437 「好き」の形
教会の廊下を、イナリはエリスに車いすを押してもらい移動する。膝の上には毛布を敷き、さらにその上にもちまるが入った籠を抱えているので、冷え込んだ朝もへっちゃらである。
もちまるがイナリの指先の形を確かめるようにもちもち動いているのを眺めていると、エリスが唐突に声を上げる。
「……実を言うと私、少し不安なんです」
「む?」
エリスの言葉にイナリは首を傾げる。
「イナリさんはとても魅力的なお方ですから。イナリさんが神官の皆に見せた思わせぶりな態度にはかなり問題がありましたが、それを抜きにしても、遅かれ早かれこういった問題は起こりえた気がしていて」
「ふむ。まあ我じゃしな。本気を出せば傾国も狙えるはずじゃ」
「以前なら鼻で笑っていましたが、今は否定できないのが怖いです」
「鼻で笑っておったのか……」
しれっと暴言を吐いたエリスにイナリは面食らった。
「私、イナリさんの意思を尊重したいです。でも今回に限らず、イナリさんが私以外を選ぶようなことがあったとき――それを受け入れられると思えなくて」
「ふむ。じゃが、今の我はお主が一番じゃぞ?」
「……それ」
「む?」
「少なくとも、私以外に八人くらいに同じことを言ったんですよね?」
「あっいやそんなつもりではなくてじゃな、今のは本心からの言葉であって、でも別に他の者に言ったのが嘘というわけでもないんじゃけど……ととと、とにかく!お主が恐れているようなことは起こらぬ!」
冷気を伴うエリスの言葉に、失言だったとイナリは慌てて弁明した。その必死さも相まってか、エリスはくすりと笑う。
「ふふ、いいんです、わかってます。イナリさんが私を信じてくれているのですから、私がイナリさんを疑っていたらダメですよね。こんな風に思ってしまうなんて、私、思っていたより独占欲が強かったみたいです」
「はは、何を言っておるか。それは今に始まったことではなかろ」
「え?」
「え?」
二人の間にぴゅうと風が吹いた。何やら両者の間には認識の齟齬がありそうだが、この話題はこれ以上深堀しない方がいいかもしれない。
「ま、まあ、何じゃ。独占欲のことは置いておくとして、お主は心配症じゃからの。どうしても不安なら、我らが重ねてきた時間を他の者らと比べてみるがよい。お主が不安になる要素などあるまい?」
「……そうやって皆さんを誑かしてきたんですね?」
「な、なぜそうなるのじゃ!?」
「まあ、その話は先ほど終わらせたのでいいでしょう。それじゃあ、ガーディさんに会いに行きましょうか」
エリスはそう言って、イナリを「本気で好きになってしまった」という者の元へと連行されていった。
「――あっ、エリス様とイナリさんだっ!おはようございますっ!」
裏庭の一角へ行くと、木鋏を持って木々の手入れをしていた少女がイナリ達へ向けてぱっと笑みを浮かべ、手を振ってくる。
この活力に満ちた少女が件の少女、ガーディである。年齢はエリスと同い年くらいだろうか、特徴的な薄い緑色の髪は左右にまとめられ、朝日に照らされて輝いている。
「あれっ、このお膝に居る子は?」
ガーディはイナリの傍に駆け寄ると、膝の上の透明なスライムを見て声を上げた。
「こやつがもちまるじゃ」
「あぁ、前に話していた子ですね!かわいい~!」
会話の流れを受けて、もちまるが上下に伸縮して挨拶らしき動作を行う。先ほどエリスの空気の変化を察知して逃げた時もそうだが、もう会話こそできないだけで、言語はほぼ通じていそうな様子だ。
「そうだ、せっかくなのでお庭を案内しますよっ!動けるようになったら案内するって約束してましたよねっ」
「あ、ああ……」
「冬の時期に咲く、珍しい百合の花があるんですよっ。きっとお二人にお似合いですっ!それとそれと、美味しいミカンが採れたので、あとで皆で一緒に――」
「ま、待つのじゃ。その、先にお主に言わねばならぬことがあってじゃな……」
「はい、何でしょうかっ?」
ガーディは笑みを浮かべたままイナリの言葉を待つ。
「え、ええと……」
エリスとの会話の流れでガーディに会いに来たはいいものの、何を言うべきかを考えていなかった。そも、この話はイナリから切り出すような話題ではないのだ。
冷静に考えて、直接好意を伝えられたわけでもないのに、こちらから「お主、我を好きになっちゃったみたいだけど、我、そんなつもりなかったのじゃ。すまんのじゃ!」などと抜かすのは、色々な意味で酷だ。
それこそ、彼女の手にある木鋏で尻尾をちょん切られても文句は言えないぐらいの所業である。
しかし、全てはイナリが撒いた種だ。この先にどんな展開が待っていようと、腹を括る他あるまい。
「エリスから聞いたのじゃ。お主が、我を、その……好きになってしまったと」
「はいっ、大好きですっ!」
「う、うぐっ……」
花のような笑みを浮かべるガーディに、イナリは顔を顰めた。今からイナリは、この花を摘み取らなければならない。
「実は、それは我が思わせぶりな態度を取っていたせいであって……我にそういう意図は無かったのじゃ。悪いが、我はその気持ちに応えることは――」
「ええと、どういうことでしょう?」
「のじゃ?」
想定していた反応とは異なるガーディの返答に、イナリは首を傾げた。すっかり心構えは対修羅場用のそれだっただけに、拍子抜けである。
「昨日、エリス様にも同じようなことを言われて、ちょっと変だなって思ってたんですけど。それに、不本意だったとしても、その人の本質が優しい人じゃないと、優しい言葉って中々出てこないと思います。実を言うと前から気になってはいたんですけど、お世話する中で、もっと好きになっちゃいましたっ!」
晴れやかな笑みを浮かべるガーディの言葉が、今のイナリにはぐさぐさと刺さる。堪らずイナリはエリスの顔を見た。
そして返ってきたのは、「どう落とし前つけるんですか?」とでも言わんばかりの視線である。
「わ……我が分裂して、それぞれエリスとガーディの傍に居ればよいのか?」
「素晴らしい考えですね。それが不可能なことに目をつぶれば、ですが。あと、イナリさんが増えたところで私が全回収しますので無意味かと」
何というか、浮気がバレて責められているような気分である。……実際、そうなのかもしれないが。
その様子を見てか、ガーディがハッとして声を上げる。
「あっもしかして私、エリス様と同じだと思われてますかっ!?」
「と、言うと?」
「え、ええとですね。私の言う好きと、エリス様の言う好きは違うと思いますっ!」
「ふむ?」
ガーディはそう言うと、近くに咲いている花の傍に立つ。
「私の『好き』は、花に向ける愛のようなもの……綺麗に咲く様子を見たいんですっ。そういう意味で、私はお二人が大好きですっ!……だから、仲良くできたらとっても嬉しいですけど、お二人の邪魔をしたいとか、そんな気持ちは無くてっ……」
「なるほど、『我が好き』ではなく『我らが好き』なのじゃな」
思えば、最初にイナリに声を掛けてきた時も、「二人に似合う」とか「皆で食べよう」と言っていて、イナリと同じくらいエリスにも好意を抱いていることが窺えていた。
要するに初めから全部、イナリ達の早とちりだったのである。
「エリスよ、ちと聞いていた話と違う気がするのじゃが?」
「お、おかしいですね……」
エリスのことだ、きっと「好き」という単語に反射的に反応してしまったのだろう。と言っても、ガーディ以外にもイナリが「勘違い」させていた神官は多数いるので、イナリの罪が帳消しとなるわけではないが。
「と、とりあえず誤解が解けたなら、一緒にお庭を周りましょうっ。エリス様、車いすを押すの、代わりましょうかっ?」
「いえ、大丈夫です。この車いす、一歩間違えるとイナリさんを射出することになるので」
「なんでそんな兵器がここにあるんですかっ!?」
エリスの言葉に、ガーディは困惑しきった声を上げた。




