419 我の社が!? ※別視点あり
<イナリ視点>
「あ、あわわ、消さないと、我の社が!」
「なかなか派手にやるわね」
目の前で繰り広げられる惨劇に慌てふためくイナリに対し、アースは比較的冷静であった。
「お主もお主じゃ、何故そんなに平然としておるのじゃ!?燃えておるのじゃぞ!我の!社が!」
イナリはアースの肩を掴み、がしがしと揺らしながら訴えた。力が貧弱どころでないイナリの中の、ここ最近で一番力を奮った場面と言えよう。
「いや……まあ、気持ちはわかるわよ?」
アースは迫るイナリをそっと押し返して告げる。
「でも、あの社って『土地神』だか何だか知らないけれど、貴方以外の別の神とやらを崇めるためにあれこれされたのよね?……それならむしろ、一度燃やしておいた方がいいと思うのだけれど」
アースの言葉にイナリは改めて考える。
ここまでの出来事を例えるなら、旅行で自宅を空けている間に見知らぬ輩が住んでいた状態だ。それを追い出して家を取り戻したとして、前の居住者の物をそのままに住めるかと言えば、否である。
すなわち、あの炎は「土地神」を滅ぼす浄化の炎とも……いや、これは些か好意的な解釈が過ぎるだろうか。
「いっそこの際、もっと立派に建て替えてもいいんじゃない?今の貴方の社って、その……こじんまりしてるでしょ?」
「確かにそうじゃな……」
何故か一瞬言葉を選んだアースの様子に引っ掛かりつつも、イナリは頷いた。
そうこうしている間にもイナリの社は燃やされ続けている。材質の都合もあり大炎上とまでは行かないが、火が直接当たった部分は黒く焦げ、黒煙を上げている。
動機はともあれ、リズの暴挙は一旦割り切って受け入れることができたイナリだが、それはそれとして己の社が燃えていく様を見るのは心に来るものがあった。
イナリは現実逃避も兼ね、雲を集めていく作業に戻ることにする。
まずは嵐を巻き起こし、その後で雨を降らす。再三確認したことを、平静を取り戻すためにもう一度確認しておく。
一応、社の周りに居る面々はイナリが起こす天候変化に巻き込まれる形になってしまうが――ここまで散々人間に被害が行かないよう慮ってきたのだ。この場に居る人間に配慮する道理はもはやない。
それに、散々イナリを振り回してきた人間達を今度はイナリが振り回すというのは、それは爽快に違いない。
「くくく、今宵は楽しくなりそうじゃ」
「……まだ真昼間だけど」
「言葉の綾じゃ」
<リズ視点>
「ううう、ごめんなさい、ごめんなさい……!」
結局リズは流れでイナリちゃんのお家を焼くことにした。
火属性の魔法は大好きだし、物を燃やすことに抵抗は無かったけれども、今回ばかりは後ろめたさが尋常じゃない。普段は絶対出ない類の汗も流れている気がする。
いくら「我、寛容じゃから」の一言で大体許してくれるイナリちゃんでも、流石に今回ばかりは許してくれなくても文句は言えない。
ちなみに、エリック兄さんもここに来る少し前に気が付いたみたいだったけれど、作戦のためだしもう後には引けないと強引に押し切った。……後で、イナリちゃんに一緒に謝ろうね。
さて、もしイナリちゃんが見ていたら卒倒間違いなしなこの光景は、魔王崇拝者にも効果てきめんだった。
「ああ、神殿になんてことを!」
「我らが神に対して何たる不敬だ!」
「あの小娘を捕えろ!」
そんな言葉とともに、リズに向かって粗末な武器……もはや武器と呼んでいいのかも怪しい代物を掲げた信者達の怒りや殺意が向けられる。
それに対して守るようにエリック兄さんや他の冒険者が前に立ってくれるけど……正直、魔法学校で散々やっかみを受けていたせいもあってか、怖くもなんともない。この「魔導式火炎龍ブレス・改」があれば余裕で勝てそうだし。
……いや、一応「神の家を燃やしている」という意味では魔王崇拝者の言葉も間違いじゃないし、そういう意味ではあの人たちの言葉が微妙に刺さるな……。
「それよりもリーダーの質問に答えろ!」
「お前ら、魔王を制御できるとか言ってたのは端から嘘だったのか、ああ!?」
「騙してたってんならどうなるかわかってんだろうなコラ!」
それより、リズ達と別で怒ってるあの人たちは誰なんだろう。如何にも「賊」って感じの見た目だし、あれがラズベリーちゃんの潜伏先のグループなのかな?
「エリック兄さん。あの人たちって、もしかしなくても?」
「ああ、例の『リーダー』の一味だろうね。どうにも、矛先は僕達には向いていないようだけれど……」
「……あ、なんか隅でぐるぐる巻きにされて放置されてる人がいるよ。あれ、絶対エリオットさんだと思う」
ぱちぱちと火の粉が弾ける音をイナリちゃんの社を背景音に、状況の分析を進める。
今、冒険者は賊を、賊は魔王崇拝者を、魔王崇拝者は冒険者……というかリズを敵視している。偶然にも綺麗な三すくみになったみたい。
……ところで、イナリちゃんとエリス姉さんはどこに行ったんだろう?うーん、ディルが何とかしてくれるといいけど。
「エリック兄さん、どうしよう?」
「向こうの二組が争っているようだし、少し様子を見て――いや待て、空の様子が……」
エリック兄さんの呟きに空を見上げると、黒煙の奥に黒い雲が空を覆っていることに気が付いた。空模様が悪いどころじゃない。これはどう見ても嵐の前兆だ。
少し前までは快晴だったことを考えると、これって――。
「もしかしなくても、イナリちゃんの祟り的なやつ?」
「……そうかもしれない」
直後、耳をつんざくような雷が森に落ちた。
<イナリ視点>
「おああ……雷で耳が……」
「何してるのよ……」
人間らが各々の思惑で争っている裏で、自分で発生させた雷で苦しむ狐が居た。これは流石のアースも擁護できずに呆れている。
しかし、イナリは雷が落ちる時期までは精密に操れないし、偶然森の近場に落雷したのだ。こればかりは不意打ちであり、イナリに落ち度はないと言う他ない。
「し、しかし、これで雲は完成じゃ。後は雨が降るまで、風を吹かせて荒らしてやればよい」
イナリはふらふらと揺れつつ、したり顔で告げた。
例えるなら、今は着火剤に火をつけた所だ。あとは軽く様子を見つつ、「花火」が弾けた後の消火に備えておくのみである。
「しかし、ここまでしても向こうの人間らは状況を理解していない様子じゃな。少し脅かしてやろうぞ」
イナリの止められなくなっている力の一端を見せてやれば、流石の彼らも危機を感じて雲の子を散らすように逃げていくだろう。
イナリは近場の木々に力を注ぎこむ。いくつかの木々がぐんぐんと伸びて捻じれあい、より綱のような姿を形作る。
そこにさらに力を注ぎこみ、のたうつような挙動で人間達の方に差し向けた。その姿はさながら巨大な蛇である。
するとどうだろうか、先ほどまで険悪にしていた人間達は、面白いように各々の方向へと散り散りになって逃げていく。
「くふふ、見たかアースよ。人が蜘蛛の子のように消えていったのじゃ!」
「……貴方ってかなり人間寄りだと思っていたけれど……ちゃんと神らしいところもあるのね」
「む?我は『らしい』でなくて、正真正銘の神じゃが?」
「そうじゃなくて。……はあ、まあいいわ」
アースは呆れたように呟くと、また社の方角に向き直った。
「それで……あそこで感動している連中はどうするの?」
「む?」
アースの言葉に我が耳を疑ったイナリが目をやると、そこには跪いて感動に打ち震える魔王崇拝者の姿があった。
「あ、そっか。我、魔王じゃから……」
彼らは「魔王」の力を直接目撃しておかしくなってしまったのだろう。あるいは、「魔王」が自分たちを救ってくれたとでも勘違いしているのか。
「ま、放置でいいじゃろ。巻き込まれようが知らんのじゃ」
イナリは彼らに背を向け、近くの岩に腰掛けた。
そして再び雷が落ちる。しかし一度雷が落ちるとわかっていればこちらのもの。今度のイナリは驚かない。
「ふふ、雷とはすなわち稲妻。豊穣を司る我とは切っても切れぬ、所縁のある現象じゃ。この程度の轟音、我にとっては子守唄も同然よ」
岩の上で腕を組んでふんぞり返るイナリに対し、アースは気の毒そうに告げる。
「……今の雷、貴方の社に直撃して……倒壊したわよ」
「……我が、我が一体、何をしたというのじゃ?」
イナリは目に涙を浮かべてぼやいた。




