428 生きてるだけでえらい! ※別視点
<エリス視点>
概ね体調も回復し、頭痛なども収まったところで、イナリさんがお目覚めになったと聞きつけ、リズさんと共に一緒に教会へ赴いていました。
「エリス姉さん。確認だけど、絶対にイナリちゃんに全力で抱き着いたらダメだよ?」
「はい、心得ています」
いつもはトラブルを起こしそうになるリズさんを注意していたのは私でした。まさか、私がリズさんから注意を受ける日が来るとは……。
しかし、私の返事は信じてもらえないのか、リズさんはさらに言葉を重ねます。
「絶対だよ?想像の百倍は弱いと思っておかないとびっくりするよ?」
「はい、その点も覚悟はできています」
今のイナリさんの状態は簡単にディルさんに伺っているので、最低限の心構えはできています。
曰く、暴走していた力を鎮めるため、一時的に神としての力の一切を失っている――と、アースさんから聞いたとか。熱さにやられて死にかけたらしいですし、ディルさんはディルさんで色々大変だったみたいですね。
「ところでリズさん。一つお願いしたいことがありまして」
「ん、なーに?」
「もし私の興奮が抑えきれず、イナリさんを傷つけてしまいそうになったら、その時はどうか、私の理性が残っているうちに――」
「これ、仲間のお見舞いに行くだけの話だよね?」
リズさんが呆れたような声を上げますが、これは大事なことです。自分の手で大切な人を傷つけるなど、一番あってはならないことなのですから。
こうして、私達は何事もなく教会へたどり着きました。
「んーっと。この部屋だったかな?」
顔見知りの神官に挨拶しつつ、リズさんに先導されてイナリさんの部屋へ到着しました。ここまでの通路は仕事で散々歩いてきた場所だというのに、何だか今日は全くの別物のように感じられます。
部屋を覗き込むと、ベッドの上には私が待ち焦がれた可愛らしい狐の少女、イナリさんの姿がありました。
朝日に照らされているせいか、どことなく身体が透けているような印象があり、触れただけで崩れてしまいそうな儚さを感じさせます。
「イナリちゃん、おはよう!」
「イナリさん、おはようございます。ようやく会えましたね」
今すぐイナリさんを抱きしめたい気持ちをぐっと堪え、私は平静を装って挨拶しました。
「おお、リズにエリスか。よく来たのじゃ。我も会いたかったのじゃ」
イナリさんはゆっくりと私達の方を見ると、にへらと柔らかな笑みを浮かべました。普段の朗らかな姿を知っているだけに、胸が締め付けられるような気分です。
「体調はどう?」
「変わらないのじゃ。こんな有様では、お主らを撫でることも叶わぬ」
「そっかー。まあ、一晩で元気にはならないよねぇ」
「して、エリックとディルは来ないのかや?」
「お二人でしたら、昼か夕方くらいには来ることができるそうですよ」
「そうか。こんな状態だとできる暇潰しも限りがあってのう。ありがたい限りじゃ」
イナリさんは暇潰しが得意とおっしゃっていましたが、それでもこんな部屋では限度があるでしょう。今日からここに住み込みで看病できないか、後で教会の皆さんに相談してみましょうかね。
「そうだ、ハイドラちゃんから群青新薬を貰って来たよ!」
リズさんが腕に提げていた籠から青い液体が入ったポーションを取り出し、ぽんと栓を抜きました。
「早速飲んで――えっと、これってどうやって飲ませたらいい?」
「私が代わりましょうか」
回復術師として働いている経験のおかげで、この手の看護には慣れたものです。私はそっとイナリさんの背に腕を入れて体を起こし、小さな背中を支えます。するとベッドに隠れていたもふっとした尻尾が目の前に現れたので、片手で体を支えたまま、さりげなく指先を――。
「――あれ?イナリさん、何か……重くなりました?」
「重いとな。何かの間違いではないのか?」
「エリス姉さん。このタイミングでそんなディルみたいなこと言わなくても」
「いや、間違いありません。明らかに重くなってます」
呆れた目を向けてくるリズさんに対し、私は至って真面目であることを示しました。
「イナリさんって、本当に綿みたいに軽かったんですよ。でも今は、見た目相応の重量を感じます。神の力を失うと、体重が重くなるのでしょうか」
「あー、イナリちゃんを持ったことが無かったから気付かなかったなあ。そっか、普段を知らないとわからないこともあるんだ」
「イナリさんの身体は不思議がいっぱいですからね……さ、少しずつ飲んでいきましょうね」
文字通りの神秘に感心しつつ、リズさんから群青新薬を受け取り、何回にも分け、ゆっくりとイナリさんの口に流し込んでいきます。
その様子を眺めている傍ら、リズさんは何か考えています。
「……むしろ、神の力がイナリちゃんを軽くしていたのかも。今のイナリちゃんがまともに身動きできないのは、自分の体重と重力に体力が負けているから?」
「そんな気がしてなりませんが、聞いてて悲しくなりますね」
神の力を失ったイナリさん、悲しい生き物過ぎて涙が出そうです。私が護らねば……!
などと話しているうちに、イナリさんが群青新薬を飲み終え、ぷはっと息を漏らしました。
「イナリさん、お疲れ様でした。体に変化はございませんか?」
「……少し楽になった気がするのじゃが、それくらいかのう?」
イナリさんは身をよじって体調を確認すると、私の方に倒れてきました。
「今の我はまさに人と変わらぬ身と聞いておる。我はな、正直驚いておるのじゃ」
「何にですか?」
「神の力を失った我は自由に身動きを取ることすら儘ならないというのに、お主らは毎日健康に生きておるであろ?端的に言って、我は人間を見直したのじゃ」
「そ、そうなんだ?」
私もリズさんも、イナリさんの言葉に首を傾げました。しかしイナリさんは関係ないとばかりに私の胸に倒れ込んで続けます。
「エリスも、リズも、お主らが生きているのは素晴らしいことなのじゃ!ああ、我の身体が自由に動くなら、お主らに抱き着いてこの気持ちを伝えることもできたというに!お主らは、生きているだけでえらいのじゃ!」
「……」
私の胸の中でもごもごと人間を称賛するイナリさんを見て、リズさんはぽかんとした様子です。
きっと今、私達は同じような事を考えているでしょう。
――イナリさんが、なんだか変な事になってしまった……!




