424 この戦いが終わったら ※別視点
<イオリ視点>
「いよいよですね、勇者様」
「うん。緊張するね」
ここは魔王の影響下にあるこの地の中でも数少ない、聖魔法で安全を確保することができた場所に建てたキャンプ地。私は勇者様と隣り合って椅子に座り、魔王討伐に向けた兵器や備品の最終確認作業のため、忙しなく行き来する人々を眺めていた。
「……勇者様。魔王を倒した後はどうされるのですか?」
「どうする、か。目の前の事ばかり考えてたから、わからないな」
「それもそうですよね」
苦笑する勇者様に、私も引き攣った笑みが浮かんでしまった。
勇者様は、魔王を倒したら「エーサン」と会えると予想しているらしい。そこで、勇者様の故郷「チキュー」に戻るための手がかりを得ようと考えているのだとか。
ただ、正直なところ、私はこの話には懐疑的だ。
アルト教があの手この手で手あたり次第に調査しているというのに、手がかりらしきものは噂の一つすらも出てこなかったというのだ。
実際のところ、「エーサン」なんて存在しないのではないか?
勇者様が「エーサン」と接触したのは教会の支配下から解放された直後の事だったという。ならば、それこそ意識が混乱している間に見た幻覚や夢の類とでも言われた方がよほど納得がいく。
とはいえ、そんな考えを勇者様の前ではおくびにも出せない。
今の勇者様は、こちらの世界の都合で召喚され、色々と酷い目に遭ったにもかかわらず、「この世界のために」と気丈に振舞っている。けれども、それに耐えて魔王を倒すことにした究極的な動機は「エーサン」と再会するため――「エーサン」とは、ある意味勇者様にとって最大の希望なのだ。
「『エーサン』に、会えるといいですね」
「うん。地球に戻るためのヒントだけでも掴めたら嬉しいな」
勇者様はやや緊張こそ見えるものの、いつも通りの柔らかな笑みを浮かべた。
「……その、変な質問かもしれませんが。勇者様は、この世界は嫌いですか?」
「この世界が?」
勇者様は腕を組んで唸る。
「難しいな。勿論、不便だったり嫌だと感じることもあったし、実際酷い目にも遭ったけど……いい人もたくさんいるし、イオリみたいな、地球じゃ絶対に出会えないような仲間も出来たし」
「勇者様……!」
私は勇者様の肩に、体から溢れそうな感情を押し付けた。
「ええと、だから。どちらとも言えない……は良くないか。まだ判断できるほどこの世界を知らない、ってことにしておこうかな。つまらない答えでごめん」
「いえ。嬉しい言葉を頂けたので、私はそれで十分です」
勇者様にもたれかかって体温を感じながら、私は続けて問いかける。
「……もし。もし『チキュー』に戻る方法が見つかったら。勇者様はやはり、そちらに帰られてしまうのですか?」
「この世界か地球かってこと?」
勇者様の確認の言葉に、私は頷いて返した。
恐らくこの世界で最も勇者様の事を間近で見てきた者として、引き留めるようなことはしたくない。しかし、どうしても気になってしまうのだ。この温もりを知ってしまった今、それを失ったらどうなるか、怖くて想像もできない。
「うーん……まあ、地球に帰るとは思う」
だからこそ、勇者様のその言葉は、刃物の先端に指が触れてしまったような冷たさを感じた。
「やっぱり――」
「少なくとも、家族や友達には顔を見せないといけないしね。『異世界に居ました』なんて言って、信じてもらえるとは思えないけど」
「それなら、私も一緒に連れて行ってください」
「え?」
私の言葉に勇者様は目を丸くした。
「『チキュー』には獣人も、魔法も無いのですよね?なら、私が証拠になります。勇者様がこの世界で何を成し遂げたのか、私が皆さんにお伝えします!」
そう威勢よく告げてみると、勇者様はぽかんとした様子で硬直してしまった。自分の気持ちが先行しすぎて脈絡が無さすぎたかもしれない。
「……ダメ、ですか?」
「ううん、嬉しいよ。正直、いざ戻れるとして、またこの世界に戻って来られるのかもわからないし、こっちの皆の事を考えて足を止める可能性だって、全然あると思うから……でも、本当にいいの?」
「はい、私は最後まで勇者様の傍に在ると決心していますから。どうか、いつまでもお傍に居させて下さい」
私の言葉に、勇者様はどこかどぎまぎとして言い淀んでから、やや顔を赤らめて頷いた。
「……うん。僕からもお願いします」
「本当ですか!?約束ですよ!」
勇者様の手をがっちりとつかみ、まっすぐに目を合わせる。
ああ、勇者様と同じ気持ちになれたことがたまらなく嬉しい。きっと今、私の尻尾はとめどなく左右に揺れているに違いない。
「そしたら、さっさと魔王なんか倒しちゃいましょう。勇者様なら、いえ、私達ならできるに決まっています!」
「そうだね。イオリと一緒に地球に行ったら、色々なところを案内したいな」
「ふふ、勇者様の故郷、楽しみにしていますね」
あと数時間もしたら魔王討伐に赴くというのに、周囲の張り詰めた空気と対照的に私達はとても晴れやかな気分だった。「チキュー」へと行く方法が見つかるかどうかはともかく、魔王討伐が終われば、勇者様と幸せな日々を送れる――。
――この時の私は、そんなことを考えていた。
「――はあああぁぁぁ!!!!」
私の言葉に応えた勇者様の、神官や魔術師による強化が加わった一撃が、魔王の核を貫き、砕く。
黒と橙が入り混じった螺旋のような光景が、轟音を立てながら崩れ、消滅していく。
この地を腐敗させ続けていた元凶の魔王は、他でもない勇者様の手によって討たれたのだ。
「はあ、はあ……」
「勇者様!ついにやりましたね!」
辺りに降り注ぐ琥珀色に輝く破片を眺めつつ、私は勇者様に駆け寄った。
「ありがとう、本当に。イオリの、皆のおかげだよ……」
「お疲れですよね?水をどうぞ」
勇者様は水筒を受け取ると、勢いよく水を飲み干した。
「……それで、この後は何か起こるのでしょうか……」
遠くから神官や魔術師が私達のもとへ向かってくる様子が見えるが……少なくとも、その中に「エーサン」が加わっているようなことは無かったようだ。
――やはり、あれは勇者様の勘違いか何かだったのでは?
そう思った直後、消失していく魔王と入れ替わるように、空から神々しい光を放ちながら何かが降りてくる。
それは、普通の人間の何倍もの体格を持ち、白く神々しい布に身を包んだ五十歳前後の男であった。
「――勇者カイトよ。此度の魔王討伐、誠に大儀であった」
「あ、貴方は……?」
「我はこの世界の創造主、アルトである」
「そ、創造主……!?」
その威光は凄まじく、少しでも気を抜いたら吹き飛んでしまいそうだと錯覚すらしてしまうほどだった。イナリやアースを神に近しい存在だと思っていたが、本物の神は存在感からして何もかもが違う。「格」が違うと、本能的に感じてしまった。
気圧される私達をよそに、アルト神は続ける。
「理由もなくこの世に召喚され、幾多の苦難に見舞われたにもかかわらず、我が世界のために身を粉にするその姿に、我は感銘を受けた。その功績を称え、報いてやらねばならぬ。故に、褒美として汝を在るべき場所へ返そうぞ」
「在るべき……?それって、地球に戻るってことですか!?」
「然り。早速、送還の儀に取り掛かる」
直後、私達の足元に巨大な魔法陣が生まれる。どうやら、こちら側に拒否権は無いようだ。
「これより後、汝はこの世界の言語を解することは叶わぬ。体調に不和を感じることもあろう。だが案ずる勿れ、いずれも我の加護を失った反動故、時間が経てば回復するだろう」
「ま、待ってください、もう少し詳しく――」
不穏な言葉に勇者様が声を上げるが、アルト神は全く聞く耳を持たない。
今、この神は勇者様がこの世界の言葉が分からなくなると言っていたか?
確かに勇者様はこの世界の言葉を知らないのに読み書きができると言っていたが――まるで、もうこの世界の言葉に関する知識は不要と言っているのと同義ではないか。
「さあ、時は来た。汝が居るべきは、此処に非ず。後はこの世界に残された人の子に任せ、汝は元居た場所へと帰るがよい」
直後、眩い光が辺りを埋め尽くし、私は足をよろめかせながら顔を覆った。
そして光が静まり、再び顔を上げると――。
「――……ゆうしゃ、さま?」
勇者様とアルト神の姿は元々存在しなかったかのように消え、私だけがその場に取り残されていた。
魔王が滅び、この地は彩を取り戻しているというのに、私の世界は色褪せてしまった。




