431 魔の森の騒動の顛末(下)
その後、エリスは少し神官達に顔を見せてくると言って退席した。
「ううむ、イオリなあ……」
イナリの頭に反響するのはエリスの言葉だ。
そこまで長い付き合いでなくとも分かっている。イオリにとってカイトは、誇張抜きで生きがいに等しい存在のはずだ。そんな存在を無くして魔王討伐を祝われたとして、きっと彼女の心が満たされることは無いだろう。
それに、出発前のカイトも「魔王を倒したら地球に帰る手がかりが見つかるかも」くらいにしか言っていなかった辺り、まさか即日送還されることになるとは思いもしなかったはずだ。
というか、アルトとアースのやり取りを聞いていたイナリですら、ここまでスピード感のある対応がされるとは思っていなかったのが正直なところだ。
果たして、勇者の隣に常に居たあの少女は今、どうなっているのだろうか?
「ま、我がこうなっている内は何もできないじゃろうが……」
イナリが悶々としていると、この部屋に向かってくる二人分の足音が耳に入る。
「――やあイナリちゃん。お見舞いに来たよ」
「随分と辛気臭い面を晒してるな」
現れたのはエリックとディルであった。エリスとリズの二人の時と違い、男二人になると心なしか部屋が狭く感じられる。
「あいや、ちと悩み事をしていての。よく来たのじゃ。お主らの尊きその姿、笑顔で迎えねば礼を欠くよの」
「とうと……なんだって?」
「そう怪訝な顔をするでない。我は人間に敬意を表し、尊ぶことにしたのじゃ」
「そ、そうか」
イナリの返答に、ディルは困惑混じりに返した。
「ところでエリックよ、その籠の中身は何じゃ?」
イナリはエリックの手に提げられた籠を目で追いかけて尋ねた。そこには、いくつもの小箱が詰め込まれている。
「お菓子だよ。イナリちゃんが起きたことを知った冒険者の皆が、イナリちゃんに渡してってね。とりあえず、この辺に置いておこうか」
エリックは菓子が入った籠を部屋の隅に置いた。箱越しでもこの無機質な部屋に薄らと甘い匂いが充満し、シチューしか食べられていないイナリの腹を刺激する。
「折角じゃ、一つ何かくれぬか?」
「持ってきておいて何だけど、今のイナリちゃんって固形物はダメなんじゃ?」
「……そうじゃな。我慢するのじゃ」
エリックの懸念通り、おそらく今のイナリはケーキ程度でも喉を詰まらせて死にかける。せめて自力で動けるようになるまではお預けといったところか。匂いだけで満足しろとは、エリックも随分と酷な事を言ってくれる。
「しかし……手紙だけじゃなかったのじゃな」
「安心しろ。手紙も贈り物も、余計なものは省いてあるからな」
「余計なものもあったのじゃな」
何故かしたり顔で告げたディルに対し、イナリは苦笑した。
「しかしお主ら、聞くところによると随分と忙しそうだったらしいのう?」
「はは、ギルドの手伝いほどじゃないよ」
「そ、そうか……」
エリックの瞳に闇が見えた気がするが、一旦それは見なかったことにした。
「して、何をしておったのじゃ?」
「うーん、一言で言うなら後処理かな。僕はラズベリーの供述の裏取り、ディルは魔の森での出来事を説明するための事情聴取だ」
「ラズベリーか、先ほどリズからも軽く話は聞いたのう。軽犯罪を教唆しておったのじゃったか」
「そうそう。証言に食い違いが無ければ、監視付きで減刑することになる可能性もあるからね。あるいは、被害者の一人としてイナリちゃんが意見することもできるけど」
これは間接的に「ラズベリーについて思うところはあるか」と問いかけているのだろう。その意図を察したイナリは、おもむろに首を振る。
「我に迷惑をかけないのであれば何でも良いのじゃ。人間の健全な営みに、神たる我が介入すべきでないからの」
「わかった。気が変わったらいつでも言ってね」
イナリの返事を聞いたエリックは微笑した。その傍ら、何か変なものでも見たように怪訝な表情を浮かべるのは隣にいるディルである。
「……なあ。イナリの言動、若干変じゃないか?」
「何じゃ、身体こそ弱くなったが、我はいつだって我じゃ」
「いつも変って意味だったらそれはその通りなんだがな」
「待つのじゃ、それはどういうことじゃ?」
自由に動けないのをいいことに言われたい放題なイナリが頬を膨らませて抗議していると、廊下からぱたぱたと足音が近づいてくる。
「――すみませんイナリさん、今戻りました……あ、お二人ともいらしてたんですね」
現れたのは、少し前に退席していたエリスであった。彼女の姿に気が付いたディルは、ここぞとばかりにエリスに声を掛ける。
「なあエリス、こいつの言動に違和感はないか?人間がどうとか、何とか」
「そうなんですよ!今のイナリさんは博愛精神旺盛なのです」
「僕も少しだけ気になっていたけど……どうしてそんなことに?」
「それがよくわからず。食事に何か変なものが入ったのかと思って献立を尋ねてきたのですが、特に変なものは含まれていなかったです」
「何じゃ、そんなことを聞きに行っておったのか?」
「あっ、それと添い寝も問題ないそうです」
「そんなことを聞きに行っておったのか……」
ついでみたいな言い方をしているが、そっちが主な目的だったのだろう。
平常運転なエリスに呆れる一同をよそに、彼女は男性陣の視線も憚らず、いそいそと毛布を捲り上げてイナリの隣に寝そべった。
「さあ、私のことは気にせず話を続けてください」
「こいつマジか」
あまりにも堂々とした態度に気圧されつつ、イナリは咳払いして強引に話を戻すことにした。
「あー……エリックの件は一旦終わったとして、ディルは何故事情聴取を受けておるのじゃ?」
魔の森での出来事を知るためなら、その辺の冒険者でも十分事足りるだろう。あるいは、関与した者全員を手当たり次第に調べているとかなら話は別だが。
「お前が作った訳わからんドームで、お前が生んだ訳わからん魔物と戦った挙句、お前の姉の訳わからん魔道具でぶっ倒れることになったんだよ。で、その現場に居合わせた生存者が俺しか居ないから、必然的にそこの出来事は俺が説明しないといけなくなった」
綺麗に「訳わからん」が連なっているディルの言葉にイナリは首を傾げた。
「二つ目から身に覚えが無いのじゃが。しかも、生存者と言うことは……」
「ああ、魔物に取り込まれた奴もいる。まあ全員お前を狙ったろくでなしだ、気にすることじゃない。それよりも――」
ディルは部屋の外を確認し、辺りにエリス以外の神官が居ないことを確かめると、声を潜めて続ける。
「――あの現場を教会が厳重に封鎖しているようでな。変な事にならないかが気がかりだ」
「変な事、とな?」
またイナリが首を傾げると、ディルは声を潜めて続ける。
「例えば、内部の魔物が外に出てくるとか、見ず知らずの奴がお前の正体に気づく可能性は無いか?」
「魔物の方はわかりませんが、正体に気が付く可能性は低いと思いますよ」
ディルの言葉を否定するのはエリスだ。
「それで気がつかれるなら、魔の森が現れた時点で正体が割れていると思います。それにイナリさんの正体をご存じの聖女様もいらっしゃいますから、万が一があれば前もって把握できるかと」
「なるほどな。最悪先手を打つ余地があるなら、そこまで気にしなくてもいいのか……?」
「あるいは、僕達の方から尋ねてもいいかもしれないね。森の環境が変わる可能性があるなら、冒険者として確認しても違和感はないはず」
「確かにその手もあったか」
「私も、聖女様に会った時は気にかけておきますね」
真面目な会話をしている一同だが、こうしている間もエリスはイナリの頬に顔を擦りつけていた。




