409 お仕置き(拷問)
「え、エリスよ。これは何の冗談じゃ?」
イナリが狼狽していると、今度は魔術師の方が意趣返しとばかりにくつくつと笑う。
「無駄だ。その女は既に、催眠状態にある。貴様に拷問に耐える覚悟はあるか?」
「ご、拷問……?」
「ああ」
言葉を反芻したイナリに、魔術師が頷いて返す。
「教えてやろう。神官は誰もが、必ず異端を排除するための技術を教わる。その中には当然、情報を強制的に引き出すための手段も含まれている」
「ふん、見え透いた嘘じゃな!第一、エリスがそんなことを知っておる訳が――」
魔術師の言葉をハッタリの類と踏んで鼻で笑ったイナリだが、ここである記憶が蘇る。
それは、まだエリスと出会って間もないころ、二人で街を巡った流れで人目が少ない路地へ連れ込まれ「排除」されかけた、あの時の記憶である。
あれは結局冗談という形で落ち着いたが、それにしては妙に堂に入っていたのも事実。あれは単にエリスの演技力によるものでなく、過去の経験によるものだったのだろうか。魔術師の言葉に乗せられるようで癪ではあるが、それなら納得できる部分が大きい。
イナリは恐る恐る再びエリスに目を向け、どうか否定してくれと願いつつ問いかける。
「……知っておる訳が、ないよの?」
「知ってますよ」
「ひぇ……」
平然と即答するエリスにイナリは慄いた。催眠状態にあるせいで目の輝きが失われている分、一層怖さが増幅している。
「や、やめるのじゃ!エリスよ、目を覚ますのじゃ!」
「くくく、実に滑稽だ。さあ、大人しく吐くか?黙っていれば、お前を愛する者が、お前を傷つけることになるだろう」
「何言ってるんですか?イナリさんにそんな酷いことするわけがないじゃないですか」
「うん?」
エリスの声に、イナリと魔術師は揃って首を傾げた。
「これは……催眠に掛かっておらんのかの?」
「そんなはずはない。この女は確かに、催眠魔法の影響下にある。……いや、これは……」
「くふふ、そうじゃよな、そうじゃよな!神官は催眠魔法に強いのじゃよなあ!エリスよ、我は信じておったぞ!」
何やら困惑した様子の魔術師の事は放っておくとして、エリスの反応から彼女が催眠に掛かっていないと見たイナリは手のひらを返して讃えた。なお、未だに両腕を掴まれて持ち上げられているままなので、絵面は実に情けないものである。
そんな事を気にも留めないイナリは、魔術師の方を指すつもりで足をぷらぷらと揺らす。
「さあエリスよ、我を開放してあやつを撃退するのじゃ!」
「……イナリさん。人の質問にも答えず、あまつさえ敵呼ばわりなんてしてはいけませんよ」
「はえ?」
イナリはぷらぷらと揺れたまま間の抜けた声を上げた。
「いや何を言うておるか、あやつは我らの敵じゃぞ?」
「む、私の注意を無視するなんて酷いです!悪い子にはお仕置きが必要ですね!」
「ちょ、何を、痛だだだだだ!?!?」
場にそぐわないエリスの言葉に惚けていたイナリは、両腕を左右に引っ張られた。
「は、反省したのじゃ!すまんかったのじゃ!」
イナリが平謝りすると、エリスは満足したのかイナリを引っ張るのを止めた。
ここでイナリは理解した。恐らく、今のエリスは完全な催眠状態には無く、イナリに対する接し方自体はそこまで変わっていない。しかし、魔術師の問いかけに答えるよう促してくるし、それに反発するとお仕置きのつもりで拷問を行うという、むしろ質の悪い状態に陥っているようだ。
「こ、このままだと拙いのう……」
イナリは額に汗を浮かべつつ呟いた。
結局、今の状況は決して良いとは言い難い。例えばこの「お仕置き」だって、今はまだ痛いだけで済んでいるが、結界を拷問器具として用い始めたりすると話が変わる。結界の力は、すなわち神の力。イナリを傷つけることもそう難しいことではない。
しかも、時間が経つとさらに花の影響が加わる可能性もあるわけで、ますます時間をかける理由がない。さっさとこの魔術師の望む返答を返して撤収するのが吉だろう。
幸いと言うべきかは微妙なところだが、イナリとて魔核片について知ることはそう多くないし、むしろこの魔術師の方が余程詳しい可能性もある。要するに、答えるのが癪だというだけで、魔核片の情報それ自体に渋るほどの価値はないはずだ。
イナリはそう思考を巡らせた末、口を開く。
「魔核片について我の知ることを話せば、エリスの催眠を解くと約束してくれぬか?」
「その神官か?いいだろう。ただし、そちらが誠実さを欠いた対応をするなら、この話は無しだ」
「うむ、よかろう。……エリスも、それでよいか?」
「イナリさんがいい子でいてくれるなら、それでいいです」
イナリが振り向いてエリスに問うと、彼女は頷いた。大事な話をしている間に「お仕置き」をされては堪ったものではないので、ここで頷いて貰えたことには大いに意味がある。
しかし、この魔術師は催眠魔法などという誠実さの欠片もない術を使っておいて、よくも誠実さが何だと言えたものだ。イナリは心中で魔術師を誹りつつ、本題を切り出す。
「魔核片は魔王の一部と聞いておる。それを人間に付与することで、人工的に聖女のように神の力を扱える人間を造り出すための実験が、アルテミアの地下で行われていたのじゃ」
「ほう。他には?」
「他に?あー……危険で、魔核片に関わった人間の殆どは助からず、化物と成り果てるのじゃ。……我は研究に携わっていたわけではないからの、詳しいことは知らぬし、これ以上に有意義なことは話せぬと思うのじゃ」
アースのように研究資料を読み込んでいたらもう少し色々言えたのかもしれないが、イナリの知る範疇ではこの辺りが限界だ。
故にイナリが話を切るも、魔術師はどこか苛立った様子で問いかける。
「それだけのはずが無い。貴様らは、魔王の力を利用しただろう」
「……いや?」
イナリが露骨にすっとぼけると、魔術師の男はエリスに目を向ける。
「神官。『樹浸食の災厄の力を見せろ』」
「はい。『生えろ』」
「え、エリス?」
声を上げるイナリをよそに、エリスは魔術師に言われるがまま、足元に生えていた花を成長させた。どうにも、イナリが関わらなければ言われたことに忠実に従ってしまうようだ。
じわじわと追い詰められている事実にイナリは背筋に汗が浮かぶのを感じつつ、視線を泳がせる。
「……さて、今の指示で、この森の魔王の力を使っていることが、証明された。これをどう説明する」
「い、いやー……草魔法ではないかの?」
「草魔法の本質は、何もない場所に草木を生む魔法だ。既存の草木を操ることは、決して容易ではない」
「う、うぐ……」
こんな魔術論で論破されるくらいなら、リズでも連れてくるべきだったか。あるいは散々聞き流していた彼女の魔術語りを真面目に聞いていたら、もう少し何とかなったのかもしれないが……何にせよ後の祭りである。
「常識の外にある事象を起こすには、魔核片の力が必要だ。正直に答えろ。貴様らは何時、何処で魔核片に触れた」
「ふ、触れて無いのじゃ!魔王の力なんぞ、我は知らぬ!」
「ふざけるな!」
「ひぃ!?」
突然大きな声を上げた魔術師にイナリも悲鳴を上げた。
そも、樹浸食の災厄の力とはつまり、イナリの神としての力である。そういう意味ではイナリの反論に嘘偽りはない。……が、この男がそんな事情を知る訳が無いのだ。
「わ、我は至って真面目じゃ!ここまで何一つとして嘘はついておらぬわ!」
「そんなはずはない!貴様が俺の催眠魔法に抵抗したことが、何よりの証――ゴホッ、ゴホ……」
魔術師は酷く咳き込む。しばらくその様子を眺めていると、また静かに喋り始める。
「はあ……もういい。魔核片を取り込んだ者は、総じて代償を払うことになる。研究を見た貴様なら、それを知らないはずが無い」
イナリはサニーの事を思い出した。彼女やアルテミアの研究所から救出された子供たちはアースにより「解決」されていたはずだが……それをしないと、この男が言うところの代償を払うことになるのだろう。
「俺は、強くなるために、魔核片を取り込んだ。……それで得た能力がこの催眠魔法だ。その代償に、呼吸器系が弱くなった。俺がこれまで、どれだけ苦しんできたことか……」
「う、ううむ……」
そんなことを言われても、と言うのがイナリの本音であった。苦しいだろうことはわかるが、はっきりいって、自発的に魔核片を取り込むのなら代償のことも考えておくべきだろう。
「故に、貴様らから、代償を打ち消すための手がかりを得られると、期待したが……とんだ期待外れだ。代償も払わず、のうのうと生きているその面が、心底腹立たしい」
「酷い言われようじゃ」
そも、この男が期待する答えをイナリは持ち合わせていないのだ。勝手に期待され、迫られ、失望されているのだ。理不尽以外の何物でもない。
「だが、気にしなくていい。代償が無いというのなら、俺が代わりに代償を払わせてやろう。貴様が誠実さを欠き、俺を失望させた罰も兼ねてな」
「む?何を――」
「――神官。『この獣人の前で自決しろ』」
魔術師の男が告げると、エリスはイナリを持ち上げていた手をパッっと放し、手に結界で作った槍を握った。




