430 魔の森の騒動の顛末(中)
リズは続けて、イナリ達が花畑に居る間にエリック達が何をしていたのか教えてくれた。
ざっくり要約すると、民間人と合流したらラズベリーが来て色々裏で手を回していたと明かしたり、直後に「魔王」……要するにイナリが暴れたところを目撃したり、取り残されている要救助者のエリオットを救出しに出向いたら、嵐に見舞われて撤収したり、と言ったところだ。
「……まだあるのではないか?」
「え?」
イナリは弱々しい声ながら、力強い意志を感じさせる視線をリズに向け、圧のある笑顔で一言ずつ、ゆっくりと告げる。
「お主、我の家、燃やしたよの?」
「……い、いや?何のことか、わからないけど……」
リズは露骨に視線を反らして口笛を吹き始めた。その態度はもはや「私がやりました」と言っているのと同義である。これには隣にいるエリスも冷ややかな視線を向けざるを得ない。
「ごめんなさい。人に言われてやりました」
「まあ、よいじゃろう」
結局のところ、あれも信者の心を折りたいとか、別の理由があっての暴挙だったのだろう……結局、一番ダメージを食らったのはイナリだろうけれども。
どうにか心の中で折り合いをつけていると、エリスが声を上げる。
「あれ?そういえばイナリさん、その現場に居合わせてるんですね」
「うむ。折角じゃし、お主が倒れた後の事も軽く説明しようぞ――」
イナリはそう前置きして説明を始めた。
「――といった感じじゃ」
「やっぱり、あのドームも突然の嵐も、全部イナリちゃんの力だったんだ」
「イナリさんに運ばれていた記憶は朧気にあったんですが、そんなことになっていたんですね」
イナリの説明を聞いたリズは納得したように頷いた。
「お主らの方に怪我などは無かったかや?そこだけ少し気がかりでの」
「死ぬかと思った場面もあったけど、何とかなったよ」
「あ、危険ではあったんじゃな……」
「それはもう。街まで影響があったんだよ?特にパーティハウスなんか――」
「――リズさん。その話はイナリさんが退院された後にしましょう」
「あ、そうだった」
リズの言葉にすかさず待ったをかけるのはエリスである。
「な、何じゃ?気になって仕方が無いのじゃが……」
「その時が来たらお話ししますから、今は大丈夫ですよ」
どうやら楽しそうな話では無さそうだが、こうも勿体ぶられるとむしろ怖い。イナリを安心させるためのエリスの笑顔すら胡散臭く見えてくる。
しかも聞き間違いでなければ、この話をしてもらえるのは「この教会を出られるようになったら」である。一体何が待ち受けているのだろうか。
そんなイナリの思考を遮るように、リズがまた口を開く。
「それより、エリオットさんとラズベリーちゃんについて気にならない?」
「露骨に誤魔化しに来たのう。まあよい、聞かせてもらおうぞ」
しれっとラズベリーを「ちゃん」付けしていることも気になるが、そこは一旦流して続きを促すことにした。
「ええと、魔の森が火事で滅茶苦茶になったあとで、その二人がメルモートの要塞に出頭したらしいの。それで今は事情聴取を受けてるんだって」
「脅迫状を出してきたのもラズベリー……さんの指示なんですよね?それで救われた命はあるのでしょうが、事情を知らないこちらからすればいい迷惑です」
「しかしまあ、それもまた人間の尊き生き方のひとつではないか?」
「イナリちゃん、何でもかんでも『尊い』で片づけるのは止めた方がいい気がする」
イナリの言葉に対し、リズは真顔で告げた。
そんな感じで小一時間ほど雑談をしていたところで、リズは別の用事があると言って部屋を後にした。ついでに、エリスに向けて「絶対にイナリちゃんに変な事をしないように」と何度も念押ししながら。
それにしても、賑やかな少女が一人居なくなるだけで、一気に部屋の時間の流れがゆっくりとしたものに感じられる。なんとも不思議なものだ。
「――そういえば、リズさんは言ってなかったんですけど」
イナリ宛ての手紙を整理していたエリスが唐突に声を上げ、鞄から紙面を取り出した。
「教会の発表曰く、魔王が討伐されたそうです。つい先日新聞が届きました」
神官だというのにどこか他人事感があるのは、エリスがしばらく自宅で療養することになっていて、社会から隔絶されていたからだろう。症状こそ違えど、境遇はイナリに似ていそうである。
そんなことを考えているうちに、エリスが鞄から新聞の切り抜きを取り出し、イナリに見えるように掲げた。
「……随分でかでかと書かれておるな」
そこには確かに「勇者カイトが魔王を討つ」と大々的に記された記事があった。隅には剣を携えたカイトの果敢な姿が描かれていて手間が掛かっていることが窺えるが……些か美化されているような気がしないでもない。写真ではダメだったのだろうか。
「しかし、そうか。魔王が討たれたか」
謎の感慨を覚えたイナリは天井を見上げて息をつく。わざわざ夜中に住宅に侵入して聖剣を入れ替えたりした甲斐があった。
「これでイナリさんがカイトさんに襲われる事態も回避されるでしょう。ただ、どうにも……うーん……」
「何じゃ、釈然としない様子じゃな」
イナリが毛布の端から手を出すと、エリスは新聞の切り抜きを机に置き、イナリの手を握って優しく揉む。
「文面そのままでお伝えすると、『勇者は降臨なされたアルト神により送還された』そうなんです」
「ほう……ほう?」
それは要するに、散々三神の間で……というかほぼアルトとアースの間で揉めていた問題のひとつが解決したということか。
前々から魔王を討つ――歪みを正したら、カイトは送還する旨の話はしていた気がするし、そこまで驚きは無い。むしろ出発してから討伐まで結構かかったな、くらいの感想すらあった。
……そういえばしれっと文字が読めるようになっている。イナリが眠っている間に、アルトが言語モジュールだか何だかを戻してくれたのかもしれない。
「パレードは王都で実施するみたいですけど……これってもしかしなくても、イオリさんはお一人なのでは?」
「うむ。その可能性が高そうじゃのう」
「これって例えるなら、突然私のイナリさんが取り上げられるってことですよね」
「そうじゃな」
もはや「私の」に突っ込むイナリではない。
それに、イオリのカイトに対する依存度はかなりのもので、「私と勇者様の仲を引き裂こうとする者は全て排除する」とか平気で言ってのける覚悟があるほどだ。その反動は生半可なものでは済まないだろう。
エリスは、イナリの手を両手で包んで続ける。
「それって、世界から光が消えてしまうような、とても残酷な事だと思うんです。イオリさん、大丈夫でしょうか……」
「…………そればかりは何とも言えんのう」
半ば投げるような言い方になってしまうが、こればかりはイオリの未来に幸あれ、としか言いようがない。
気の毒な狐少女の未来を案じ、イナリはため息を零した。




