407 内に秘めるもの ※別視点あり
<エリオット視点>
「――うわ、何だこれ!霧!?」
「狼狽えるな。お前はこいつが逃げないよう、見張っておけ」
「は、はい」
突然辺り一面が白い霧に包まれ、困惑する部下の男をリーダーが咎めつつ僕の隣に立たせる。……昨日まで僕の見張りだったラズベリーより一回り以上体が大きいので、隣に立たれるだけでかなりの脅威に感じる。
「近くに居る奴の姿を見失うなよ!獲物に逃げられないよう、仲間との距離を維持しつつ包囲するんだ!」
リーダーの男が辺りに居るであろう仲間へ向けて声を掛ける。どうやら、この霧の出現はイナリさん達の手によるものらしい。ただの一般人である僕にとっては、状況に追いつくのがやっとだ。
「しかし、流石に無策とまでは行かなかったが……俺の得意な領分なのは助かるな」
「……ああ。確か貴様は、風魔法の使い手として名を馳せていた冒険者だったな。当時の名は何と言ったか……」
「やめてくれ。魔術師のあんたに言われたら嫌味にしか聞こえねえ」
確か、このリーダーの男のような者は「冒険者崩れ」と呼ばれる。それは、冒険者から犯罪者へ身をやつした者の総称だったはずだ。
単なる盗賊と比較すると、冒険者としての経験から社会を知っている分、何かと厄介なことが多いとか……そんな話だったはずだ。
なるほど、僕がこのような目に遭っている理由にも多少納得できる部分ができたかもしれない。それが何の気の慰めになるわけでもないけれども。
「まあ何だ、とにかく霧を吹き飛ばすぞ。……『ウィンドブラスト』!」
リーダーの男が魔法を詠唱すると、嵐の中にいるかのように強い風が辺りに吹き荒れ、霧が少しずつ晴れていく。
しかし僕はその場に立っていられず、バランスを崩して地面に伏せることになってしまった。みっともないことの連続にうんざりとした気分だったが、風で飛ばされてきた枝が手下の後頭部に激突して倒れたのを見てからは、変に耐えなくてよかったと心から思った。
「ははは、逃げたかっただろうに残念だったな、この強風の中では自由に動けなかっただろう。さあ、絶望に染まった可愛い顔を見せ……て……」
「いてて……リーダー、どうしたんすか?」
手下が後頭部を擦りながら身を起こす。随分頑丈なものだと内心驚きつつ、彼と一緒に花畑を見れば、そこには――。
「――何ですか、アレ」
「遘√?繧、繝翫Μ縺輔s莉・螟悶↓讒九▲縺ヲ縺?k證??縺ゅj縺セ縺帙s窶補?墓カ医∴縺ヲ縺上□縺輔>」
――少し前までそこに居た二人の冒険者に代わって、どこからともなく現れた形容しがたい化物が、花畑に鎮座していた。
<イナリ視点>
霧が晴れる少し前のこと。煙玉を発動した直後のイナリ達は身を寄せ合って声を掛けあう。
「イナリさん、一緒に不可視術を発動しましょう。お互いの姿を見失わないように密着してください。……いや、これは決してイナリさんを全身で感じたいとかそういうわけではなくてですね」
「わかっておるわかっておる。変に言い訳するとむしろ怪しいのじゃ」
この神官はどんな状況でも平常運転だと感心しつつ、二人で不可視術を発動する。と言っても、念じるだけなので何か特別な行動や儀式があるわけではないが。
「む、風が吹き始めたのじゃ。明らかに不自然じゃし、霧を吹き飛ばそうとしているのかのう?」
風を操る事ができるイナリにかかれば、不審な風の察知は造作もないことだ。イナリが神ならではの洞察を披露すると、エリスはしばし間を置いて、体全体でイナリを包み込む。
やや呼吸が荒いようだが、イナリを風から庇うのは負担なのだろうか。
「お主、大丈夫か?まだ毒が残っておるか?」
「……いえ、大丈夫です。イナリさんが飛ばされないように、しっかり捕まえておかないといけませんから……」
「あまり無理をするでないぞ?……というか、我らが捕まりそうなのに、お主が我を捕まえてどうするのじゃ」
きっと冗談を言って辛さを紛らわせているのだろう。そう判断したイナリは苦笑しながら労いの言葉を駆けつつ、エリスを見上げた。
そして、飢えた獣のようにぎらぎらと輝く青い瞳と目が合った。
「……私、思ったんです。私がイナリさんのことを先に捕まえておけば、イナリさんが私のものだと、誰もが分かります。そうです……イナリさんは、誰にも奪わせません」
「……ぇ?」
明らかに尋常でない様子のエリスに、イナリは思わず絶句した。いつもは優しく頭を撫でていた手が、どこか妖艶な雰囲気を纏いつつイナリの頬に触れる。
「ふふ、そんな目を丸くしちゃって、本当に可愛らしいですね。いつもそうやって、私の前で尻尾を揺らして、ぴょこぴょこ動いて、色んな表情を見せてくれて……いつも私が理性を保つのに、どれだけ苦労しているかわかりますか?ああ、この可愛さを独占できたら、どれだけ幸せなことでしょうか」
「まっ、待つのじゃ。お主、様子がおかしいぞ!あと、理性を保っていると言う割には、いつも欲望駄々洩れじゃぞ!?」
「そうなんですか?それでも一緒にいてくださるということは、私の事を受け入れてくれているということでよろしいですか?」
「こやつ無敵か!?」
イナリは困惑しつつ何とか思考を巡らせる。
間違いなく、今のエリスは普通ではない。……普段も決して普通とは言い難い時があるが、これはもはやその比ではない。
少し前の会話から察するにこの辺りの花の影響だとは思うが、一体今のエリスはどうなってしまっているのだろうか。
あれこれ思考していると、ふと、ハイドラのある一言が脳裏によぎる。
――そ、その、ちょっとそういう気分になるお花とかもあったみたいですし?
「絶対それのせいじゃろ!!!」
イナリは吠えた。結局あの時から「そういう気分」が何を指しているのかはわからずじまいだが、少なくとも、エリスが「そういう気分」になったらイナリがただで済まないことは確定している。
「さっきの解毒薬は何だったのじゃ!?お主、正気に戻るのじゃ!」
「私はいつだって正気ですよ。ねえイナリさん、どうして逃げようとするのですか?風に飛ばされたら危ないですよ?」
「今はお主が安全かどうかも怪しいのじゃが??」
現在イナリが置かれている状況はいわば、前門のエリス、後門の強風。そこに己を狙う有象無象のおまけつきという地獄のような状況だ。
「とにかく、今のお主はダメじゃ!風が止んだら落ち着くまでは接触禁止じゃ!」
心を鬼にしてイナリがきっぱりと言い切ると、エリスがぴたりと動きを止める。ここで一旦静まり返ったことで、知らぬ間に強風が収まり、辺りの霧が晴れていたことに気が付いた。
……が、正直、そんなことは二の次。今は目の前に居る悲痛な表情の神官への対処が優先である。
「……どうしてそんなことを言うんですか?」
「え?い、いや、今のお主は正気で無いじゃろ?じゃから、落ち着くまでは――」
「あっ、わかりました。周りに邪魔者がいて気になってしまうんですね?失礼しました。私としたことが、その程度のことも気が付くことができなかったなんて」
エリスはイナリを覆っていた身を起こすと、周囲をぐるりと見回す。
「私はイナリさん以外に構っている暇はありません――『消えてください』」
エリスがそう呟くや否や、辺りの花々が巨大化し、触手のようにうねり始める。
その様子はさながら、森を操る魔王のそれであった。




