401 下準備(前)
「――で、これが……なので……」
イナリは、エリオットの口から改めて説明される依頼の内容を、適当に頷きながら聞き流していた。内容の大半は昨日のものと同様なので、別に聞く意味もないのである。もし仮に重要な情報があったとしたら、その時はエリスが拾ってくれるはずだろう。
「――それで、行っていただきたい場所なのですが」
そんな他力本願狐娘となっていたイナリだったが、ようやく新しい情報が話に上がる気配を察知し、耳を立てて居住まいを正した。
「確か、地図をご用意いただけるのでしたよね」
「ん、これ」
エリスの言葉を聞いたラズベリーが、おもむろに懐から黄ばんだ紙を取り出し、机にぺいっと放り投げる。イナリは、しわしわで四つ折りになっているそれを広げた。
そこには、謎の曲線と十字、口が四方向に裂けている蛇の化物が描かれていた。加えて、きっと文字を書いたのであろう、滲んで黒い染みと化している何かもある。
「……これは?」
「地図」
「童の落書きか、呪いの書の類に見えるのじゃが」
「地図」
「そ、そうか……」
イナリが、断言するラズベリーに気圧されつつ再度地図に目を下ろすが、何度見ても地図として認識することは困難であった。エリスの方を見れば、彼女も「どうしたらいいですか?」と言わんばかりにイナリに目配せしてきていた。
イナリ達が内心焦っていたところ、ラズベリーが懐からもう一枚の紙を取り出す。
「それを清書したものがこれ」
今度渡された紙は、何が描かれているか理解できるまともな地図であった。どうやら、さっきの「地図」に描かれていた蛇の化物の正体は花の絵だったらしい。
「何故最初からこれを出さぬか……」
「元の酷さを知ってほしくて」
「気持ちはわからんでもないが。誰が作ったのじゃ、これ」
この少女は敵か味方かで言えば敵のはずなのだが、いまいちイナリに対する敵意が感じられない。彼女がエリオットと同じような境遇なのか、あえてこのように振舞っているのかは定かではないが、何にせよ、気を許さないようにせねばなるまい。
「どう?場所はわかるはず」
「そうですね。村の跡地や岩地などを目印にすれば行けそうです。あとは報酬や期日の相談をしましょうか」
ほっと息をついたエリスは清書された地図を手元に寄せ、再びエリオットとの会話を再開した。
その傍ら、イナリはラズベリーへ向けて尋ねる。
「のう、この落書きはどうするのじゃ?」
「捨てていい」
かくして、エリオット達との話はつつがなく進み、そのまま解散となった。
案の定というべきか、今回もエリオットがイナリ達に助けを求めることはなく、明後日に納品……つまり、明日魔の森へ出向くことが決まった形である。
故に、イナリは今日一日で、魔の森で道を作っているエリックやリズ達の様子を見て、その状況に合わせて店主宛ての手紙を作り、それを届け、あわよくば目的地である花畑の下見をした上で、明日のための準備をしなくてはならない。
要するに、やることが盛りだくさんというわけだ。
「というわけで、ここからはお主の出番じゃ」
「それはいいが……エリスはどうした?」
日課の訓練だか鍛錬だかのためにギルドに居たディルに声を掛けると、彼はいつもイナリの隣にいるはずの神官の姿を探す。
「あやつは、ここ最近教会へ出向かなかった分のツケを払うことになったのじゃ」
「……確かに、ずっとお前といて大丈夫なのかとは思ってたが、そうか」
「人が足りないとか何とかで、わざわざ神官が出向いてきたほどじゃからの。我の名前を呼びながら連行されるあやつの姿は、涙無しには見られなかったのじゃ」
「そりゃ見てられなくて涙も出るな」
イナリは、尻尾で軽く絨毯を叩いて仕切り直す。
「ま、その話は置いておくとしてじゃ。我の予定はお主も知っておろう?お主にはこの我を運ぶ誉を与えるのじゃ。我は忙しい故、疾く行こうぞ」
「運ぶ? ああ、前みたいに背負って走ればいいのか?」
「然り。ああしかし、変に飛び跳ねたり、回転したりするのはやめてほしいのじゃ」
「俺もお前に吐かれたら堪らんからな、善処しよう。固定用の縄が必要だな」
「それなら、エリスが持っていたのを借りたのじゃ」
イナリは得意げな表情で、エリスから託された縄を両手で広げて見せた。一方のディルは縄を受け取り、はたと気づいて手を止める。
「あいつ、何で縄を携帯してるんだ?」
「……確かに、なんでじゃろ」
ディルのような者ならまだしも、神官たるエリスが縄を常備しているのは不自然ではあるが……考えれば考えるほど謎だし、きっと今回の事を見越して備えていたのだ。きっと、そのはずだ。
というわけで、早速イナリはディルの背に括りつけられて運ばれ、魔の森に居るエリック達のもとへと合流した。普段ならそれなりに時間が経っているであろう距離も、盗賊たるディルの足を使えばすぐである。
「――お主に運ばれていると、トレントに追い回された時を思い出すのじゃ」
縄を解いたイナリが軽く服をはたきながらぼやく。
「今回は何にも追われなくてよかったじゃないか」
「それはそうなのじゃが。これも道を整備したおかげなのかのう?」
イナリ達が歩いてきた場所を振り向けば、草木が除かれ、馬車でも何とか通れそうな道が映る。これも、ここまで素早く移動できた理由の一つであろう。
そして正面には、現在進行形で十数人の冒険者が協力して道を作っている様子が見える。斧で木を切り倒す者、それを運ぶ者、魔術を使って道を均す者……なるほど、各々が役割を全うすることで円滑に作業を進めているようだ。
「ふうむ……」
地球でも昔はこうして手作業で開拓をしていて、イナリもその様子を見届けていたものだ。いつからか、やたらと聞くに堪えない轟音を発する機械に取って代わった辺りから、すっかり嫌悪するようになってしまったが。
魔術をはじめ、そもそも人間の能力が地球の人間のそれとは全く違いこそすれ、この光景にはどこか懐かしさを感じる。
そんなことを考えてイナリがしばしぼうっとしていると、そこへ歩み寄って声を掛けてくる者がいた。
「――イナリちゃん、ディル。よく来たね」
「エリックか。状況はどうじゃ?」
「昨日に続いて順調だよ。地図で言うとこの辺にいる」
エリックは腰に抱えていた地図をイナリの前に広げ、メルモートの街からイナリの社までを繋ぐように引かれている線の半分辺りに指を指した。……どうしてだろう、まともな地図を見るとすごく安心感がある。
「昨日からの作業の割に、随分と順調ではないか?この世界ではこれくらいが普通なのじゃろか」
「いや、元々道だった場所や木が多くない場所を使っているから、そこまで大変な作業が無かったんだ。今いる辺りからはペースが落ちるだろうね」
「ふむ」
頷いたイナリは、再び冒険者が道を拓いている様子に目を向ける。
……リズが何やらゴテゴテした魔道具を準備しているが、何のための道具だろうか。できればイナリが嫌いな類の音を発さない物だとよいのだが。
「それで、あの依頼の件はどうだった?」
「ああ、予定通り、明日決行になったのじゃ。故に、お主に手紙の代筆を頼みたいのじゃが」
「わかった、すぐに用意する」
店主たちを合流させる場所は、この道がどの程度の場所まで整備できるかで決まる。故に、進捗を一番把握しているエリックに集合地点を決めさせるのが一番というわけである。
「……ちなみにエリスはどうしたんだい?」
「連行されたのじゃ」
「待て、その言い方は語弊があるぞ」
イナリの言葉に、周囲で会話が聞こえていたであろう冒険者が何人か、ぎょっとした表情で振り向いた。その様子に、ディルは慌ててイナリの言葉を訂正することとなった。




