383 無茶なキャラ変
もちまるの処遇も決まって一安心したところで、イナリはもちまるに餌の葉を与えながら別の問題について切り出す。
「明日、社の様子を見に行きたいのじゃ」
「え、あんなに嫌じゃ嫌じゃって言っていたのにですか?」
「それがのう、そう言ってられん事情ができてしもうてな――」
イナリは昼間の出来事について説明した。
「――というわけじゃ」
「そんなことになっていたんですね。エリックさん、知ってました?」
「いや、聞いたことがなかった。思えば、休業になっている店が前より増えていたような気がしなくもない……」
エリスの問いかけにエリックが返す。彼の情報源は冒険者からのものが多い故に、商業地区で起こっていることまで把握することは難しいのだろう。
「それでしたら、私達で代わりに見てきましょうか」
「んや、我が出向くのじゃ。この目で見ないとわからないことも多いし、店主には我から声を掛けた方がよかろう」
イナリはエリスの提案に首を振った。きっと自ら行かねば、以前イオリが教えてくれたような情報しか得ることはできないだろう。
「それでの。今のところ、連中のところに潜入して店主との接触を図るつもりなのじゃが、細かい部分をお主らと相談したいのじゃ。さしあたっては不可視術を使うかどうかで悩んでおるのじゃが、不可視術を使うと驚かせてしまうかの」
イナリの脳裏には、突然現れてはしれっと会話に混ざり、その場に混沌を齎しているアースの姿が浮かんでいた。イナリの不可視術はあれとは少し違って認識に作用するものなので、案外問題ない可能性もあるが……。
「うーん、不安があるならやめておいた方がいいね。それに、会話する前提なら第三者がそれを聞かないとも限らないし、いっそ最初から堂々と行った方がいいかも」
「つまり?」
「変装して紛れ込むのはどうだろう?」
「ふむ……ありじゃな」
周囲で聞き耳を立てられているのではないかと気にしながら話すのも億劫だし、イナリはエリックの提案を採用することにした。
「それでしたら、イナリさんのために用意したものが色々ありますので、それを使いましょう。着替えのお手伝いはお任せください」
「それ、お主がやりたいだけじゃろ」
「はい」
ジトリとした目を向けるイナリに対し、エリスは真っすぐな瞳で返した。
「人形扱いのような真似は御免じゃぞ」
「もちろん、趣旨を忘れることはしませんとも。イナリさんは可愛らしい方ですから、怖い人に目をつけられないようにしないといけませんからね」
「そうだぞイナリ。お前は気づいてないかもしれないが、現在進行形で一人、怖い奴に目をつけられてるんだからな」
「そうなんですか!?ディルさん、それって誰の事で……あの、どうして鏡を私に向けているんですか?」
エリスは濁った瞳と共にディルに迫るが、イナリはその光景を見なかったことにして話を続けることにした。イナリ自身も神ではあるが、触らぬ神に祟りなしというやつである。
「正面から行くならばその口実が必要だと思うのじゃが、どうするのじゃ?やはり警戒されないことが第一じゃし、あやつらの仲間を名乗るべきじゃろか」
「それだと帰るタイミングが無くなりかねないね。話を聞いた限り、軽い気持ちで参加して抜けられなくなった人も少なくなさそうだから、なおの事」
「ふむ。ではどうするかの?」
イナリとエリックが腕を組んで唸っていると、リズが手を上げる。
「店主さんの娘さんって設定はどう?心配して見に来たって言えば自然でしょ!」
リズの得意げな言葉を聞いたイナリはエリックと顔を見合わせる。
「まあ、風貌だけならその理屈も通るかの。あやつに子がいるのかは知らぬが」
「その設定なら自然に冒険者の護衛をつけられるしいいかもしれない……けど……」
「けど、何じゃ」
首を傾げて続きを促すイナリに、エリックは言い淀みつつも口を開く。
「本当に申し訳ないんだけど、イナリちゃんの口調が特徴的過ぎて、変装程度でどうにかなる気がしない」
「……そういえば、この街でのじゃのじゃ言う子ってイナリちゃんだけだね。その口調ってどうにかできるんだっけ?」
「普通の喋り方というやつじゃな。ふむ……」
リズの言葉にイナリは考える。
かつてアリシアからも「普通の喋り方」ができるか尋ねられたことがあったが、実のところ、「のじゃる」のが普通のイナリには人間の普通がいまいち分からない。記憶を辿れば出会った者は誰も彼も口調が十人十色だというのに、何が普通だというのだろうか。
生憎その答えはイナリも持ち合わせていないし、この場の皆も分かっていないだろう。となれば、相手が思う「普通」に準じるのが無難と言えよう。例えばそう、イナリの目の前にいる、この赤髪の魔術師に対して話す時の普通というのは――。
「わ、我、普通の女の子の人間だよ!どう?これならお主ら、我を普通と思うに違いないよね!」
イナリの渾身の一言に、居間が凍り付いた。ディルに掴みかかっていたエリスですらディルを手放してぽかんとした表情をイナリに向けている。
「……お主ら、何か言うてくれたもれ」
「ええと……イナリちゃん、やっぱり無理はよくないし、口調はいつも通りでいこう」
「なるほど、我は失敗したわけじゃな」
結論だけ絞り出したエリックを見てイナリはため息をついた。そして少しずつ顔が熱くなってきたので、餌を食んでいるもちまるを顔に寄せて誤魔化す。
「ごめん。多分リズを参考にしたんだと思うんだけど、これじゃない感がすごすぎて」
「イナリに染みついた語彙とリズの口調が死ぬほど噛み合ってねえな」
「イナリさん、今の台詞、もう一回頂いていいですか?記憶に焼き付けたいので」
「ええい、我も慣れぬことをしたと後悔しておるわ!二度とやらぬ!」
「そ、そんな」
きっとエリックが飲み込んだであろう評価を口にする面々と、もう一度その苦行を強いる己の信者に対し、イナリはもちまる越しに吠えた。
「うーん、こうなると変装も意味が無くなってくる気がするな……」
羞恥に顔を赤くするイナリをよそに頭を抱えるエリックに、イナリは一息ついて冷静になってから口を開いた。
「お主は我の耳や尻尾を隠すつもりで考えていたのか知らぬが、いっそ獣人として堂々と行けばよかろう。イオリとの区別がつかぬ者もたくさん居るし、我と別人だという言い訳はいくらでもできようぞ。それに、この口調の事は……そうじゃな、『偉大なる豊穣神に憧れて真似ている』とでも言えばよかろう」
「随分と教育に悪い神がいたもんだな」
「お主、先ほどから小言が多いぞ」
イナリはディルの腰をてしりと小突いた。
「で、でもさ、リズが言っておいて何だけど、獣人として行くなら娘さんだって言い張るのは難しいよね?店主さんって人族だし、この街に獣人は殆どいなかったわけだし……」
「それは……アレじゃ、他所での禁断の恋の末に生まれた子とか、感動の再開とか、適当に耳障りの良いことを言っておけばよいのじゃ。人間、そういうの好きじゃろ?」
「な、なんて身も蓋もない発言を……」
「下手すると店主さんの風評被害が凄まじいことになりそうですけど、大丈夫ですか?」
「……まあ、その場限りの話じゃし、万が一の時は我がどうにかしよう」
エリスの言葉にイナリはふいと目を逸らしながら答えた。
一晩眠る間に、もう少し良い言い訳が思いつくことを祈るとしよう。




