406 徐々に蝕む毒 ※別視点あり
<イナリ視点>
「魔物の反応はありませんね」
イナリ達はその辺の花を弄りつつ、「魔物」が動くのをひたすら待った。
――そろそろ来てから十分は経ったはずだけど。
――反応はあるのですが、何もしてこないですね。
エリス言うように、彼女の広域結界により、既に包囲されていることはわかっている。だが、現時点では何か行動を起こしてくる様子はない。
――隙を晒してみる?
イナリはエリスへ神託を飛ばすと、その辺の草花を適当に摘んでいそいそと編み上げ、居住まいを正す。
「さあエリスよ、この花冠をお主に授けよう」
「ふふ、素敵な冠を賜れて光栄の至りです。帰ったら冷凍して永久保存しますね」
「いや、この程度ならいくらでも作ってやるから、そんなことはせんでよい……」
平常運転なエリスに半ば呆れつつ、イナリはさりげなく周囲を見回す。冷ややかな風が花々とイナリ達の肌を撫で、辺りに立ち込める香りをまた新たなものへと作り替えていく。
要するに、良くも悪くも事態は何も変わらなかった。
<エリオット視点>
花畑からそれなりに離れた位置の茂みの中。双眼鏡を構えた手下らしい男が口を開く。
「――来ました。ターゲットの獣人と神官の女の二人……前情報通りです」
ああ、ついにここに先日会話をしたばかりの二人の冒険者が現れた。現れてしまった。どうやら、僕が彼女らに教えた、ここにあるかもわからない花を探しているようだ。
「本当に二人だけで来るとは……それだけ自分の力に自信があるってことか?流石、高等級サマは考えることが違う。しかも、あの神官もかなり美人じゃないか」
そんな僕をよそに、リーダーの男は近くにいた、黒ずくめのローブに身を包んだ魔術師の男に声を掛ける。
「おい、神官にも催眠魔法を掛けられるか?あいつも手に入れたい」
「ああ。問題ないが……本当に、いいのか?教会を、敵に回すことに、なりかねないぞ」
「その時はその時だ。この森をうまく使えば、いくらでもやりようはある」
魔術師の男は地響きのようにガサガサとした特徴的な声で、話し方も途切れ途切れで独特なものだった。少なくともこの辺りの人間では無いようだ。
「……面倒なことになるなら、俺は、退かせて貰う。契約以上のことは、しない」
「勿論、それで結構だ。といっても、そもそもそんな状況にはさせるつもりもないさ」
リーダーの言葉に魔術師の男は渋々と言った様子で頷いた。どうやら、リーダーとこの魔術師の関係は他の者とは違っているらしい。……契約ということは、傭兵の類だろうか。
僕が疑問に思っていると、そこに手下が割って入る。
「あの、一ついいですか?神官って催眠に強いって話じゃ?」
「……この森に、他所から種が持ち込まれたのは知っての通り。ここの花が発する香りは、組み合わさることで、様々な作用を生むように、計算されて植えられている。それこそ、余程詳しくない限り、ただの花畑としか思えないように、巧妙にだ」
魔術師は近くの花を撫でるように触りながら告げる。
「だからこそ、何も知らない者は、気付かぬうちに、少しずつ、体を蝕まれていく。神官であろうと、それは同じ――正気を保つことができなくなれば、催眠魔法に抗うことはできない」
「流石だ。催眠魔法に関してはお前の右に出る奴はいないだろうよ」
「この話に、魔法はほぼ関係ない。この花を植えたのは、俺ではない」
リーダーの賞賛に、魔術師の男は気怠げに返した。
「しかし、素晴らしい収穫だ。高等級冒険者の女が二人も俺の物になるんだ。想像するだけで最高の気分だ。……お前はどうだ?」
欲に塗れた笑みを浮かべていたリーダーの男は、手足を縛られ、猿轡で口を塞がれた状態の僕に問いかけてくる。
用済みだからといって始末されなかったことに安堵したのも束の間、僕は何故かこの現場に連れて来られた。曰く、これが「禊」だそうだが……本当に悪趣味極まりない。
そう思う一方で、二人の冒険者をこの場に誘った僕が、この男を軽蔑する立場にないことも分かっている。だからこそ、やり場のない怒りが胸中に渦巻く。
「……まあ、色々思うところはあるようだな。いいか、あの二人が堕ちていく様を目に焼き付けろ。自分がしたことから、目を背けるなよ。お前は、俺たちと同じだ」
彼は僕の頬を挑発するようにぺちぺちと叩き、また花畑の方に目を向けた。
……これでも何も言い返すこともできない僕が憎くてたまらない。
「それで、あの冒険者が堕ちるまでにはどれくらいかかるんだ?」
「昨日、不調を訴えた者が現れた時間を考えると……最低でも、あと二十分は必要だろう」
「……普通に襲った方が早い気がしてきたが……いや、うっかり傷物にしたり、殺したりしたら堪らん。辛抱だな」
リーダーの男は腕を組み、指をとんとんと小刻みに動かしながら呟いた。
「おい、標的は引き上げようとしたり、気づいた素振りはないだろうな?」
「いや、あいつら花で遊び始めましたし、大丈夫そうですよ。……え、俺らこれから、あの尊い光景を壊さないといけないんですか?本当に?」
「おい、何今更怖気づいてやがる?」
「いや見てくださいよ。あそこにリーダーが挟まる絵なんか、俺は想像したくない……」
「お前、帰ったら覚えておけよ」
<イナリ視点>
エリスと共に花々を弄りつつ、三、四十分ほどの時が経っただろうか。
未だに相手は動きを見せない。状況が状況でなければ、日光を浴びて昼寝でもできそうな気分だ。まあ、真冬の魔の森でそれをするなど、酔狂以外の何物でもないが。
それは抜きにしても、こんなに暇になるのなら昼食もここで食べてもよかったな、などと考えつつ、イナリはエリスに声を掛ける。
「花も見つからぬし、それなりに時間も経ったのじゃ。一旦引き上げてもよい頃合いではないか?……エリス?」
「……え?ああ、はい……?」
エリスはとろんとした表情でイナリに返した。明らかに尋常でない様子に、イナリは嫌な予感が背から這い上がってくるような感覚を感じつつ、彼女の体調について尋ねる。
「お主、大丈夫か?」
「はい――いや、大丈夫じゃないですね」
エリスは再び理性的な目を取り戻すと、手早く鞄からポーション瓶を取り出し、栓を抜いて飲み下す。イナリの記憶が正しければ、それは解毒用のポーションのひとつであった。
「私としたことが、相手の狙いに気づけませんでした。我を取り戻せたのはイナリさんのおかげですね。……ただ、効きが悪いですね。おそらく、またすぐにダメになるでしょう」
「どういうことじゃ?」
「この花畑全体が罠でした。私が動いたので、向こうも動き始めています。すぐに襲いにくることでしょう」
「よ、よくわからぬが、我が風で換気すればよいということか?」
「もっと早く気づいていたらそれもアリでしたが、もう手遅れかもしれません」
エリスは鞄を掴んでおもむろに立ち上がり、煙玉を取り出した。
「唐突で申し訳ありませんが、作戦を始めます。こんな行き当たりばったりにするつもりは無かったんですけどね……!」
エリスが煙玉を勢いよく地面に打ち付けると、そこから白い煙が噴き出しはじめ、十秒も経たぬ間に、花畑は真っ白な霧に包まれた。




