413 反転
「――さて、ここまでで大丈夫じゃ。お主ら、気を付けるのじゃぞ。エリスのことも頼んだのじゃ」
一度別れたハイドラ達と再度合流し、社の方角に当たりが付けられる場所まで移動できたイナリは、改めて離脱する意思を伝えた。
「……ええと、本当に大丈夫?イナリちゃんの事を信用してないわけじゃないんだけど、同じところをぐるぐるしてる様子が想像できちゃうというか」
「世はそれを信用していないと言うのではなかろうか」
中々に失礼な言葉と共に訝しむハイドラに対し、イナリは冷静に返した。直後、スティレも親指を立てて口を開く。
「同志が望むなら、このまま一緒に戻ってもいい。大丈夫、エルフでも森で方角を見失うことはある。道に迷うのは、恥ずかしいことじゃない」
「ええい、妙な気を遣うでない!」
威嚇するように声を上げたイナリに対し、スティレは手を下ろし、冷静な表情のまま周囲を見回す。
「真面目な話、このまま戻ったほうがいいと思う。さっきからずっと、森がざわめいている」
「それは……魔王が暴れておるからのう」
一冒険者として極めて妥当な提言をするスティレに対し、元凶たる魔王もといイナリは目を逸らして返した。このままだと連れ帰る流れになりかねないので、そうなる前に先手を打つことにする。
「この森は我の領域みたいなものじゃし、気遣いは無用じゃ。さ、お主らはエリスの体調が悪化する前に街へ戻るのじゃ」
「そうだね……」
イナリが強引に話を切り上げたことを察したのだろう。ハイドラはエリスを背負い直してイナリに向き直る。
「じゃあ、私達は街に向かうよ。イナリちゃんも……ええと、何をするのかはわからないけど、気を付けてね。イナリちゃんに何かあったら、皆心配なんだから!」
「うむ」
イナリは手をひらひらと振ってハイドラ達を見送った。途中、何度かスティレが振り返ってきたが、イナリはあえて気づかないフリをした。
「さて、どうしたものか」
また一人となったイナリは呟いた。
その直後、側方からイノシシのような魔物の姿が現れる。それは小さなイナリの姿を認めると、格下と判断するなり真っすぐに突進してくる。
「こうも露骨に狙われるといっそ清々しいものじゃ」
イナリが呟いた直後、魔物は蔦に捕まり、そのまま巨大な毛玉のように雁字搦めとなって動かなくなった。今までならば泣き叫びながら森を逃げ回ることになっていたであろうが、今のとても強いイナリであれば、対処も片手間である。
それ自体は実に喜ばしいことなのだが、それはそれとして重大な問題がある。
それは、この力が収まりそうな兆しが見えないということだ。
例えるなら、物がいっぱいに詰まった箱を開けたら、物が溢れて閉まらなくなった状態が近い。イナリの尻尾が増えたまま戻らないのは、つまりそういうことなのである。
なので、イナリはハイドラ達と歩いている間ずっと、この森のどこか知らない場所に成長促進を注ぎ続けていた。尻尾五本分の力は伊達ではないだろうから、その地は今頃、蛇の群れのように草木が蠢き、絡み合っている事だろう。スティレが言っていた「森のざわめき」というのはほぼほぼこれで間違いなさそうである。
このままでは街に帰ることができないので、どうにかしてこの力を鎮める必要がある。
「……力の向きを我に向けたら何とかならんじゃろか?」
今の問題は、体から流れ出る力によって引き起こされているものだ。それらの行き先を全て自分に向けて、外に影響が及ばないようにすることができたなら、それは事実上、力を鎮めたと言ってもよいのではなかろうか。
そう考えたイナリは一つ深呼吸すると、瞳を閉じて己の身体の力の流れに意識を集中させ、細心の注意を払いながら己の内側に向くように制御を試みる。
これまでの大味な制御とは違い、針に糸を通すように繊細な操作をする必要があるので、ややコツを掴むのに時間を要したが、一度感覚を掴めば後は容易いものだ。
普段放出している力が己を満たし始めたおかげか、なんだかぽかぽかとした気分になっていく。このまま続けていけば、もしかしたら――。
「――その辺でやめておきなさい」
「うひょわ!?」
突然背後から声を掛けられ、イナリは毛を逆立てながら奇声を上げ、地面の上に転がった。そして声の主の姿を認め、ほっと息をつく。
そこに居たのは、黒髪を靡かせた地球の神、アースであった。
彼女の額には汗が浮いており、いつもイナリとお揃いにすると言って生やしている狐耳や尻尾がない辺り、かなり急ぎで来たことが窺える。
「な、何じゃ、アースか……呼んでおらぬのに何で来たのじゃ?折角いいところじゃったのに」
「……色々言いたいけれど、とりあえず周りを見なさいな」
「周り?」
呆れた様子のアースの言葉に、イナリは立ち上がって服の土埃を払いながら周囲を見回した。
「……ぜ、全部枯れておるではないか!?」
周囲のほんの数刻前まで生い茂っていた草木が全て朽ち果てていた。近くにあった草に手を伸ばして触れれば、パリパリと音を鳴らして簡単に砕けていく。
「あわわ、大変じゃ……」
生まれてこの方、植物が枯れるという事象と縁が無かったイナリだ。この光景に動揺するのは無理もないことであった。
イナリが慌てて枯れた草木に向けて成長促進の力を注ぎ、事態の収拾に努める傍ら、アースはため息を零しつつ告げる。
「私は、思い付きで力を暴走させているアホ狐を止めに来たのよ」
「あ、あほぎつね」
アースのあまりにも直球な罵倒にイナリは面食らい、そして身構える。
「……というか我、監視されておるのか?」
「あの神官じゃあるまいし、私は貴方を常時監視したりはしてないわ。ただ、危険が差し迫っている時にわかるようにしてるだけよ。以前も一回……いや、あの時は貴方、寝てたわね」
「ふむ?」
アースの言葉にイナリは首を傾げた。
どうにもイナリが眠っている間に一度危機に瀕した経験があるような物言いだが、イナリには全く身に覚えがなかった。……エリスが何かしようとしていたとか、そういった類の話でなければよいのだが。
「とにかく、貴方が危険な状態だったから飛んできたわけ。貴方、あと数秒で爆発してたのよ?」
「ば、爆発!?」
イナリはアースが口にした恐ろしい言葉を復唱した。となると、「ぽかぽかした気分」とか思っていたのは、比喩とかではなく物理的にイナリの身体が熱くなっていたのかもしれない。
「でもまあ、『いいところだった』なんて言われてしまったし、水を差しちゃったみたいね。そんなに爆発したかったなら止めるのも悪いし、私はこれで――」
「――ままま待つのじゃ!ちゃんとお主の言うことを聞くから、そこのところもう少し詳しく話を聞かせてくれぬか!?」
亜空間へ片足を入れて帰る素振りを見せるアースに対し、イナリは縋りついて懇願した。
「全く……とりあえず、あんな暴挙をするに至った理由を教えてもらえるかしら」
「うむ……」
アースの言葉にイナリは神妙に頷くと、これまでの出来事を経緯を一通り伝えた。




