398 見え透いた罠
酒場の一角にて、イナリ達四人は向かい合う。
「では、お話を伺いましょうか」
「こんな開けた場所でよいのか?周囲の者らに丸聞こえじゃ」
イナリは、エリスにごねて酒場から調達したナッツの盛り合わせをぽりぽりと頬張りながら呟いた。本来は酒の肴として提供されるものらしいが、別に酒が無いと食べてはいけない決まりはない。
「この方々の用件が疚しいものでないことを周囲に示すためにも、ここで話したほうがよろしいかと思いますよ。貴方もそう思われますよね?」
「そ、そう、ですね……」
どこか圧を感じる笑みを浮かべて牽制したエリスに対し、エリオットは言い淀みつつも頷いた。
彼はどうにも緊張した様子だが、今になって自身が置かれている状況を理解したのか、あるいは「疚しい」何かがあるのだろうか。
そんなエリオットに対し、対照的なのは彼の隣に座る少女……推定、少女だ。
彼女は人形のようにちょこんと座り、殆ど微動だにしない。それでいて、正面から観察してもなお、なんとか口元が見えるくらいしか顔が見えない。まともに前は見えているのだろうか?
そう不思議に思ってまじまじと少女を眺めていたイナリは、彼女の興味がイナリの手元のナッツに向いていることに気が付いた。
「……食べるか?」
「……貰う」
イナリが皿を差し出すと、少女はいくつか手に取ってぽりぽりとつまみ始める。
子供二名がそんなほんわかとしたやりとりをしている傍ら、エリオットが口を開く。
「改めて、僕はエリオットと言います。それで、隣のこの子が――」
「……ラズベリー」
気を抜いていたら聞き逃しそうなほどの声量でラズベリーと名乗った少女は、またナッツに手を伸ばした。……遠慮なく食べていくから、そこそこの勢いでナッツが減っている。
「お二人はこの街で最も優れた冒険者パーティ、『虹色旅団』の方々と伺っています。そんな貴方がたに頼みたいことがあるんです」
「でしたら、受付へ話を通していただいたほうがトラブルが少なく済むと思いますが?」
「……お金が無くて」
「なるほど」
俯いて告げたエリオットに対し、エリスは冷静に頷いた。
「それ、依頼の形としては問題ないのかの?」
「ええ、もちろん問題ありませんよ。迷える者を導くことも神官の務めです」
エリスは胸に手を当て、慈愛に満ちた表情で告げた。初めて見るエリスの姿に、イナリは彼女に対する認識を改め――。
「本音は?」
「……問題はありますけど、この世界に人類が存在する限り、この手の相談が無くなることはありません。とりあえず聞くしかないです」
「そうじゃよな」
……認識を改めることはなかった。むしろ唐突に神官らしい振舞いをするものだから、どこかおかしくなってしまったのかと心配したくらいであった。
それか、本来なら一蹴するところ、イナリが話を聞きたいというから無理をしてくれたのだろうか。だとしたら少し悪いことをしてしまった気がしないでもない。
「では、続きをお願いします」
「こ、この流れでですか……」
突然すんとしたエリスにエリオットは困惑したが、一呼吸おいて本題に入る。
「薬を作るために、魔の森にある花畑で花を採取してきていただきたいのです」
「花畑とな。そんな場所あったかの?」
「どうでしょう、思い当たる節が無いことはないですけど」
これまで魔の森で活動してきた記憶を辿った限り、花畑と表現できる場所はそう多くない。辛うじて花畑を名乗れる程度に花が群生している場所や、花畑と言うには些か木々が多すぎる場所ならいくつか思い浮かぶが。
あるいは、広い上に場所によっては茂みを一つ抜けただけで景色が変わることもあるあの森の事だ。イナリが知らない場所に花畑がある可能性は否定できない。つい先日、意味不明な大きさの蜘蛛を見て慄いたばかりだし。
そんな風にイナリ達が顔を見合わせていると、エリオットが割って入る。
「場所が分かるように、簡単な地図であれば後日用意します」
「今は無いんですね」
「す、すみません、急ぎだったもので。はは……」
エリスの言葉にエリオットは誤魔化すように笑った。
「それで、何を採取したらよいのですか?」
「ここに薬師に確認したものをまとめてあります。大体魔の森にあるから、と」
「……火傷の痕を消す上級ポーションですか。材料に間違いは無さそうですが」
エリオットが懐から取り出した紙切れを机の上に差し出した。エリスはそれを手に取り、内容を確認する。その傍ら、エリオットが隣に座る少女、ラズベリーに目を向ける。
「この子は僕の妹なんですが、幼いころに顔に酷い火傷を負ってしまい、顔が上手く動かせなくなってしまって……適切な治療も受けられず、あの日からずっと、人前に出る時は顔を隠して生きてきたんです」
「それは可哀想じゃのう」
……それが事実ならの話だが、と内心で付け足す。
そも、先日のエリオットの様子からして兄弟姉妹が居るようには見えなかったし、店主もその存在を示唆するようなことは口にしていなかった。
あるいは、知らないだけで妹が実在する可能性も否定はできないが……ここまで、さも街の中で暮らしていたような風を装っている時点で信用はできない。
ところで、火傷については事実なのだろうか?そこについても少し揺さぶってみることにする。
「実は我の隣にいるエリスは、こう見えてそれなりに腕の立つ回復術師なのじゃ。一つ、治癒の術を受けてみるのはどうじゃ?」
「い、いえ!神官様にお返しできる準備もないですし、大丈夫です」
「ふむ、そうか?」
「時間が経つと回復術の利きも悪くなりますから、ポーションの方が確実だとは思いますよ。……あとイナリさん、私のこと『こう見えて』って言いました?」
「はて、何のことか。さ、我の事は気にせず本題を進めるがよい」
「……それもそうですね。では――」
イナリはエリスの追求を巧みに躱し、隣で話を聞くことに徹した。
そこから小一時間ほど経って、イナリのおやつも尽きた頃。
「――で、では、明日お返事を聞きにまた来ますので」
「はい。ラズベリーさんも、お大事になさってください」
「……ども」
一通り話を終えたイナリ達は、エリオットとラズベリーがギルドから立ち去る様子を見届けた。
そして彼らの姿が完全に見えなくなったところで、イナリは口を開く。
「……のう、エリスよ」
「はい、イナリさん」
「あの、らずべりぃと言ったか。あやつ、顔が満足に動かないはずなのに、ばくばく我の菓子を食べたのじゃ」
「いっぱい食べる方だったみたいですね」
「それに、最初に予算が無いと言われたわりに、提示された報酬はそこそこだった気がするのじゃ」
「そうですね。少し頑張れば上級の火傷治しにも手が届きそうな額です」
「そも、あの依頼ってわざわざ我らに頼むほどだったかの?」
「正直、中堅レベルで十分だと思います」
「お主、その辺の助言もしたよの?」
「ええ。何かと理由をつけて断られましたが」
問答を交わしたイナリは、一呼吸置いてから、吐き出すように口を開く。
「……これ、完全に罠じゃよな?」
「完全に罠ですね」
「……どうするんじゃこれ……」
イナリは頭を抱え、そのままエリスの腰にぽすりと倒れた。
これが巧妙に仕組まれた罠だったらまだ考えようがあっただろう。だが、エリオットが持ち込んだ話は、イナリでもわかるほどにツッコミどころだらけで、何がしたいのか理解できないものであった。




