434 イナリちゃんが悪いよ
「――ええっと、つまり。さっきの神官さんたちは皆、イナリちゃんに色々相談してきてた人なんだ?」
「うむ」
突如として修羅場の中心に放り込まれた子狐イナリは、己の呼びかけに応じて現れた救世主リズの言葉に深く頷いた。なお、イナリを取り囲んでいた神官たちは皆、各々の持ち場があるとのことで、どこか険悪な雰囲気のまま部屋を後にしている。
「まず当番の世話役が来て、いつも通り相談に乗っておったのじゃ。そしたら偶然、それを廊下を通りかかった神官に聞かれての?」
「ああー、それであんなことになっちゃったんだ」
「んや?その時は二人だったのじゃ」
「えっ」
イナリの返答にリズは困惑の声を上げる。
「二人の空気が険悪になって、我が何を言っても聞いてもらえんでな、また偶然廊下を通りかかった者を呼び止めて、仲裁を頼んだのじゃ」
「……まさか」
「うむ。事情を説明したら、仲裁役の矛先も我に向いたのじゃ。耐えかねた我はさらに声を上げて、また別の神官を呼んだのじゃ。その結果――」
「四人になったんだ」
「うむ」
最悪な雪だるま式である。
「……もしリズが来なかったらどうしてたの?」
「五人、六人と増え続けていたやもしれぬな、はは……」
リズの言葉にイナリは乾いた笑いで返した。実際、イナリはあの場をどうにかしたい一心で必死に助けを求めていたのだ。呼び止めた者が誰か気にしている余裕など、ないのである。
「いやはや、こんな殺風景な部屋がこうも居心地が悪くなる時が来るとはの」
「いや……でもこれはイナリちゃんが悪いんじゃない?」
「何故じゃ、我は何も間違ったことはしておらぬじゃろ!?」
イナリはようやく少し動かせるようになった腕を全力で動かし、ぽすんと毛布を叩いて抗議した。しかし依然としてリズの視線は冷ややかである。
「じゃあ、試しに他の神官さんがやってたみたいに、リズの相談に乗ってみてよ」
「ふむ?」
果たしてその問答に意義があるのかはわからないが、それでイナリに落ち度が無いと証明されるのであればそれに越したことはないだろう。
「よかろう。お主の悩みを話してみるがよい」
「……今は全然気にしてない話だけど。リズって魔法学校で嫌われてたの。なんでだと思う?」
なるほど、当時のリズの事を想定して答えろというお題のようだ。彼女の過去は「虹色旅団」の他の面々からうっすらと聞いたことがあるが、過去のことに触れると怒る印象があっただけに、この説題は少々意外である。
「一応確認じゃが、それはお主が他の者と仲良くなりたい前提と考えたほうがよいのかの?」
「んー、そこはどっちでも。結局は過去の、仮の話だから」
「そうか」
イナリはしばし考える。
となると「仲良くなるためにはどうしたらよかったか」という視点は、どれだけ正しくとも厚かましいだけだろう。イナリとて、今「どうすれば地球の社が壊されることはなかったか」を知ったところでどうにもならないのと同じだ。
方針を定めたイナリは一つ息をついて間を置いてから口を開く。
「ここは白くて飾り気もない、実に無機質な部屋じゃ。ここに一つ、紅く輝きを放つ宝石があったとしたら――それはこの部屋においては『異質』な存在となろう。趣を知らぬ者からすれば、それは排除の対象となる。お主が嫌われておったとすれば、それが理由であろうな」
「うん」
「じゃが、お主はこれまで、お主を除こうとしたものをその輝きで跳ね返してきたのじゃ。ならば、それを誇るがよい。今はその輝きを認める者がおるのじゃ。勿論、我もじゃ」
「……うん」
「じゃから、これからも輝き続けるがよい。全世界の皆がお主の輝きを疎もうと、我はお主の輝きを見守り続けると誓おうぞ」
イナリは神々しさたっぷりの慈愛の笑みを浮かべ、言葉を締める。
「……と、こんな感じじゃ。どうじゃ?」
「えっとね、怖い」
「んな!?な、何がいけなかったのじゃ!?」
即答するリズにイナリは唖然とした。
「最初はまあ、ちょっと比喩があるけど妥当かなって思ったよ?でも、過剰な励ましに落とし文句みたいなのがくっついてきてからがダメ。普段のイナリちゃんを知らなかったら、誰でも落とされるポテンシャルがある。……え、何か、宗教勧誘とか考えてるの?」
「そ、そんなつもりは無いのじゃ……」
直球なリズの感想にイナリは言い淀む。
「あとさ、妙に熟れてるのがちょっと気になったんだけど……まさか、出会った神官さんに片っ端からこんなことしてたの!?」
「ええと、まあ」
無駄に上昇志向を発揮してしまったイナリは、このベッドから見えるものから連想する練習をしていたのだ。相談に対する返答がスラスラと出てくるのはこの成果の賜物である。
きっと将来的に「イナリ教」的な物を立ち上げることになったら、この才が役立つこともあるだろう。尤も、現状そんな予定も無ければ、ただ己の首を絞めているわけだが。
「……イナリちゃんの世話をしてる神官さんは何人居るの?」
「主な担当は十人くらいかの。ええと、まずエリスじゃろ?それにアリシア、カレン、サラ、ミリア――」
「全員覚えてるんだ……」
一切言い淀むことなく世話役の神官を指折り数えていくイナリにリズは戦慄した。
「そのうち、人生相談をしてない人は?」
「エリスとアリシアくらいかの?」
「よりによってそこかぁー……」
リズは天を仰いだ。
エリスは普段から話しているのでわざわざ人生の悩みなど聞く意味が無いし、アリシアは聖女としての活動が忙しいのか、初日以降は何度か廊下の前を通る姿を見た程度である。
「ってことは、エリス姉さんはこの事は……」
「知らんじゃろうな。……あれ?もしかしてちと拙い状況になっておるかや?」
「とっても拙いかも。イナリちゃんが神官さんを片っ端から口説き落としてるって知ったら……どうなると思う?」
どう転んでも碌な未来が無いことを示唆するリズに、イナリは枕に顔を埋めて嘆く。
「うう、どうしてなのじゃ!我は教会の皆に疎まれない程度に気に入られたら、それでよかったのに!」
イナリがちらりと顔を上げてリズを見ると、「何言ってんだろうこの狐」とでも言いたそうな目をしていた。
「……我は、どうしたらよいと思う?」
「へへ、誰に聞いてるの?魔法学校で方々に喧嘩売ってたリズだよ?碌な答えが出ないよ。……あ、何か、自分で言っててちょっと悲しくなってきた」
「……なんか、すまぬ」
イナリの薄っぺらい謝罪に対し、リズは「うん」と一言だけ返した。続けて、一気に盛り下がった部屋の空気を入れ替えるように、リズが手を叩いて立ち上がる。
「あっ、そういえば、外でハイドラちゃんとサニーちゃんを待たせてるの。呼んできていい?」
「うむ。……この事は一旦、後回しにしようぞ」
「そうだね……さっきは碌な答えが出ないって言ったけど、リズもできる範囲で協力するよ」
「迷惑をかけるのじゃ。お主のその尊き気遣い、我はいつまでも忘れぬぞ」
「うん、そういうのを止めるとこから始めよっか」
イナリの言葉をリズは容赦なく斬った。




