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豊穣神イナリの受難  作者: 岬 葉
一般人イナリの受難

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427 迷える聖女

 アリシアが運んできた食事はシチューだった。一見すると具無しの簡素な料理に見えたが、口の中に入れてみると細かくされた野菜や肉の存在が分かり、手間がかかっているだろうことが窺える。


 イナリにとって目覚めて最初の食事ということもあり、この温かさは中々沁みるものがあった。


「あのね、イナリちゃんに謝らせてほしいんだ」


「むぐ……何の件じゃ?」


 されるがままに給餌されていたイナリは、唐突なアリシアの言葉に首を傾げた。イナリが謝ることなら沢山思いつくが、アリシアに謝られるようなことは無いはずだ。


 心当たりも無いのでアリシアの言葉の続きを待っていると、彼女はシチューが入った器を下ろして続ける。


「魔の森の件で。前に相談して貰っていたのに私が何もしなかったせいで、皆を大変な目に遭わせてしまったから」


「……別にお主が動いて何かが変わったとも思えぬがの。ああいや、お主が役に立たないとか、そういうことを言っておるわけではなくての!?」


 何気なく呟いた一言が、受け取り方次第でとんでもない解釈にも受け取れることに気が付いたイナリは慌てて訂正した。


 今のイナリは生殺与奪の権を教会に握られている状態――すなわち、世話をしてくれる神官の不興を積み重ねれば死も同然ということだ。ましてや聖女の機嫌を損ねようものなら即退場、この街の見知らぬ路地裏へ布で包んでポイされるに違いない。


 イナリがそんなあるかどうかも定かでない未来に慄いている間も、アリシアは俯いたままだった。もしや、イナリの一言が深く突き刺さり、何を言っても聞く耳を持たなくなってしまったのだろうか。


 どうにも旗色がよろしくないと見たイナリは、ダメ押しとばかりに言葉を重ねる。


「そも、お主が動けばと言うが、確か教会とて容易に動くことはできないのじゃろ?結果的に相手は魔王信仰をしている輩であったが、わからなかったのであれば仕方あるまい?」


「私が少しでも強気に主張していたら、魔王信仰者を見つけることくらいは出来たかも」


「う、ううむ……」


 イナリは言い淀んだ。


 己も似たような思考に陥ることがあるからわかるが、今のアリシアは「あの時あれをしていたら」のような仮定に囚われて抜け出せなくなってしまう現象に陥っている。これは軽く言葉を一つ二つ掛けただけで払拭できるようなものではない。


 しかし、このまま長話をしていると折角の美味なシチューが冷めてしまう。さっさと話を終わらせて、次の一口をイナリの口へ運んでもらわなくてはならない。


 さてどうしたものかとイナリが思い悩んでいると、アリシアが口を開く。


「ちょっとした行動が未来に大きく影響することってあるでしょ?私が動いていたら、エリスが辛い目に遭うことも、イナリちゃんも神の力を失うことも無かった」


「ああそうか。お主、我が今どういう状態なのかは何となくわかるのじゃな?」


「わかるよ。だって、触るまでもなく神の力が全く感じられないから」


 ウィルディアも言っていたが、他者から見た今のイナリは、どうして生きているのか不思議で仕方がないような状態である。その原因が自分にあると思っているアリシアが悲痛な表情になっているのも、仕方がないことなのかもしれない。


 しかし、親しいエリスの事を案じるのはいいとして、どうやらアリシアはイナリの神の力がもう戻らないと思っているのかもしれない。それならば責任を感じて然るべきか。


 だが果たして、「これ、一週間くらいしたら治るのじゃ」などと言ったとして、それを信じてもらえるだろうか。きっと、アリシアを励まそうと下手な嘘をついているだけにしか聞こえないだろう。


「……ごめんね。大変だったよね。辛かったよね」


「まあ」


 とりあえず今はこの聖女の好きにさせておいた方が吉かと、イナリは曖昧に頷いた。


 もう少し正確に言うなら、「(森の一件を片付けるのが)大変だったし、(社が炎上倒壊したことが)辛い」といったところか。しばらく夢に出てきそうだし、今思い出すだけでも涙が出そうだ。


 すると、アリシアはイナリに向けて深く頭を下げる。


「本当に、ごめんなさい」


「先も言うたが、お主が気負う必要は全く無いのじゃ。きっと教会が介入していたところで、また別の惨劇が生まれておっただけじゃろう」


 これはイナリの本心である。


 第一、森を燃やすために冒険者やら何やらを神託などを利用して人払いしていたが、それでもあれだけの人数が森に残っていたのだ。神官まで巻き込んだら一体どうなっていたことか。


 あるいは、教会が介入したら、イナリの社を占拠していた連中が人質を取って立て籠り始める、なんてこともあったかもしれない。それはもう、迷惑どころの話ではない。


「ああそれとも、此度の件でエリスがお主に何か言うたのか?『もう絶交じゃ!』とか?」


 イナリが問うと、アリシアはおもむろに首を振った。


「エリスは、イナリちゃんの事は心配していたけど、私には文句のひとつも言わなかった」


「安心じゃ。我のせいでお主らが仲違いしては、我まで負い目を感じる羽目になるからの」


 なるほど、もしエリスがアリシアに激怒しているならば口添えしようと思ったが、そういう訳でも無いらしい。


「となると、お主自身が己を許せないということか。それはお主の自由じゃが……忘れるでないぞ?我はお主を責める気は一切無いのじゃ。それでも負い目を感じるというのなら、今後の糧としていけばよい。……ああそれと、我の世話で償うことも忘れずにの」


「……うん」


「よし、わかったらそれでよい。さ、それ以上ジメジメするのは止めるのじゃ。その湿気でこの部屋に苔を生やす気かや?」


「うん……そうだね、それこそ迷惑だったね」


 イナリがおどけて告げると、アリシアは目に浮かんだ涙を指で拭い、小さく笑った。


「イナリちゃん」


「何じゃ」


「ありがとう」


「ふん。別に、初めから感謝される謂れなぞ無いのじゃ。さ、早く食事を食べさせるがよい」


 イナリは事もなげに給餌の続きを催促した。




 アリシアの懺悔も聞き終えると、以降は時々イナリの様子を見に神官が代わる代わる訪ねてきたくらいで、そのまま夜となった。


 昼間とはうって変わって、時々部屋の前を往来する神官の足音以外には、イナリの身体がベッドと擦れる音が響くのみである。毛布は温かいが、お腹を照らす月光はどこか冷たい印象を与えている。


 さて、イナリはこの不便な体でもうすぐ一日を終える。そんな中考えるのは、やはりこれがいつまで続くのかということだ。


「この不便な身体であと何日過ごす羽目になるのやら」


 この身体について考え、一つ気が付いたことがある。


 それは、今回イナリが神の力を使えなくなったことで、イナリが無意識のうちに神の力によって受けていた恩恵があったということだ。特に着目すべきは、イナリの重めの扉も満足に開けられない貧弱な腕力は、神の力で底上げされた上でアレだった、ということだ。


 言い換えると、今のイナリは神の力を失って「弱体化した」と同時に、「この身体本来のスペックに戻った」とも言えるのだ。


「確かアースは、今の我は、普通の人間のようになっていると言っておったな。人とは、こんなにもか弱き存在なのか……」


 イナリは一般的な人間の体力がどの程度のものかを知らない。故に、今の自分こそが人間の平均値なのだと誤解してしまった。故に、立って歩くことすら奇跡の御業のように思っている。


 そんな状態で突如として脳裏によぎるのは、先日魔術師により地面に倒れたエリスの姿だ。人がこんなにもか弱い存在なのであれば――それこそ一歩間違えば、エリスを失うことになっていたのかもしれない。


「それは、嫌じゃ」


 まさか人がこんなにも儚い存在だとは思わなかった。イナリが享受していた平穏な日々は、実は薄氷の上に成り立っている奇跡のようなものだったのだ。


 そう思うと、今までの日々が非常に尊いものに思えてくる。イナリの前に立っていた人々は皆、奇跡のような存在だったのだ。


「ならば我は、それを尊ばねばならぬ」


 イナリの呟きは、静かな教会に吸い込まれた。

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