれは「イナリちゃんが神である」――つまり「アルト神以外の神がいる」ことを前提とした説明になる。アルト教の在り方と食い違いが生じる以上、世間に受け入れられるものではないだろう。
あるいは、私が後ろ盾になり、イナリちゃんの地位を確立させれば、あるいは――なんて考えることもある。でも、あの子はそれを望まないだろう。そもそも、成功する保証も無いし、どう転んでもイナリちゃんの未来が大きく変わることになるから。
「……うーん、でもなあ」
そうなると、「イナリちゃんの事を知らない」私から見た、この事件についての結論を出さなければならないのだけれども。
「全っ然わかんないんだよなぁ……」
周囲に誰も居ないことを確かめた上で、私は素で呟く。
イナリちゃんの事情を抜きにしても、色々と謎が多すぎるのだ。
このドームが生まれた経緯、ドーム内に生まれた新種の魔物の正体、近くで活動していた魔王崇拝者が何にどの程度関与しているのか――考えればきりがない。
尤も、これは裏を返せばいくらでもこじつけられるということにもなるのだけれども……流石に聖女としてやって良いこと悪いことの線引きは守るべきだ。いや、イナリちゃんという特大の爆弾を抱えている時点で、もうそんなことを言う筋合いはないかもしれないけど……。
あれこれ考えつつ、私はある場所へと到着する。そこは、巨大な魔物の遺体が目の前で穴の中へと消えていった場所――ここもまた、大きな謎が残された場所のひとつだ。
「うん、ここの力の残滓は……やっぱり黒の女神のものだよね」
牢獄の、黒の女神が顕現した場所に僅かに残されていた力の残滓を確認したうえで改めて確認したので、これは間違いないだろう。
「黒の女神は、どうしてこんなことを?」
一応、あの魔物の遺体について最低限の観察をするだけの時間はあった。
だからこそわかる。きっとあれは、元、人間だ。人が何か特殊な方法で神の力を取り込んだ結果生まれた、怪物だ。
これは、教会で預かっている少女、サニーちゃんの事を知っているからこそ導き出せた事実でもある。
だから、単純に考えるなら、あの魔物の遺体に何か都合が悪い事実があったから隠蔽のために回収した線が追える、けれど……。
「それは無いか」
それならば、もっと確実に隠蔽する方法がある。
それは、あの場に居た私や聖騎士ごと消すことだ。イナリちゃんに呪いをかけるほど強大な力を持つ黒の女神が、それをできないはずが無い。
となると、単純に回収が目的だったということになるが……。
「まさか、中身が目的……!?」
あの魔物の元となった人物が取り込んだ触媒を回収するためだとすれば――辻褄は合う。
「となると、あの実験は今もどこかで行われているということに?」
もしそうだとしたら、これはとんでもないことだ。早く調査結果をまとめて、皆に伝えないといけない。
衝撃の事実に動揺してしまったが、これはまだ予想の域を出ない。一度深呼吸して落ち着いてから、再び思考を巡らせる。
「そもそもそれって、黒の女神がその実験に協力していることになるよね」
神が人に協力する――それは普通、ありえないことだ。
……何故か一般神として生活しているイナリちゃんという特例があるけれども、それは一旦置いておくとして、普通は、ありえないことだ。
本来上位の存在が人間に協力する理由――それは何だろう?
例えば、今回の騒動でも何かと話題に上がる魔王崇拝者のような輩か。あるいは、アルテミアで聖女を生み出そうとして実験を重ねていた狂信者か――。
「聖女を、生み出す……」
――もし、もしも人の手で、神を生み出すことが出来たら?
それは、アルト神を崇める聖女にあるまじき思考だった。
どころか、こんな禁忌に触れるような発想は正気の人間がするものではない。それでも、これならばある程度筋の通った理屈が通せそうだ。
神がより完璧な神となるために、実験に協力する。もしくは単純に、触媒を取り込むために回収する……どちらにせよ、これなら死骸を回収する動機も、神が人に協力する理由も説明が出来るのでは?
「も、もしかして、イナリちゃんも……?」
この世界には、アルト神以外の神は存在しなかった。
そしてイナリちゃんが現れたのは、ここ一年以内の出来事だ。しかも、同じくして同じく神であるアースさんが現れ、しかも「見捨てられた」と言っていた。
見捨てられた理由が、イナリちゃんが「失敗作」で、アースさんが「成功作」だったからだとしたら?
「全ての説明ができ……ないな」
駆け巡っていた思考がぱたりと途絶え、私は肩を落とす。
そう、この推測が正しいなら、魔物の回収をした黒の女神はアースさんということになる。それはつまり、イナリちゃんが言っていた「アースと黒の女神は別の神」という話と辻褄が合わなくなってしまう。
「そもそも、どうしてそういう判断をしたんだっけ?」
その場で唸って記憶を辿る。
あれは確か、アースさんの事を深く知るためにイナリちゃんを朝食会に呼んだとき。
――アースさんについて教えてほしいの。私、あの人が黒の女神なんじゃないかと思ってて――。
――それならばこの話をするだけで、我に呪いの効果が出てしまうのじゃ。
そうそう、イナリちゃんがアースさんの話をしても呪いが発現しなかったから、黒の女神とアースさんは別の神だと判断したんだったか。
でも逆に言えば、それ以外の要素は無い。イナリちゃんの発言が虚偽であれば、私の推理はすべて成立する。
「……いやいや、そんなことはないって……うん、無い……よね?」
だが、姉が邪神と疑われていたあの状況。妹が姉を助けようとする心理が働くのは、自然なことで――。
思考が進むたび、パズルのピースが一つずつ嵌るような感覚に陥っていく。私はそれを振り払うように、言い聞かせるように呟いた。
この理屈は筋が通っている、いや、通り過ぎている。
それでも、これはあくまで根拠のない推測だし、そもそもイナリちゃんの言葉を疑うことになるし……何より、イナリちゃんが「存在すべきでない存在」になってしまう。
聖女たる私は、誤った存在は排除しなくてはならない。でも、それは大切な親友であるエリスにとって、もはや取り除くことのできない、かけがえのない存在で――。
「……やめよう。一旦この考えは、無かったことにしよう」
幸い、この場に居るのは私だけ。この思考に至ったのも、至れるのも私だけ。
それならば、私が黙っていれば、一旦は解決するのだ。
あるいは、他所から助けを呼んで、こんな突拍子もない妄想とは違う、しっかりとした調査をしてもらおう。
とにかく、今、この考えは無かったことにしよう。
今日はもう、教会に戻ろう。
私は一度組み上がったパズルをバラバラに戻すように、目まぐるしく思考を巡らせてその場を後にした。




