386 結局人間が一番怖い
「うーむ、暇じゃ」
カミラの忠告こそあったが、イナリは子供ではないので、考えることはここに来るまでに一通り考えていたので、すぐに手持ち無沙汰になってしまった。故に、適当にその辺の草木でも眺めつつ、時々エリスに近況報告を飛ばして待ち続けた。
「――ここで何をしているんだ?」
そんな風にしばらく待機して三十分ほどして、ようやく三人の人物が現れる。
一人は最初に声を掛けてきた大柄な男。罠の部品が入っている箱を抱えており、三人の中では一番力がありそうだ。
後の二人は、齢三十前後のどこか大人特有の雰囲気を醸す女と、眼鏡をかけている弱弱しい印象のある少年だ。
後者の二人に関しては最低限の武装はしているようだが、覇気を感じられないとでも言おうか、いかにも一般人といった印象である。もしかしたら短剣を持ったイナリでもいい勝負ができるかもしれない。
まあ、そこは実際にやってみないと何とも言えないところなので置いておくとして。
印象だけで言えば、厄介な集団という前評判だった割には大したことないというか、実態とは些か乖離しているように思える。これは一体どういうことだろうか。
そう疑問に思っているイナリをよそに、ダンテが武器をそっぽに向けて敵意が無いことを示しつつ、相手に向けて声を上げる。
「我々は冒険者だ。この子の依頼で付き添っているだけで、貴方がたに危害を加えに来たわけではない」
「依頼?」
相手が訝しんだ様子だったので、すかさずイナリが声を上げて代わる。
「我じゃ。我の父君に会いに来たのじゃ」
「……少し待て」
相手の三人組は、イナリ達から少し離れた場所で向かい合って囁き合う。当然だが、川のせせらぎ程度でイナリの耳が彼らの会話を聞き漏らすことはない。
「どうする?冒険者は近寄らせるなって言われてたよな?」
「そうだけど、追い返すのも可哀想よね」
「気持ちはわかりますが……アイツらに見つかったら厄介なんてもんじゃないですよ」
どうやら彼らとは別に「厄介」な存在が居るらしい。これがフルーティが言っていた、色々な人間が混ざっているという話に繋がってくるのだろう。
「それに考えてください。あの娘が囮で、冒険者連中の偵察や工作が目的の可能性は?何かあったらまず疑われるのは僕らですよ」
「それも気になるが、まず誰に会いに来たのか確認するべきか」
「それもそうね」
会議をしていた四人衆のうちの一人、唯一の女性がイナリに向き直り、しゃがんで視線を合わせ、口を開く。
「ねえ、お父さんの名前を教えてくれる?」
「名前?……なまえ?」
イナリは背後に宇宙が見えるような表情で硬直した。
そう、イナリは店主の名前を知らないのである。
というか、皆「店主」としか呼ばない辺り、誰も知らないのではないだろうか?もしかしたら「疾風」の面々の誰かは知っているかもしれないが、自分の親の名前を他人に聞くなど傍から見れば意味不明でしかない。
「……言えないの?」
訝しむような問いかけに催促されたような気分を覚えたイナリは、腹を括って一か八かの賭けに出ることにした。
「し、知らないのじゃ。その、深くは聞かないでほしいのじゃが」
「……ごめんなさい、言いづらいことを聞いたわね」
「よいのじゃ」
イナリはゆっくり頷いて返した。意味深な風を装って誤魔化すことができ、心底安心である。
「それなら、何か特徴とか、手がかりみたいなものはある?」
「うむ。米、じゃなくてオリュザ料理屋を営んでおるのじゃ。お主ら、何か知らぬか?」
「あ、わかったわ。あの人ね」
女性は手を合わせて頷くと、再び他の面々と顔を合わせて囁き合う。そしてほどなくしてイナリ達に向き直り、少年を前に押し出して口を開く。
「そこの子と、護衛から一人だけ着いてきて。彼に案内させるわ」
「……よろしくお願いします」
「ふむ。ならば、カミラが無難かの?」
「承知した。騎士としての務めは果たそう」
「うむ。……きしのつとめって何じゃ」
困惑するイナリをよそにカミラは敬礼の姿勢を見せる。「疾風」の面々の中でも一番寡黙でよくわからない彼女だが、イナリの威厳が引き立つような気はするので放っておくことにした。
「して、お主らはどうするのじゃ?」
「ここで他の護衛さんと一緒に待っているわ。罠を設置する仕事もあるし、手伝ってもらおうかしら」
「……との事らしい。手伝うかどうかは置いておくとして、ここで待機でよいか」
「うむ、構わぬ。もし日没まで戻らなかったら、その時はお主の判断に任せよう」
そんなわけで、イナリ、カミラ、そして少年の三名は川に沿って魔の森の中を進む。
面白いことに、しばしば少年のような一般人や、いつか見た粗末な布切れに身を包んだ人間とすれ違うことがあった。
「ここには何人くらい居るのじゃ?」
「二百人いかないくらいじゃないですかね」
イナリの問いかけに少年が答える。なるほど、そこそこ大規模な組織になっているのは間違いないようである。
昔のイナリであれば社の周辺が賑わって嬉しいとでも思っていたのかもしれないが、今回に限っては「とりあえずどっか行ってくれ」の一言に尽きる。
そんなことを考えつつ風に揺れる木々と川の音に耳を傾けながら歩いていると、少年が口を開く。
「あの人は畑担当なので、このまま川沿いに行けば会えます。大体五分から十分と言ったところでしょうかね」
「それはよかったのじゃ。……時にお主。名は何という?」
「エリオットです。しがない商人見習いでした」
前を歩くエリオットの背からは哀愁を感じるが、今は一旦流すことにする。
「貴方がたは……その隣の鎧の方がカミラさんで、貴方は?もし間違っていたら申し訳ないのですが、イナリというお名前だったりしませんか」
「そそそそんな、全然違うのじゃ誰じゃそれは。我はそれに憧れて口調を真似ておるだけでな!?ほんとじゃぞ!?」
危うく変装がバレかけたイナリは慌てて弁明した。元々こういう指摘は想定していたが、こうも唐突に指摘されては動揺せざるをえない。
イナリは背に汗が浮かぶのを感じつつ、一つ咳ばらいをして仕切りなおす。
「こほん、取り乱したのう。改めて、我が名はリンネじゃ」
「……そうですか。まあ何でもいいですけど」
「……」
イナリの方を振り返ることもせずに返ってきたエリオットの返事に対し、イナリは無言のまま後について歩く。
明らかに何か勘づいていそうだが、これは許されたとみてよいのだろうか。気になって仕方がないが、触らぬ何とやらに何とやら、イナリは尻尾を揺らしてそわそわしつつ、ぐっとこらえて話を切り替えることにした。
「お主らはここで何をしておるのじゃ?」
「本当、何をしてるんですかね。僕もよくわかってないんですよね」
「何じゃそれ?」
イナリは自嘲するように笑うエリオットに向けてジトリとした目を向けた。
「ここの一団について、外ではどんな噂になっているんですか?」
「うーむ……金の亡者と偽りの神を崇める愚か者の集まりといったところかの」
「当事者を前にそこまで言う度胸がすごいですね」
エリオットは呆れたような声色と共にイナリを一瞥し、再び前に向き直る。
「ですがまあ、大体合ってます。僕も『ここに来れば儲かる!』と親方に言われて来たのですが、何故かこうして、銅貨の一枚にもならない謎の仕事を続けているわけです」
「去ることはできないのかの?」
「できなくはないでしょうが……碌なことになりませんよ」
エリオットは周囲を見回した後、声を潜めて続けた。それに対し、イナリはぱすりと指を鳴らして声を上げる。
「ああ、何となくわかったのじゃ。『戻るか死ぬか選べ』と言われるアレじゃな」
「あるいは商人としてやっていけないレベルの営業妨害とか、そんな感じですかね」
いつかグラヴェルと話した内容を思い返して告げたイナリに対し、エリオットは頷いて返した。魔の森に居るおかしな人間は大体そんなのばかりらしい。
はたして魔の森が人間を狂わせるのか、狂った人間が魔の森に集まるのか。どちらにせよ迷惑極まりないことには変わりない。
「……引っ越した方がいいのかのう」
これまでずっと同じ土地に拘ってきたイナリがそんなことを零す程度には、魔の森は魔境であった。




