421 森の修復と力の回収 ※別視点あり
<イナリ視点>
雨が降り始めてから数分が経った。
今のところ、山火事が収まる気配はなく、時折風に吹き飛ばされてくるブラストブルーベリーがイナリの社に追い打ちをかけている。それを見ていると何とも言えない気分になるが、それ以上に問題なのはこの場の環境だ。
「あっっっついのじゃ……」
「巨大なサウナみたいな状態だし仕方ないわ……」
強風のおかげで傘も差せず、イナリもアースも仲良く全身びしょ濡れだ。それに、辺りで燃える木々の臭いが体に纏わりついて不快だ。
だが、アースの力を借りて即席の小屋を建ててそこに避難、なんてこともできない。そんなことをしようものなら、暑さで蒸し上がってこんがりキツネ色の燻製イナリが出来上がるのがオチである。
料理になる気など毛頭ないイナリは、滝に打たれる修行僧の如く、心を無にして佇んでいた。
「落ち着くまで帰っていいかしら?私、貴方の頑張るところが見たいだけで、整いに来たわけじゃないのよね」
「うむ。終始付き合わせるのも悪いからの」
そも、今回アースがこの場に居るのは完全に厚意によるものだ。わざわざこんな地獄に付き合わせる道理はない。
「とりあえず一時間くらい経ったらまた来るわね」
「うむ」
イナリが頷くと、アースは亜空間の中へ消えていった。
「……はあ、しばらくこのままか」
轟轟と炎が燃え盛る森の中、イナリはため息を零しながら呟いた。
地球での経験上、いくら豪雨と言えど、山火事の鎮火にはそれなりの時間を要することをイナリは知っている。ただ、今回は条件が地球とは色々な面で異なるので、案外あっさり鎮火するかもしれないし、逆に相当長引く可能性もあるだろう。
後者の場合、この森の未来はイナリの根気次第で全てが決まると言っても過言ではない。
「くふふ、何十年と参拝者が居らずとも耐えたこの我の根気、舐めるでないのじゃ」
自嘲するように呟いたイナリは、引き続き上空の雲の制御に意識を向けることにした。
「――や、やっと落ち着いたかの……」
火が収まったのは、すっかり日が沈んだ後のことだった。恐らく、半日かそれ以上と言ったところか。雲や黒煙のせいもあって正確なところは不明だが、おおよその感覚は正しいはずだ。
「さて、これで例の草は滅んだであろう。後は――」
この森の殆どの植物は燃えてこそいないが、実が熱せられていたり、何らかの拍子に枝や幹が折れてしまったりと、それなりに悲惨な状態になっている。最後にこれらを元に戻してやる必要があるのだ。
故に、まだ燻っている火種がある可能性も見越して小雨は降らせたままに、イナリは成長促進の力を森全体に向けて注ぐ。この力も絶賛暴走中だが、力を弱められないだけで、制御自体は特に問題が無いのは不幸中の幸い――むしろよかったまであるだろうか。
「災い転じて福となす、というやつじゃな。……いや、それにしては災いの部分が大き過ぎる気がするが」
もっと特大の福が無いと、これは些か不均衡が過ぎるのではなかろうか。これから帳尻が合わせられるというのであれば文句は言わないが。
イナリが誰にともなく文句を零している間に、成長促進により木々の折れた枝の代わりに新たな枝を生やし、飛んでいった果実が再び実る。すっかり萎んでいた花々も元気を取り戻し、煤けていた草も青々とした姿を取り戻した。
そこには、魔の森の環境を蝕んでいたイミテ草特有の、青みが強い緑色も見られない。その事実が、魔の森が健全な姿を取り戻したことを確信するには十分であった。
「ああ、ついに終わったのじゃ……!」
達成感に満たされながら汗を拭った。もう全身が雨でぐっしょりなので、拭ったところで何も変わらないが、そんなことは今のイナリにはどうでもよかった。
イナリは指輪に手を触れ、何度か様子見しに来た末、天界に避難していたアースに呼びかける。
「アースよ!元の森と、我の社を取り戻したのじゃ!我の勝利じゃ!」
「……イナリ、落ち着いて聞いて?貴方の社は、もう……」
「別に現実が見えておらぬわけではないのじゃが?」
白々しく目を覆って涙を流すフリをするアースに対し、イナリは冷めた反応を返した。イナリとて、もう社と認められるものが柱数本と床の一部くらいしかないことは認識している。
ただ形式的に社を取り戻したことは重要であると言いたかっただけなのに、このような反応をされるとは全く心外だ。
「――それじゃあ、貴方の力を回収するわ」
「うむ、頼んだのじゃ」
「……大丈夫?忘れ物は無い?」
「我を子供か何かと思うておるのか?」
イナリがジトリとした目をアースへ向けて返すと、彼女は呆れたように息をつく。
「一応聞いておくけれど、あの石はどうするつもり?」
「む?……ああ、アレか」
アースが示す先には、イナリが地球から持ってきた「ちょっと元気になる石」があった。先ほどまで散々雨風に晒されていたというのに、元々あった場所から全く動いていない。
「これがあると元気になるからの。また人間に好き放題されるのも癪じゃし、一応持って帰ろうと思うのじゃ」
「一応って……まあいいわ。他に言い残すことは?」
「無いのじゃ!……しかし何じゃその問いは?まるで我がこれから死ぬかのようではないか」
「……実質的にはそれに近い状態になるわよ」
「ははは、また冗談を……冗談じゃよな?」
ぽそりと呟いたアースの不穏な言葉を、イナリの耳は聞き逃さなかった。
「言ったでしょう、大変だって。貴方は『平気じゃ』と自信をもって答えたわよね?」
「そ、それはそうじゃが……」
「それじゃ、いくわよ?気を強く持ちなさい」
「す、少し考えさせてほしいのじゃ。じゅ、準備、心の準備を、ちょ、待――」
アースは慌てふためくイナリを社の柱まで追い詰めると、イナリの腹に腕を突っ込んだ。
<アース視点>
「かひゅっ……かひゅぅ……」
力を預かったことでイナリは地面に倒れ、虫の息となった。
……何も知らない者が見たら、殺人現場か何かと思われても仕方がなさそうな絵面だ。どこぞの神官ならば、私だろうと臆さずに飛び蹴りでもしてくることだろう。
それにしても、想像以上に多くの力を吸い出す必要があったのは想定外だった。全く、この小さくて見るからに弱々しい体にどれだけの力を内包しているのだか。
「大丈夫。最初が一番辛いから、これからはちょっとずつ回復していくわ」
果たしてこの言葉はイナリに届いているだろうか?目の焦点も合っていないし、顔色も悪い……普段のじゃのじゃ言っている姿を知っているだけに、とても見ていられない様相だ。
「……さて、どうしようかしら」
実は私にはまだ用事がある。というのも、ここに戻ってくる直前でアルトに声を掛けられてしまったのだ。
曰く、この近辺に不正に神の力を取り込んだ人間が居るようなので、もし余裕があれば確保してほしい、と。そんな感じの内容をアルト特有の低姿勢な態度で伝えられた。
当初こそ「自分でやれ」と一蹴したし、このまま帰るつもりだったが……この、釣り上げられた直後の魚みたいな惨状を晒しているイナリをこのまま放置していくほど冷徹ではないので、街に届けるくらいはすることにした。
そうなると、ここから直接街に行こうが寄り道しようが、私からすれば大した違いはない。
「はあ……ついでよ、ついで」
私はイナリが持って帰ると言っていた石を回収し、イナリを抱えてアルトから聞かされた場所へと向かうことにした。




