382 たぶんわるいスライムじゃないよ
それからしばらくの間、イナリはリズと共にスライムに関する知識を深めつつ、あれこれと育成方針について話し合っていた。
「――スライムは気が付くとどこかに消えちゃうから、放し飼いはしない方がいいみたい」
「しかし、もちまるはずっと物置でいい子にしておったぞ?我が考え事をしている間も、ずっと我の傍に居たのじゃ」
リズの言葉に、イナリはもちまるを掲げて返した。こんなことをしても全く不審な素振りは見せない、堂々とした佇まいである。リズはそんなもちまるを凝視する。
「うーん、生まれたてだから全然動けないとか?」
「その可能性はあるかの。ううむ、もちまるがこの部屋の端まで走ってくれれば話は早いのじゃが。……あ、今のは端と走るを掛けた駄洒落とかではなくての」
「ちょっと何言ってるのかよくわからないけど……あっ」
謎の弁明をするイナリをリズが心底不思議そうに見ていると、もちまるがイナリの手の上から零れ落ち、べちゃっと床に落下した。
その様子に慌てたイナリ達だが、もちまるは間もなくつつつと床を這って部屋の端へと移動し、その場に留まった。その間、およそ二秒弱と言ったところか。
「意外とすばしっこいのじゃ。それに……もう落ちても平気なのじゃな?」
先日うっかり一スライムを殺めた前科を持つイナリは、もちまるがそれと同じようにならなかったことに安堵しつつ回収した。
這っていた場所は若干湿っているように見えるが、元々澄んだ透明な事もあり、汚れや損傷は一切見られない。
「ひとまず、動こうと思えば動けたことは確実なようじゃの。こやつ、望んで我の傍に居たというわけじゃ、愛い奴じゃ」
「……まあ、そうだね。可愛いけど……いや、まあいっか。とりあえず水生魔物用のケースがあるといいみたいだから、今度探してみる」
「うむ、よくわからんが頼んだのじゃ」
続けて、話は餌の話に移る。
曰く、スライムが必須とするのは水だけで、究極食べ物は何も与えなくても生きていく上では問題無いのだそうだ。
それだけ聞くとイナリと同じ低燃費系だという印象だが、スライムの場合は何かを摂取したくなったらその辺の壁やら地面やらを食べるから問題ないという意味らしい。少しでも同族意識が芽生えたイナリが間違いであった。
「――でね。スライムは何でも消化できるけど、取り込んだものの特性の一部を引き継いだり、変なものが好物になっちゃうと大変だから、気を付けないといけないんだって」
「ふむ?具体的にはどう大変なのじゃ」
「ええと……例えば石とか木材だと、勝手に家の壁とかを食べだして弁償しないといけなくなるとか?過去には高級な宝石が溶かされた例もあるんだって。ちなみにそのスライムは宝石以上の輝きを放つようになって、ものすごい高値で取引されたらしいよ」
「それは何というか、良いのやら悪いのやら」
人間も只では転ばないということか。小話として聞く分には結構だが、イナリの貴重な私物がそんな風になってしまったら割と立ち直るのが大変かもしれない。
ひとまず、大事なものはしまっておくことにしよう。エリスに頼めばどこか良い場所を用意してくれるだろうか、そんなことを考えるイナリをよそに、リズは話を続ける。
「後は戦闘向けにするなら魔石も気を付けた方がいいみたいだけど……そういう路線に育てる予定は――」
「無いのじゃ」
「だよね」
即答するイナリに対し、リズも真顔で返した。もちまるは可愛い系に育てていくのだ。ある程度の自衛能力程度ならまだしも、目に映る敵を全て跳ね除けるような強さは求めていない。
それはそうと、リズが持ってきた書籍は題目ごとに色分けされているのだが、魔石関連でそれなりのページ数が割かれているように見受けられる。世間的には戦闘向け路線の方が需要が高いのかもしれない。
「ここはリズの方で目を通しておくけど……はあ、いよいよ部屋の魔石管理を見直す時が来たってことだね……」
「ついでに物置の魔道具も整理してくれ」
「うるさいうるさーい!あれは大事な財産なんですー!」
少し離れた場所で寛いでいたディルからの小言に対し、小さな魔術師は吠えて返した。そしてその場を取り繕うように咳払いをする。
「んん。ええと、それで話を戻すけど……もちまるに何食べさせるか決めよう」
「我のしもべじゃし、草がよいのでは?」
「しもべなんだ」
イナリの言葉にリズが苦笑する傍ら、もちまるがぷるりと上下に揺れた。
「でも確かに、イナリちゃんらしくていいかもね」
「そうであろ?」
リズの言葉に、イナリは意味もなくしたり顔で返した。
「草でも、あげるものによって色が変わるらしいけど、何色にする?ここに書かれてるのは全部スライムに微細な影響しか与えないみたいだから、好みで決められるよ」
リズはイナリに尋ねつつ、本を広げた状態でイナリに見せてくる。そこには葉や花などの絵が様々な色で示されており、何を与えると何色になるのかが対応しているのだろう。
「うーむ、悩ましいところじゃな。一度選んだら不可逆なのかの?」
「えーっと……いや、放っておくと色は抜けるみたい」
リズは本の記述を確認し、イナリの問いに答えた。
一度決めたら取り返しがつかないならば慎重になるべきだろうが、そうでないならば気楽に決めてもよいだろう。イナリはもちまるを眺め、自身と一緒に居る姿を想像する。
「……無色も悪くない気がしてしまうのう。リズよ、お主はどうじゃ」
「えっ?うーん……やっぱり緑?安直すぎ?」
「いや、我もそれは考えたのじゃ。エリスは何て言うかのう」
「予想する。『イナリさんならどんな色でも似合いますよ』でどう?」
「くふふ、想像に難くないのう」
微妙に似ている声真似をするリズに、イナリは笑って頷いた。
「もちまるよ、お主はどうじゃ?……なんてな、お主に問うても――」
イナリが冗談交じりにもちまるに声を掛けると、もちまるは体の一部を伸ばして緑色の植物が描かれた箇所に触れた。
二人はその様子に目が点になったが、先に気を取り直したイナリが口を開く。
「……ええと、もちまるは緑を所望するようじゃな」
「そ、そっか。じゃあ緑かあ……」
二人は声に出していないが、思考は一致していた。
――このスライム、やたらと賢くないか?
普通の魔物は言語を解することはない。最初こそ愛い奴だなんだと言って笑っていたイナリだが、先ほど部屋の端まで移動したときと言い、もちまるは言語を理解していると言って良いだろう。どころか、それ以上の思考能力すら備えているように見える。
普通の人間であればそれを脅威と見なし、警戒することだろう。実際、リズは複雑な表情でもちまるを見ている。
だが、一方のイナリはというと――。
「流石は我のしもべじゃ、将来は大物間違いなしじゃ……!」
見事に親バカを発揮していた。
「……意外とスライムって賢いのかな……」
リズもリズで、スライムの事を全て知っているわけではないし、幸せそうなイナリに水を差すのも憚られたので、一旦手元の書籍に目を通してから考えることにした。
その後間もなくエリスが帰宅し、もちまるをこのパーティハウスに置く許可を得られたことを告げたことで、もちまるは正式に「虹色旅団」のペットとして迎え入れられることとなった。




