390 一時撤収
イナリ達はそのまま川岸を辿り、無事に「疾風」の面々を待たせている場所へ戻ることができた。
そこには、一つずつ部品を組み合わせる作業に勤しんでいる面々の姿があった。その横に部品が入っていた空き箱が傍に積まれているあたり、順調に作業は進んでいるようだ。
そんな中、唯一木陰で傍観者に徹していたダンテに対し、イナリは声を掛ける。
「戻ったのじゃ。お主ら、本当にこやつらの作業を手伝っておったのじゃな」
「ああ。何人かここの奴らが通りかかったから、対立を避けるためにやむを得ずだが。それで無防備になるわけにもいかないから、こうして俺は見張りに徹していた次第だ」
「ふむ、妥当な判断なのではないかの。して、実際のところ問題はあったかの?」
「今のところは無い。とはいえ、早く撤収するに越したことはないだろう」
「それは我も同意見じゃな」
ダンテの言葉にイナリは頷く。
先ほど絡んできた連中が追いかけてくるとか、謎の信者やら何やらが取り囲んでくるとか、魔物が罠を乗り越えて襲ってくるとか、悪い展開は無限に想像できそうである。
「それで、リンネさんの方はどうだ。目的は果たせたか?」
「うむ、おかげさまでの。今から発つことはできそうじゃろか」
「問題ない。エナ、チャーリー、撤収するぞ!」
ダンテが作業に勤しんでいた二人に声を掛けると、二人はすぐに作業を打ち切って荷物をまとめ、イナリのもとに集合した。
随分切り替えが早いものだと密かに感心しつつ、イナリはエリオット達の方へと向き直る。
「というわけで、短い間ではあったが、お主らには世話になったのじゃ。中々大変なようじゃが、息災での」
「あ、あの、ちょっといいかしら」
「む?」
別れの挨拶を告げたイナリに対し、女が声を上げる。
「まず、そちらのお二人。作業を手伝ってくれて本当に助かったわ。ありがとう」
「いやいや、いいんすよ!世の中助け合いじゃないっすか、ねえ?」
頭を下げた女に対し、チャーリーが謙遜して受け答えつつ皆に同意を求める。が、鼻の下が伸びている辺りに本性が透けていて台無しであった。「疾風」の面々がいつものこととばかりに冷ややかな視線を向けている辺り、いつものことなのだろう。悲しきことである。
そんなことは一旦置いておくとして、イナリは腕を組んで指先をとんと叩き、問いかける。
「して?本題を言うがよい」
イナリが告げると、女は僅かにたじろいだ後、絞り出したような声で答える。
「……烏滸がましいことは承知の上で、私達も連れて行ってくれないかしら?」
「ふむ」
やはりそう来るかと、イナリは口をへの字に曲げて一考する。
イナリ達に便乗してここを出たいという主張は十分に頷けるものだが、果たして今それを請け負うのはいかがなものか。
そも、店主にここを脱出したい者を集めてもらうよう頼んだ今、わざわざ彼女らを先に連れ出す動機が無い。どころか、中途半端に脱走者を出しては、また妙な対策を打たれかねないまであるだろう。
それに、エリオットの話を聞く限り、ここから逃げ出せばそれで万事解決とはいかないはずだ。仮に連れ出したとて、その後の責任までは負いきれない。ズルズルと泥沼のような状況に陥るくらいなら、もう数日ここで我慢してもらった方が互いに不幸にならずに済むだろう。
そんなことをあれこれ思案した末、イナリは首を横に振ることにした。
「すまぬが、今回はお主らを連れてゆくことはできぬ。……が、父君がここに居るのは我も望まぬところ。街に戻って助けを求める予定じゃ」
「そう……そうよね、ありがとう。無理を言ってごめんなさい」
「んや、構わぬ」
女は諦観を顔に滲ませつつイナリに頭を下げた。
特に動揺している様子も見られない辺り、元々断られる前提だったのだろう。となれば、イナリの言葉を聞いたところで、本当に助けが来ることは期待していないとも言えるか。
では、あとの二人はどうだろう。ふと気になったイナリは、エリオットともう一人の男の方にも視線を向ける。
「こっちの事は気にするな。これまで通り、これからも上手くやっていくさ」
「そうですね。僕らの事は忘れて、どこかで幸せに暮らしてください」
……名も知らぬ男はともかく、エリオットはどこか取り繕っている感が否めない様子だ。本音は帰りたいに決まっているだろうが、イナリに気を遣っているのだろうか。だとすれば、救出を急ぐことがイナリにとってできる最善の行動と言えよう。
「ひとまず、助けが来るまでしばし辛抱するのじゃ。では、今度こそ行くとするのじゃ」
イナリは軽く手を振ると、罠の間を慎重に進んでその場を後にした。
かくして社周辺から撤収することができたイナリ達は、「虹色旅団」の面々とも合流して冒険者ギルドまで戻った。そして淡々と依頼完了手続きを進め、つつがなく解散する運びとなった。
イナリは真っ先にパーティハウスへと帰り、井戸で髪を洗って塗料を流し、小麦色の髪を取り戻した。ずっと形容しがたいゴワゴワとした感覚があったので、実に快い気分であった。
そしてもろもろの片づけが終わったところで、早速イナリは「虹色旅団」の面々に向けて今日の店主との会話や、現地で見聞きしたこと、帰り際に不審な集団と遭遇したことなどを報告した。
「――というわけで、あそこに囚われている者らの脱出の手引きをお主らにも手伝って欲しいのじゃ」
イナリがそう切り出すと、ディルがため息をつきながら手で顔を覆う。
「お前な、もし俺たちが付き合えなかったらどうするつもりだったんだ?」
「何を言うか。この我の用事より重要なことなどあろうか、いや、あるまい?」
したり顔で答えたイナリに対し、ディルは冷ややかな視線で一瞥し、ぼそりと呟く。
「……こいつはこういうやつだったな」
「何じゃその反応は」
イナリはディルに迫ったが、彼は両手を上げてしらばっくれるのみであった。その様子にイナリが頬を膨らませていると、エリスがイナリの頭に手を置きながら割って入る。
「イナリさん、この人はこうやってすかした風を装ってますけど、イナリさんが先ほどのようなことを言い出すだろうと予想して予定を確認していたんですよ。どう思います?」
「お主……ひねくれておるのう」
「ふん、お前の行動が読みやすすぎるだけだ」
「……ああ、お主はそういうやつだったのう、くふふ」
そっぽを向いて答えるディルに対し、イナリは意趣返しとばかりに、によによと笑みを浮かべて告げた。
「あ、ちなみに私はイナリさんの事、ディルさんの何万倍も深く理解してますからね?」
「それは十分知っておるから、張り合わなくてもよいぞ」
イナリは一転して真顔で返した。そも、エリスは常にイナリと情報共有をしていたのだから予想も何も無いような気がするのだが……。
「さて、話を戻すのじゃ。エリックよ、実際のところ助力を乞うても問題ないよの?」
「もちろん問題ないよ」
「それはよかったのじゃ」
疑っていたわけではないが、ダメと言われたら色々と大変だったことは間違いないだろう。ひとまず初手から話が頓挫する事態にならなかったことにイナリが胸をなでおろしたところで、リズが杖の先端の宝石を弄りながら声を上げる。
「それで、肝心の作戦はどうするの?手伝うってことは、イナリちゃんにアイデアがある感じ?」
「うむ……と言いたいところじゃが、如何せん我の想像だけではどうにもならぬ部分も多くての。まずはその穴を埋めるところから手伝って欲しいのじゃ。もしかすると、他の冒険者の手を借りる事も視野に入れる必要があるかもしれぬ」
「なるほど、そういうことなら僕の得意分野だね」
イナリの言葉に胸を叩いて頷いたエリックは続ける。
「じゃあ一緒に考えをまとめたいから、紙とペンを用意してもらっていいかな?後は、倉庫にこの辺の地図があるから、それも取ってきてほしいんだ。リズ、一緒に行ってくれるかな」
「ん、了解。イナリちゃん、行こっか」
「うむ。ああ、ついでにもちまるの様子も見ておこうかの?今日はずっと放置してしまったからの、寂しくて悲しんでおるやもしれぬ」
イナリは倉庫でもちもちと震えて健気に待っているであろうスライムの事を考えつつ、リズと共に居間を立ち去った。
「あと、エリスには少し話したいことがあるんだ。しれっと着いて行こうとしないように」
「こ、これは違うんです。体が勝手に動いてしまっただけで――」
何やらイナリに着いて来ることができなかった神官の声が後ろから聞こえたが、それは一旦聞かなかったことにした。




