432 全肯定のじゃロリ豊穣神
イナリが教会に滞在することになってから三日が経った。神の力が無くなった日から数えると一週間だろうか。
「……全然治る気配がないんじゃが?」
今日も今日とて、夕日に照らされて橙色に染まるまっさらな天井を見上げ、イナリはぼやく。
確かアースの話では一週間から一ヶ月で治るという話だったが、現時点では辛うじて四肢を動かせるようになった程度で、未だに身を起こすことも、物を掴むのも困難な状況だ。
この調子では、一ヶ月後に自分が元気になっている姿など到底想像できない。
「一度、アースさんに診てもらっては如何ですか?」
そう提案するのは、暖房用の魔道具を掃除しているエリスだ。彼女は療養期間を終え、神官兼回復術師の業務を再開した。故に、他の神官と同じようにイナリを世話しにやってくるようになった。
少し意外だったのは、私情を挟まずに務めている点だ。曰く、「仕事をしながらイナリさんに会える機会なんて滅多にない。我儘を言って役目を外される方が損失」だそうだ。正直よくわからないが、まあ、そういうことらしい。
「それと、私は詳細を知らないので変な質問かもしれませんが……逆はできないんですか?」
「逆というのは?」
「イナリさんから力を取ったなら、戻せないのかな、と」
「ふむ。……確かにその点については何も言ってなかった気がするのう?」
記憶を辿る限り、アースが説明していたのは「神の力を預けたらどうなるか」「どれくらいしたら治るのか」辺りが主だ。その説明を聞いてすっかり時間をかけて治す気になっていたが、力を返してもらって解決するのなら、それに越したことはない気がする。
「ここは一つ、アースに声を掛けてみるとしようぞ。エリスよ、我の指輪はあるかや?」
「ありますよ。ええと、確かここの引き出しに……」
エリスは照明の下の机の、イナリから絶妙に見えない位置に隠れていた引き出しを漁り、青と黒、二つの宝石があしらわれた銀色の指輪を取り出す。
「どの指につけます?」
「くふふ。尊きお主の輝きに免じて、好きなところにつけることを許そう」
「いいんですか?ふふ、何だか、ドキドキしますね」
エリスはイナリの指輪を手に取ると、妙にそわそわしながら薬指に嵌めた。
実のところ、イナリは指輪を嵌める意味を深く考えていない。
すなわち「適当でいいよ」を、つい先日芽生えたばかりの博愛精神で包み込んで投げただけである。こんな感じで頼めばどの神官も喜んで引き受けてくれるので、最近のイナリにとっての便利フレーズになっている。
「お主、似たような指輪をアースから貰っておるよの?あれと同じ要領でアースに繋げて欲しいのじゃ」
「黒い宝石の方ですね」
もしかしたら青い宝石の方に言及されるのではと予想していたイナリに対し、エリスは一切その素振りを見せなかった。もしかしたら、薄々青い宝石を使うと誰に繋がるのかを察していて、その上で触れないようにしてくれているのかもしれない。
そんなことを考えているうちに、手を動かせないイナリに代わってエリスが宝石に触れ、通信を開始する。
「……」
「……何も、起きぬな」
イナリ達は目を見合わせる。
「留守にされているんですかね?それか、お忙しいとか」
「んや、そもそも機能していないように見えるのじゃ。繋がっておると宝石が光るであろ」
「そういえばそうでしたね。……うーん、イナリさんの手でも反応しませんね」
イナリのもう片方の手を持ち上げて指輪に触れさせるが、それでも指輪はうんともすんとも言わなかった。
「お主の指輪はどうじゃ?」
「……今試してみましたが、使えませんね。しばらく使っていなかったので、ダメになってしまったんでしょうか」
「そんな欠陥品は創らないと思うのじゃ」
創造神が欠陥品を作るというのは考えづらい。ましてや、アルトならともかく、アースが適当な仕事をするというのも考えづらい。
「……もしかして、これってイナリさんの力で動いてました?」
「そうやもしれぬ。お主、我の聖魔法は使えるか?」
「そういえば使えなくなってますね。神託もです」
この教会に来てからは脳内も静かだと感じていたが、実際、エリスから飛んでくる「愛の神託」が飛んでこなくなっていたかららしい。
「なるほど。となると、これも我が力を失った弊害と見るべきか。参ったのう」
「話を聞くにしても、向こうから来ていただくのを待つしかなさそうですね」
「ううむ……」
こうして二人で唸っているうちに、エリスは次の仕事の時間となり、立ち去ってしまった。
果たして神々との通信用の指輪を使うのに必要な神の力はどれほどなのだろうか。
それも分からない以上、今イナリにできることは、安静に過ごし、元気になった己の姿を夢見ることだけである。
さて、そんなイナリだが、一つ、この教会――厳密にはこの部屋での暇潰しを考案した。
「――お主、何か悩みはないかや?」
「悩み?」
「然り。我のような、よく知らぬ者じゃからこそ話せることもあろう?勿論、口の堅さは保証しようぞ」
それは、世話に来た神官の人生相談である。最初は適当な雑談でもしようと思っていたのだが、思いのほか話題の手札に乏しかったのだ。それならばいっそ、向こうから投げてもらおう、という発想である。
勿論、イナリとて人生相談ができるほどの厚みがある神生は送ってきていないが、それはそれ。淡々と身辺の世話をされてもつまらないし、どうせなら多少の雑談に興じたっていいはずだ。
聞いたところによると、どうやら世話役はこの教会に在籍する神官全員――その数およそ四十人が回しているらしい。ただ、イナリは女子であることを鑑みて、世話役は皆女性が選定されているそうだが。
故に、時には最低限の事しか言わない「お堅い」神官も居れば、友達のように気軽に接してくる神官も居る。イナリが目を付けたのは後者の神官である。
イナリの言葉に、神官はやや躊躇いつつもぽつりと話し始める。
「……私、時々懺悔室で信者の方々の懺悔を聞くんだけどね。この教会には私なんかよりもずっと立派な人がたくさんいるのに、見習いの私が懺悔を聞いていいのかな、私は力不足なんじゃないかなって、思うんだ」
「ふむ」
教会全体で世話役を選定している都合上、イナリの世話役に訪れる者は、教会の中でも最上位に近い聖女から、彼女のような神官見習いまで幅広い。勿論、聖女を何度も何度も世話役に駆り出すわけにはいかないので、人選に偏りはあるが。
神官見習いの少女は水を杯に入れ、苦笑しながらイナリの口に近づける。
「なんて、こんなこと言われても困るだけだよね?」
「否、問題無いのじゃ」
イナリは首を横に振り、窓から見える星空を見る。
「あの星々が見えるかや?普段の我らは空に浮かぶ星の一つ一つを意識することは少ないじゃろ?しかし、どれも唯一無二である。お主もそれと同じ……この世界で唯一無二の輝きを生む、いと尊き存在なのじゃ」
差し出された杯の水を飲み、また続ける。
「相手は、そんなお主に話を聞いてもらいたいと思っておるのじゃ。それに、相手に寄り添って話を聞くというのも案外難しいものじゃぞ?お主がその役割を十分に果たせているのであれば……これは、十分に価値のある、実に尊きことと思わぬか?」
「そう、かな?」
「うむ。……なんて言うてみたがの、実のところ、懺悔の何たるかはあまり知らんのじゃ。それでも、悩みや考えを共有できる存在というのはありがたいであろう?」
イナリの場合は、「虹色旅団」の皆やアース、アルト辺りがそれにあたるだろうか。困ったときに話す事ができる相手がいるだけで、精神的な安定感は大きく変わるのだ。
「……それとも、お主は我の話を聞いて『なんだこやつ偉そうに』とか『相談して損した』と思っておるかや。それだとちと悲しいのう」
「いやいや、そんなことないよ!」
耳をぺたりと垂らして告げたイナリに対し、神官見習いの少女は慌てて弁明する。
「見た目に反してすごく立派でびっくりしちゃったの!私よりよっぽど神官向いてるよ!」
「何か、一言二言余計じゃが……とにかく、己の価値を卑下することは止めるのじゃ。お主は十分、尊き存在じゃぞ」
「うん、ありがとう。あっ、そろそろ次の部屋に行かなきゃ。また来るね!」
「うむ。手を振ることすらできないのが悔やまれるが、我はいつでもお主を肯定しようぞ。こんな時間まで面倒を見てもらって悪いのう」
部屋から去っていく神官見習いの少女を見送ったイナリは呟く。
「……ふむ。思い付きでやってみたが、案外悪くないのではないか?」
彼女の表情からは十分に手ごたえを感じられた。
この調子で続けていけば、尊い人間の営みのより深い部分に触れることができるし、多少イナリが何かしでかしたとしても、布で包んで路地裏に捨てられる危険性は低くなるはずだ。
そんな打算的な面もありつつ、よい暇潰しが確立できたイナリは、この部屋に訪れた全ての神官に同じように声を掛け、打ち明けられた相談や悩みを肯定し続けた。
悩みを、肯定し続けてしまったのである。




