394 いぎょう
イナリは、運ばれてきた鍋が火にくべられぐつぐつ煮えているのを眺めながら、ハイドラの話に耳を傾ける。
「実は、最初に配ってたポーションはイミテ草を排除するには不十分だったの。草を枯らすことはできても、イミテ草だけ二、三日くらいで芽が出てきちゃって」
「それは中々壮絶じゃな」
元々生命力が強いと評判のイミテ草だが、イナリの成長促進を得たことで本当に洒落にならないことになっているらしい。これ以上変な進化を遂げられるといよいよ拙いことになりそうである。
イナリが内心焦っていると、ハイドラは笑みを浮かべ、鞄からポーション瓶を取り出して掲げる。
「そこで朗報です。スティレさんに協力してもらいながら研究を重ねた結果、イミテ草の増殖を阻止することに成功しました!」
「ほう!それはすごいのう」
「ふふふ。そう、偉業なんです。魔の森を一周する形でポーションを撒いたから、これで世界の平和が保たれる、はず!」
感心するイナリに、ハイドラはやや自信のなさが垣間見える言葉を告げつつも胸を張った。彼女の言葉に感心するのはエリスも同様である。
「魔の森を一周するのはかなり大変だったのではありませんか?」
「そうですね。まあ、そこはスティレさんと協力しつつ、こう、根気よく……」
「本気を出せば瞬きする間に終わる。自然を守るためなら手段は厭わない、そういうもの」
「エルフの言う『瞬く間』って結構長かった気がするんですが……」
拳を握ってふんすと息を鳴らすスティレに、エリスは冷静に指摘した。薄々感じていたことだが、スティレは寡黙そうな印象に反し、案外愉快な性格をしているのかもしれない。
「まあそれは置いておいてじゃ。ハイドラよ、本当によくやったのう。褒めて遣わすのじゃ」
イナリがハイドラを讃えると、彼女はポーション瓶を抱き寄せるように抱え、柔らかな笑みを浮かべた。
「ありがとう。でも、これができたのはスティレさんやイナリちゃん、他にもいろんな人の支援があったからこそだから。このポーションは皆の力の結晶だよ」
そんな中、一人だけ名前が挙がらなかった神官はイナリに向けて小声で囁きかける。
「どうしましょう。私だけ大したことをしていないので、ここに居ていいのか疑問に思えてきました……」
「別に何も気にせんでよいと思うのじゃ」
イナリは隣に座るエリスに向けて返した。そもそもハイドラから食事を誘われたのだから、ここで遠慮する必要は無いだろう。
「それで、イナリちゃん達の方はどう?」
「……あー、そうじゃのう」
イナリはスティレにちらりと目線を向ける。
果たして、森の守護者だのなんだのと宣っているこのエルフの前で「森を燃やすつもりだ」などと言ってよいものか。激昂して鍋をひっくり返されたりしないだろうか。イナリは美味な料理は好きだが、生憎、それを全身で味わう趣味は無い。
そんなイナリの懸念が伝わったのか、スティレが口を開く。
「貴方がこれからしようとしていることは大まかに聞いている。気を遣う必要は無い」
「そ、そうか……いや、一応どういう風に伝わっておるか聞いてもよいかの?」
「ざっくり、森を燃やすと。具体的な話は知らない」
「……そういえば、ハイドラにも内容は伝えておらんかった気がするのじゃ」
恐れていたような事態が回避されたことはいいとして。
思えば、ハイドラには「我がやるから大丈夫」みたいなことを言ったきりだった。イナリがここ数日間森にブラストブルーベリーとテルミットペッパーを植えて回っていると把握しているのは「虹色旅団」の面々だけかもしれない。
「となると、ひとまず、我が何をしているのか伝えるところからじゃの」
イナリはそう前置きして、ここ数日の行動や、魔の森で見てきたものを伝えた。
「――やっぱり、魔の森の変化はイナリちゃんの仕業だったんだね……」
「てっきり火属性の魔術師を集めるのかと思っていたから、想像の斜め上だった。テロリストでも目指してる?」
イナリの話を一通り聞き終えたハイドラとスティレの第一声である。
「確かにイナリさんは一部の冒険者から爆弾魔と呼ばれてますけれど。決して悪の道には進まないように育てます!……あ、野菜が煮えたので取り分けますね」
「うむ。……一応断っておくが、初めから悪の道なぞ歩む気は無いのじゃ」
イナリはため息を零しつつ、エリスから鍋の具を取り分けた小鉢を受け取った。
こちとら既に、悪の道どころか世界の敵としての道を歩かされているのだ。本来あるべき道へ戻るならまだしも、これ以上別の道に進むつもりは毛頭ない。
「ま、そんなわけじゃから、引き続き種は撒きつつ、森に居る人間をどうにかしたら着火して解決じゃ」
イナリは手元の小鉢に息を吹きかけて冷ましつつ、ここまでの話を総括する。
厳密には「冒険者を動員して人々を退避させ、イナリの力を全力で用いて森中を燃やす」と言った方が正確なのだが、まあ、大体同じようなものだ。
「簡単そうに言うけど、それって結構大変だよね?」
「我の手にかかればちょちょいじゃ。それこそ瞬く間に終わるのじゃ」
「イナリさんの言う瞬く間って、どれくらいの時間なのですかね?」
「そこはこれからの行動で示すとするのじゃ、楽しみにしておるがよい」
今後のスムーズな流れを思い描いているイナリは笑みを浮かべながらエリスに返し、小鉢の具材を匙ですくい上げて口へ運んだ。
「むぐむぐ……時にお主ら、先ほどから何か挙動不審じゃが、何かあったのかの?」
イナリが鍋を堪能している傍ら、ハイドラとスティレはずっと互いに目配せしていた。その様子を見ていると無視するわけにもいかなくなったので、ここは開き直って切り込んでいくことにする。
すると、イナリの問いに答えたのはハイドラではなくスティレであった。
「……実は、魔の森で魔王を見た」
「ごふっっっ」
スティレの端的な言葉に、イナリは思わずむせた。その様子に、すかさずエリスが慌てて背を擦って宥める。
「けほっ、けほ……スティレよ。我の、聞き間違いかの?」
「いや、森で魔王を見たと言った」
「そうか、聞き間違いではなかったようじゃの……」
寝耳に水とはまさにこのことだろう。エリスの方を見れば、彼女もイナリと同じく困惑している様子だ。ほぼずっと行動を共にしていたので当然と言えば当然なのだが。
ただ、少なくとも、魔王本人に「魔王を見た」と伝えるのはあまりにも意味不明だ。スティレはイナリ以外の誰か、もしくは何かについて話していると見るべきだろう。
「具体的な状況や、魔王の姿かたちを聞いてもよいかの?」
「あれは、魔の森での活動を終えた後の帰り道だった。森を歩いていたら、茂みの隙間から何かが動いているのが見えた。最初は魔物かと思って、目を凝らしてみた……」
顔を青ざめさせたスティレは自身の腕を掴み、身を縮こまらせつつ続ける。
「……そしたら、人の部位をバラバラに切り刻んで、キメラみたいに組み直したような何かが、森の中を……這っていた」
「そ、そんな恐ろしい魔物が?」
イナリとエリスは息をのんだ。その反応に、スティレは首を横に振って答える。
「あれは魔物ですらないと思う。生命を冒涜している。あんな恐ろしい存在、魔王以外考えられない……あの時ばかりは、森が恐ろしいものに見えて……」
「スティレさん、お話していただいてありがとうございます。お辛いでしょうし、一旦止めて頂いても……」
エリスは席を立ち、震えるスティレに寄り添って励ますように手を重ねた。その傍ら、ハイドラはスティレに代わって話を続ける。
「この話があったから、イナリちゃんとエリスさんに何か知らないか聞きたかったんだ」
「なるほどのう」
スティレの話は、魔王騒動の真相を知っているハイドラにとっても意味が分からないことだっただろう。イナリから話を聞きたくなるのは当然だし、ポーションの話は半分建前で、こちらが本題だったのかもしれない。
そんなことを考えつつイナリはしばし考え、そして一つの可能性に辿り着いた。イナリはすぐさま神託経由でエリスに呼びかける。
――エリス。
――はい、イナリさん。わかっていますよ。恐らくスティレさんが言っていたのは、アルテミアの教会の地下研究所に居たものと同じ類の存在でしょう。イナリさんのお家を占拠している団体の正体は、アルテミアに居た過激派の団体でまず間違いなく――。
――いやそうじゃなくて。
イナリは長々と持論を語りだすエリスを遮って続ける。
――これ、不可視術を使ったエリスの事じゃないの?
「えっ」
イナリの神託に、エリスはその場で声を漏らした。




