388 米が食べたかっただけなのに
イナリはカミラに周囲で聞き耳を立てている者が居ないか周囲を警戒するよう指示した後、時間をかけ、言葉を選びながらここに来るために店主の娘を騙ったことを説明した。
先ほどの口論のきっかけの一端がイナリにある以上、先ほどのエリオットの時のように激怒されかねないと考え、終始おっかなびっくりであった。
「その……お主の無事を確認するためとはいえ、もう少し考えるべきだったやもしれぬ。悪かったのじゃ」
「いや、構わないさ。嬢ちゃんは何も悪くない」
イナリが謝ると、黙って話を聞いていた店主はおもむろに頷いた。少なくとも激昂されることはないようで一安心である。
ひとつ山を乗り越えたところで、イナリは早速本題に入ることにした。
「それで、気になっていることを聞きたいのじゃが……何故ここに居るのじゃ?ましてやあんな険悪な仲の者を連れてくるとは――」
「いや、俺とエリオットがここに来た経緯は別々だ。あいつは別の街で暮らしていたからな」
「……それは数奇なことじゃな」
店主の言葉にイナリは半ば呆れつつ返した。喉元まで「似た者親子じゃな」という言葉が出かかって危ないところであった。
「では、お主はなぜここに来たのじゃ?お主、冒険者でもなんでもないじゃろ。危険じゃぞ?」
「……あのオリュザが忘れられなかったんだ」
「我が前に持ち込んだもののことかの」
イナリの言葉に店主は頷く。その目からは、以前職人街で見かけた者と同じような、ある物に対する並々ならぬ執念が感じられた。
「あれは料理を新たな次元に昇華する可能性を秘めている。だが、どこを探してもあれに匹敵する品質のものは見つからなくてな。日が経てば経つほど、あれに対する執着は強くなっていった」
「ふふん、我が手ずから育てたものなのじゃから当然じゃが、そこまで言われると鼻が高いのう」
「前にも嬢ちゃんがここで育てたと言っていただろう。それを思い出して、俺もここで作ってみることにしたんだ。嬢ちゃんに栽培してもらうわけにもいかないし、方法を確立して冒険者に委託でもしようかと思ってな」
「あー……」
後の展開を察して声を漏らすイナリを見て、店主は肩をすくめる。
「そのあとの展開は見ての通りだ」
「報われんのう」
風が吹き抜けてミシミシと音を鳴らす小屋を見回し、イナリは目の前の男を哀れんだ。
それと同時に、結局彼がここに来ることになった根本的な原因が己にあったことを密かに嘆いた。米が食べたかっただけなのに、どうしてこう、変な方向に話が転がっていくのだろうか。
「ちなみに、どういう風に勧誘されたのじゃ?」
「そうだな……『最初から貢献すれば勝ち馬に乗れる』『魔王の力は完全に制御している』『完全に安全』……ざっくりそんなメリットを提示されて来た」
「すごいのう。我でもわかるデタラメさじゃ」
そも、その「制御している」はずの魔王はここに居るわけで。イナリの気分次第でこの森一帯を簡単に潰すことができるというのに、何を制御できているというのだろう?
イナリは失笑し、その後はたと気づく。察するに、店主などの一般人は魔の森で起こっていることをほとんど知らないのではないだろうか。
思い返してみよう。イナリは社が乗っ取られた時点で「世界庭園創造会」の事を認知していたし、冒険者も魔の森に頻繁に立ち入る関係上、すぐにその存在は知れ渡っていた。
だが、メルモートの街で暮らす市民はどうだろうか。
魔の森の生みの親たるイナリですら、ここ最近までこの森に蔓延る魔物を詳しく知らなかったのだ。普段魔の森から距離を置いているであろう彼らの認識は、せいぜい「危険な場所」くらいのものであっても不思議ではない。
イナリが腕を組んで考察を進める傍ら、店主は絞り出すように言葉を返してくる。
「返す言葉もないが、オリュザの魅力には抗えなかった」
「……そうか」
色々と考えてしまったが、結局のところ理由は単純で、目の前にいるこの男が迂闊なだけかもしれない。
「ところで俺も気になっていることがあるんだ。嬢ちゃんは、ここの一員なのか?」
「まさか。むしろ我が家を乗っ取られて迷惑被っておる!」
イナリは店主の言葉にぷんすこと憤慨した。恐らく魔の森で暮らしているという点からそう考えたのだろうが、あんな訳わからん連中と一緒にされるなど遺憾以外の何物でもない。
「わ、悪かった。……しかし、家か。ここらで家を見た記憶は無いが」
「うむ。多分あっちの方にあるのじゃが、見たことないかの?」
「いや、物置小屋みたいなのしかなかったと思うが……」
「ううむ、そうか」
川の位置などから逆算したので方角は正しいはずだが、店主の反応は微妙であった。イナリの社が物置小屋扱いされるわけもないし、この辺には他にも人工物があったのかもしれない。まだまだ魔の森は知らないことだらけだ。
「ま、そんなわけでの。我はここを取り返すために色々活動しておったのじゃが、作戦決行を目前にしてお主がここに居ると聞いてしまった故、巻き込むのもどうかと思うてこうして様子を見に来たわけじゃ。手法は……先に説明した通りじゃの」
いまだ一抹の後ろめたさを感じているイナリはふいと視線を反らした。その一方、店主は真っすぐイナリを見据えて口を開く。
「嬢ちゃん、その作戦で俺たちはここから解放されるのか?」
「んー……完全に巻き込む気満々じゃったから、事前に脱出する必要があるのう」
けろっとした表情で物騒な事を告げたイナリに、店主の顔が強張る。
「安心せよ、我も人並みに人道は心得ておるし、わざわざ会いに来ておいてお主らを見捨てるほどの外道ではないのじゃ。本来予定にはなかったが、脱出の手引きをしてやろうぞ」
イナリは手をぱたぱたと振って無害アピールをしながら告げると、店主は深く頭を下げる。
「なら、改めて頼ませてくれ。俺たちはかなり危険な状態にある。定期的に罠をすり抜けてくる魔物は居るし、毎日誰かが不幸な目に遭っている。ある時は仲間内で流血沙汰もあったし、それ以外でも怪しい噂が山ほどあって、逃げたいと考えている奴はたくさんいる。都合のいい話だとは思うが、どうか助けてほしい。人生を費やしてでも礼は返す。どうか、この通りだ」
「そんな重い覚悟は要らんのじゃ。全く、そんなことだから今のような状況になっておるのではないのかや?」
イナリはジトリとした目で店主に告げると、そのままふっと笑って立ち上がる。
「まあよかろう、お主の頼みは引き受けた。ひとまず帰って方法を考える故、お主はここを出たい者の把握に努めよ。……ああ、一応言っておくが、我が手を差し伸べるのは潔白な者のみじゃ。我を侮辱した愚か者に手を差し伸べる慈悲は持ち合わせておらぬ」
「ああ、わかった。幹部連中にバレないようにも気を付ける」
「うむ。エリオットにも手伝ってもらうとよいと思うが……話せそうかの?」
「……少し時間を置かないと、冷静に話す事もままならないだろうな」
「そうか。まあ、そういうこともあるよの」
「……さっきはああ言ったが、嬢ちゃんみたいな小さい子に助けを求めるなんざ、自分がどんどん情けなくなってくるなあ」
「何を言うておるか。我はお主が想像できないほど永く生きておるのじゃ、何も恥じ入る必要はあるまい。……ああそれと、これは余談ではあるのじゃが」
イナリは小屋の扉に手をかけ、一度止まって振り返る。
「お主はもう少し、店の事以外にも目を向けた方がよかろう。視野が狭かったせいで土地を追われた、我からの助言じゃ」
「……?あ、ああ、わかった……?」
エリオットは店主について言及する一方で、店主の口から放たれた言葉はオリュザや店の話ばかりであった。これはイナリの勘だが、彼らの不仲の原因の一つはそこにあるのではないかと思ったのだ。
果たしてこの一言で何かが変わるかはわからないが、少しでも事態が好転することを願うばかりである。
そんな淡い願いもありつつ、イナリは小屋の扉を開けてカミラに声を掛ける。
「カミラよ。用は済んだ故、撤収じゃ」
「了解した。こちらも特に異常はない」
「うむ」
イナリはカミラの言葉に頷くと、そのまま小屋を出てエリオットと合流した。
店主の名前を聞いておけばよかったと気が付くのは、もう少し後の話である。




