387 ヒエヒエの空気 ※別視点あり
<イナリ視点>
「のう、今更なのじゃが」
「何でしょうか」
「我ら、道中それなりの人数とすれ違っておるわけじゃが……大丈夫なのかの?」
「まあ、大丈夫でしょう」
「本当かのう?」
とても安心できそうにない返事にイナリは訝しんだ。そしてそのまま、さりげなくエリオットから距離を取ってカミラに話しかける。
「お主、確かここの者らと対峙したことがあるよの。どう思うかや」
「そうだな……その時とは違って、少なくとも敵対的な感情は向けられていなかった」
「ふむ、ならいくらか信憑性はありそうじゃな」
イナリは相槌を打ち、再びエリオットに話しかける。
「しかし、お主らは冒険者を拒んでおるようじゃが。カミラについて何故何も言われないのじゃ?しかもこの珍妙な格好で」
「僕が一緒に居るからでしょう、この辺に居る人は顔見知りが多いので。……それに、貴方がたを一見して冒険者を連想する人は多くないかと」
「……そんなに変な格好をしているつもりは無いのだが」
「まあ、何じゃ。警戒されないというのであればそれに越したことはあるまい?」
イナリはカミラを宥めるように告げた。
「さて、そろそろ着きます。適当にその辺に居る人に声を掛けるので、そのつもりでお願いします」
「うむ」
エリオットはイナリ達に向けて一言断ると、畑へ向かって歩き始めた。
<店主視点>
冷える手先が冬の訪れを感じさせる今日この頃。
俺は小屋のベッドに腰掛け、窓から外を眺める。視線の先にあるのは、先ほどまで農作業を進めていた畑と、まだ作業をしている仲間の姿だ。
これだけ見ればのどかな村での一幕とでも思えるだろうが、ここは魔の森のど真ん中。一応安全とは言われているが、いつ何が起こるかわからず気が気でならないというのが本音である。
「……皆には心配かけてるだろうなあ」
脳裏に浮かぶのは、自分の店に関わってくれた関係者や常連の顔だ。その中には、ここに来るきっかけの一つでもある、狐娘の常連客も含まれている。
俺はあの嬢ちゃんが持ってきたオリュザに魅入られていた。ここで収穫できたというそれは間違いなく一級品、いや、もはや別物と言ってもいい領域にあったのだ。
あれが安定して得られるようになれば、俺の店は飛躍的な進化を遂げることができる。そんな野望とともにここへやってきたわけだが……。今のところそれが現実のものとなる見込みは立っていない。
どころか、普通の生活すらも怪しくなっているように思う。ここに来てからというもの、一度たりとも落ち着いた時間を過ごせた試しがないのだ。
いつ魔の森の脅威が牙を剥くかわからない。閉じてきた店がどうなっているかが心配だ。万が一作業ノルマが達成できなかったら何をされるだろう。一週間後も、俺は正常だろうか。ここから出た後、元の生活に戻れるだろうか。
頭の中で考えることはそんなことばかりだ。このままでは鬱になるのも時間の問題だろう。何か対策を立てたいが、こんな場所で何ができるか……。
今日も堂々巡りそんなことを考えていると、突然小屋の戸が叩かれ、俺を呼ぶ声に意識が戻される。
「――おい、アンタに可愛いお客さんが来てるぞ」
「客?」
来客に心当たりはない。まさか、俺が気づかずに何かしでかしてしまっただろうか?……いや、「可愛い」お客さんというくらいだから、上の人間ではないか。だとしたら誰が?
俺はごくりと唾を飲み込むと、戸に手を掛け、ゆっくりと押し開けた。
そしてまず目に飛び込んできたのは大きな栗色の狐耳。少し視線を下げれば、吸い込まれるような澄んだ赤い瞳と目が合う。
「――父君よ、我が会いに来たぞ!!」
「は?」
この場に似つかわしくない元気な声で自分の娘を名乗る狐少女に、俺はただ困惑の声を上げることしかできなかった。
<イナリ視点>
エリオットの案内により無事店主と会えたイナリ達は、小屋の中で小さな丸机を囲む形で顔を向かい合わせていた。
この小屋はイナリの社より一回り大きいくらいの広さだが、どうにも落ち着かないというのが第一印象である。
例えば今座っている椅子や机。間に合わせなのか、少し重心を動かすだけでガタガタと音を鳴らす粗末な造りな上、イナリでちょうどいいくらいのサイズ感だ。店主のような大男がそんな椅子に座れば、妙な圧迫感が生まれるのもやむなしだ。
他の場所に目をやれば、壁の木と木の間の謎の隙間や、服や葉を寄せ集めて作った寝台が目に留まる。それらを見れば、この小屋が取り急ぎで造られたことは容易に察することができた。
以前イオリからこの場所の話を聞いたときに小屋が建ちそうとは聞いていたが、こんな粗末なものでは怒りより憐みが勝ってしまう。
さて、暢気に小屋を観察しているイナリだが、店主の方はわかりやすく困惑していた。察するに、イナリを無下にすることもできず、かといってどう接するべきかも分かりかねるといったころか。赤の他人が変装して娘を自称しているのだから、当然と言えば当然である。
イナリとしても早急に素性を明かしたいところなのだが、エリオットの存在がそれを阻む。どうにかして外で待ってもらうなりする必要があるが、果たしてどうしたものか。
小屋を見回すフリをしながら思案していると、店主の側が先に口を開く。
「エリオット、この人たちは?」
「それぞれ、カミラとリンネという方だそうです。護衛と貴方の娘だそうですが、細かい事情は知りません」
「そんな状態で連れてこないでくれ」
そっぽを向いてにべもなく返すエリオットに対し、店主は苛立ちを見せる。イナリの素性には全く気が付いていない様子だが、手放しに喜べる雰囲気ではなかった。
イナリは一旦場の流れを整えるべく、己の尻尾を抱えて防御姿勢を取りつつも、平静を装って口を開く。
「お主ら、まずは我の話を――」
「そうは言いますが、知らないものは知りませんから。というか、獣人の娘がいる事自体初耳でしたが?そんな状態で事情を根掘り葉掘りしろと?」
「お、おーい?我の話を」
「それに何か聞くとすれば、まず貴方に対してでしょう。家庭のことなんて何も考えず、食材の発注のためと言って他所に行っていましたけど。今はその真偽すら怪しいじゃないですか」
「お前な、言っていいことと悪いことがあるだろう!」
激昂した店主が粗末な造りの机を勢いよく叩いて立ち上がる。
「家族より店の事ばかり考えて、あまつさえはるばる会いに来た娘を赤の他人扱いするような男に対して、何の気を遣う必要があると!?」
それに対し、エリオットも気弱な印象とは裏腹に声を上げて反論する。
「お、落ち着くのじゃ……」
一瞬にして収拾がつかなくなった場を前に、イナリはカミラの背に隠れて震えることしかできなくなってしまった。
その様子にまず冷静になったのはエリオットだ。彼は肩で息をしつつ、建付けの悪い扉に手を掛ける。
「……僕は外で待っています。ひとまず、その方の話を聞いてあげてください」
エリオットはそう言い残すと、返事を待たずに力任せに扉を開け、小屋を後にした。
「待て、まだ話は……ったく……」
店主は言葉を遮ると、椅子に座り、深いため息を零した。そこには、かつてイナリに美味しい料理を振舞う、愛想のよかった店主の姿は無い。
「……リンネさん、大丈夫か」
「あ、ああうむ、ちと驚いただけじゃ、大丈夫じゃ……」
イナリを心配するカミラの言葉に、イナリは何とか冷静に努めつつ席に戻った。それを見た店主は、イナリ達の方へ目を向け、頭を下げる。
「見苦しいところを見せて申し訳なかった。あれはうちの息子なんだが、ある時からずっとこの調子でな」
「そ、そうなのじゃな……」
イナリは背に汗が浮かぶのを感じつつ返した。会話の様子から薄々察してはいたが、エリオットと店主は親子関係にあったようである。今まで店主の店に寄った時、息子の存在は片鱗すら見えなかったのだが……。
動揺するイナリをよそに店主は話を進めていく。
「この流れで言うのも何だが、よければ用件を聞かせてもらえるだろうか」
「う、うむ……少し時間を貰ってもよいかの?」
期せずしてイナリの狙いであった店主と一対一で話せる状況は生まれたわけだが、どうしてこんなにも喜べない形になってしまったのだろうか。
そして、ここから「貴方の娘に扮して会いに来ました」と説明したとして、イナリは無事でいられるだろうか?
先ほど勢いよく叩かれて足がひしゃげた机が目に留まり、イナリは猛烈に帰りたい気持ちでいっぱいになっていた。




