435 お散歩
一分程待つと、リズの話通り、車いすを押すハイドラとそれに座ったサニーが現れた。
「お狐さん!」
「おお、サニーよ。久しいのう。元気にしておったか?」
「うん!」
サニーが怪我でもしているのかと不安になったのも束の間、彼女はイナリを見るなりぴょんと車いすから降りてイナリの傍に駆け寄ってきた。
「お狐さんに会いたかったのに、先生たちにダメって言われちゃったの。お狐さんは動けないから、元気になるまで会っちゃだめだよって」
「そうじゃの、今の我はまさしく『よわいお狐さん』なのじゃ。一応、これくらいはできるようになったのじゃがな」
イナリは弱々しい手つきでサニーの頬に触れ、続けて頭を撫でた。そう、ほんの僅かではあるものの、イナリは手足を動かせるようになったのである。
だが、他者から見れば超重症者が重症者になったくらいの僅かな変化で、大変な状態にあることには変わりない。そのせいか、サニーの表情は暗いままだ。
「さっきたくさんいた人たち、お狐さんの体調を心配してたんだよね?さっき、ウサギのお姉さんが教えてくれたよ」
「ん?んー……まあ、うむ……」
ただただ純粋に心配して上目遣いするサニーに、イナリは居た堪れなくなった。心なしかリズも冷ややかな視線を向けてきている気がしないでもない。
そう、真相のフタを開ければ、しょうもない修羅場話がボロボロと出てくるだけなのだ――少なくとも今のイナリにそれを「しょうもない」と言う筋合いは無いが。
尤も、サニーは「修羅場」の概念を知らないだろうから、別に伏せなくてもよかった気もするが……万が一、真相を知ったサニーのイナリに対する呼称が「よわいお狐さん」から「カス狐」とかに格下げされてしまったら、いくら呼称に頓着しないイナリでも堪える。
「ね、お狐さんは元気になるんだよね?あの時のみんなみたいに、突然いなくなったり……しないよね?」
「うむ、しないのじゃ。それは断言しようぞ!」
暗い過去が見え隠れするサニーの言葉にイナリは強い口調で返し、今できる全力を振り絞ってサニーを抱擁した。この幼女は、今日隣に居る者が明日居なくなることも平気である世界観に生きていたのだ。
最近になってようやく普通を手に入れたというのに、失った者の一覧にイナリが連なる可能性が浮上してきたとなれば、恐れるのも当然の事である。
「じゃあ早速だけど散歩に行こうか。大丈夫、許可は貰ってるよ」
リズは車いすをベッドの隣に持ってくると、イナリに得意げな笑みを浮かべて告げた。
「――これは何とも便利なものじゃな。久々の外は気持ちがよいのう」
ハイドラに車いすをゆっくり押されながら、イナリ達は教会の中を散策する。
「この教会の庭って結構広かったんだね。中庭だけかと思ってたよ」
ハイドラの言う通り、教会の本体は教会の域を出ない広さだが、併設されている孤児院や別館、裏庭、中庭などを含めるとそれなりの広さになり、色々と見所がある。
というか、もう一週間以上あの部屋に籠りきりのイナリにとっては、その辺に生えている名前も分からない雑草ですら見ていて楽しいと思えてしまうのだ。
「お狐さんみてみて!あっちがわたしのおうち!」
「うむうむ、そうか」
サニーが小走りして前に出ると、孤児院の影を差して告げる。
それに対して、知ってるのじゃなどと野暮なことは言わない。ひと昔前だったらそうしていたかもしれないが、今のイナリは人の世を知った、「できる狐」なのだ。子供の言葉には慈愛の心をもって、笑顔で接してやるのである。
イナリ達がサニーの姿を微笑ましく見つめていると、後方から声が掛かる。
「皆さん、こちらに居たのですね」
「おお、エリスか。リズとハイドラのおかげで外に出られるようになったのじゃ」
イナリは笑顔でエリスを出迎えた。
……が、その実内心は穏やかでない。少し前に発生していた修羅場については慎重に扱うため、今は伏せておくのが吉だというのがリズとの共通見解である。
「あっ、エリスおねえさんだ!」
エリスの姿に気が付いたサニーは、とてとてと駆けてエリスに抱き着いた。
「あら、サニーさんもご一緒なんですね」
「うん、特別なの!」
「ふふっ、それはよかったですね」
エリスはサニーの頭を撫でながら返した。
「それにしても、軽くお話は伺っていましたが。こう見ると本当にしっかりした造りですね」
エリスはサニーを身体にくっつかせたまま車いすの傍に歩み寄り、ぐるりと一周して見回した。その様子にハイドラとリズは各々笑顔を見せる。
「そうなんです。鍛冶屋のガルテさんにもたくさん手伝ってもらったんですが、私とリズちゃんが組んだら、すごいものが作れちゃうんです!」
「そうそう!ハイドラちゃんがいい感じの油を用意してくれたから、操作で引っかかったりすることはないよ。あと特にこだわったポイントはやっぱり座り心地だよね。素材も勿論なんだけど、リズとイナリちゃんって体格似てるからフィットする椅子も作りやすかったし、地面の振動を吸収できるように座席の骨組みと車輪の間に風魔法を応用した衝撃吸収用の機構を組み込んでるの。あとイナリちゃんの尻尾が車輪に巻き込まれないように、ちゃんと尻尾格納用の空間も用意してるよ。おまけに、ハンドルを握って魔力を籠めると、馬車程度なら余裕で追い越す速度がだせる」
「車いすの話をしてるんですよね?」
久々に発動したリズの魔道具うんちくの聞き捨てならない一文を、エリスは真顔で問いただした。
どうやらイナリが座らされているこの椅子は兵器のような側面を備えているらしい。イナリが車いすごと射出される機会は永遠に来ないで欲しいものである。
「それはそうと……イナリさん。今朝、お世話当番の神官に変わった様子はありませんでしたか?」
「変わった様子……んやぁ?」
「そうですか……」
恐らく、修羅場に居合わせた神官の内の誰かを目撃したのだろう。同僚の様子がおかしかったら訝しむのは何も不思議なことではない。
そしてイナリ側にはバッチリ心当たりがあるが、まだ核心には至っていない様子なので、一旦は全力ですっとぼける。事情を薄らと知っているリズとハイドラもまた、目を逸らしていた。
そして、リズが手を叩いて露骨に話題を切り替える。
「そ、そういえばさ!教会って従魔を入れたらダメだっけ?」
「従魔、ですか?」
「うん。もちまるに会わせてあげたいなって。しばらくイナリちゃんに会えてないでしょ?」
「あー……ちょっとその辺りの決まりがどうだったか怪しいです。後で確認してみますね」
エリスは懐から手帳を取り出し、サラサラとペンを走らせた。
「っと、そろそろ次の予定があるのでお暇しないといけませんね。すみません、本当ならこんな慌ただしくしないで、庭の紹介でもできたらよかったのですが」
「それはまた次の機会に取っておくとしようぞ」
「そうしましょう。サニーさんも、また今度イナリさんと一緒に改めて会いに行きますね」
「うん、待ってる!エリスおねえさん、お仕事がんばってね!」
エリスはイナリとサニーの頭を撫でると、慌ただしい足取りで教会の方へと戻っていった。あの様子からして、本当に仕事の合間の僅かな時間で声を掛けに来たのだろう。
「……言い訳するにせよ釈明するにせよ、しっかり考えねばならぬな……」
イナリが呟くと、後頭部に二人分の冷ややかな視線が刺さるのを感じた。
その後は、もちまるが何なのかをサニーに説明しつつ散歩を続け、イナリの部屋に戻ったところで解散となった。
イナリはベッドの上で久々に見た外の景色を思い返し、息をついた。




