379 噂好きの果物屋
翌日。
目が覚めたイナリは、普段ならば二度寝を決め込むところ、もちまるの事が気になったのでそのまま起床した。
寝室の様子を見るに、既にリズとエリスは外出したようである。その証拠に、リズの大きな帽子や杖が見当たらないし、イナリが寝ている間にエリスが外へ出た時に用意されるおやつがベッドの横に置かれている。
「……我、寝過ごしておらぬよの?」
やや寝ぼけた目を擦りながらイナリ窓の外を確認するが、見たところまだ朝と言ってよい時間帯だ。きっと皆、もちまるのために活動してくれているのだろう。
現在の状況を最大限好意的に解釈したイナリは、おやつと先日施錠に使った鍵が纏まった紐を手に取り、物置へと赴いた。
幸い、この世界の錠は地球で見かけたそれと殆ど仕組みが同じである。故に、イナリは誰に助けを求めるでもなくすんなりと物置に入り、もちまるが入った箱を開けることができた。
「もちまるよ、起きておるか?」
イナリが小声で話しかけながら覗き込むと、昨日連れて帰ってきたスライムがぷるぷると佇んでいる様子が目に留まった。
「ふむ、元気そうじゃな」
そもそもスライムが睡眠をとるのか怪しい以上、起きているか尋ねるのは変だったかもしれない。そんなことを考えつつ、イナリはもちまるを持ち上げる。イナリのことを認識しているのか、心なしか軽やかにもちもちと動いているように見える。
それにしても、スライムは見れば見るほど奇妙な存在だ。その構造はもはや言うまでもないだろうが、膜も奇妙な造りをしている。
全体的に水っぽい体なのに、手に持っても濡れたりべたべたになったりしない。加えて、衣服などに触れても表面に糸や埃が付着したりせず、綺麗な状態を保っている。飼いやすくて助かるが、何とも不思議なものである。
そんなことに思いを馳せているうちに、ふと、昨日一緒に入れておいた果物が三分の一ほど消えていたことに気が付いた。どのようにして食べたのかはわからないが、おやつを与えたのは正解だったようだ。
それに、水に入ったような痕跡もある。意図して入水したのか、適当に動いていて偶然入ってしまっただけなのかはわからないが。
「今日はリズがお主について調べてくれるからの。また後で来るが、勝手にどこかへ行ってはならぬぞ?……おおよしよし、利口なやつじゃ」
イナリはもちまるの返事を脳内で捏造し、軽く撫でて感触を堪能したのち、箱に戻した。
昼になると、イナリはディルと共に商業地区の方角に向けて歩いていた。しばらく顔を見せていないオリュザ料理の店に赴き、米を堪能するためである。
「全く、どうして俺が子守役なんざしてんだか……」
久々にお気に入りの店に赴くためにご機嫌なイナリの傍ら、面倒そうにぼやくのはディルだ。イナリはそれを特に気に留めることも無く、淡々と答える。
「仕方ないであろ。エリスやエリックが我を一人で歩かせてくれぬし、お主にもちまるを任せるのは危険じゃ」
「それはそうなんだがな」
ディルにもちまるを任せたら、帰ったころには無残な姿になっているかもしれないし、訳の分からない育成方針を立てられて、もちもちがムキムキになってしまうかもしれない。
それを懸念したイナリは、ディルと同じく今日が休日であったエリックにもちまるを任せることにしたのだ。
「そもそも外に出るのもやめた方がいいと思うぞ。エリックの話は聞いただろ?」
「ああ、あの……この街の治安が云々、ってやつかの?」
出かける前にエリックから聞いた話だが、日に日にこの街と周辺の治安が悪化しつつあるらしい。どうにも、毎日小競り合いが街のどこかで起きているとか。
刀の鞘がぶつかるだけで斬り合いに発展した時代すら見てきたイナリからすれば些事も些事だが、今まで起こらなかったことが起こっているという意味では一考する価値があるかもしれない。
「そういう万が一に備えてお主を連れてきたのじゃ。お主は以前偽物のギルド員を見破った実績もあるし、その点は信用しておる」
「ありゃ向こうがお粗末だっただけだと思うが。まあ、そう言われて悪い気はしないな」
ディルは微笑しつつイナリに返した。
「あ、ついでに訂正しておくが、子守ではなく護衛じゃ。面倒に思うどころか、むしろ神たる我を護衛する大役を賜ったことに感謝して然るべきじゃぞ」
「そうか。だが神を守るなんざ俺には畏れ多いし、謹んで辞退させてもらうべきか」
足を止めたディルは遠くを見つめて呟くと、おもむろに翻ってイナリに背を向ける。
「ま、待つのじゃ。それは話が違うではないか?お主、我を見捨てるのか!?」
「冗談だから落ち着け。それと周囲からの視線が痛いから、そういう意味でも勘弁してくれ」
その場を歩き去ろうとするディルとそれに涙目で縋りつくイナリは、傍から見ると事案でしかない。その証拠に、周囲の住民や通りかかった兵士が訝しむような目をディルに向けている。
イナリに己の容姿を利用するつもりはなかったが、今回は期せずしてそうなったようである。
ちょっとした冗談のせいでディルの社会的立場が危機に瀕した一幕もあったが、二人は無事に目的地である米料理店へと到着した。そして、店の様子を見たイナリは呆然と呟く。
「店、閉じておるのう」
「そうみたいだな。定休日か?」
ディルが店の玄関へ歩み寄る傍ら、イナリは尻尾と耳をしゅんとさせながらも、どうにか割り切ろうと努める。
あくまで人間が営業している店である以上、休みは当然必要になる。悲しいことだが、こればかりはどうにもならないことだ。この店については日を改めるとして、今日のところは別の店を当たるとしよう。
イナリがそう考えた直後、後方から声を掛けられる。
「お二人さん、その店に用があるんですかい?」
「ん?お前は……」
二人が振り返ってみれば、そこに居たのは以前なんやかんやあってこの街に移ってきた男、フルーティであった。
「お主、何故ここに居るのじゃ?」
「そりゃお二人と同じでお腹が空いてここに来ただけですよ。ほら、すぐそこが商業地区でしょう。俺の店はそこにあるんです」
「そうか、妙な偶然と思うたが、別に不思議なことでもないのか」
「そういうことです」
イナリの言葉に対し、フルーティは人当たりのいい笑みを浮かべて頷いた。
「さて。俺、この店については色々知ってるんですよ。どうです、気になりませんか?」
「それも気になるが、その前に。果物屋のお前がどうしてこの店について詳しいんだ?」
ディルは返事を返そうとしたイナリを遮るように立って尋ねる。それに対し眉を顰めたイナリだったが、ディルがフルーティを警戒していることに気が付き、静かにしておくことにした。
そして、そんな状況を前にしてもフルーティは変わらず飄々とした態度で答える。
「商業地区は噂が絶えない場所ですからね。あることないこと、色々と耳に入ってくるんですよ」
「そりゃ興味深い。噂と言えば、最近この街も安全とは言い難くなってきているらしいな。だから敢えて聞かせてもらうが……俺たちに話しかけたのは本当に偶然か?」
「……いやあ、流石に高等級の冒険者の目は誤魔化せませんね。確かに俺はお二人に話しかけるためにここに来ましたよ。ここがイナリさんの行きつけの店だという噂は聞いていましたから」
フルーティの言葉にイナリはぞわりと震えた。何というか、エリスに近いものを感じた。
その様子を見たディルは、さらに雰囲気を険悪なものにしてフルーティに問いかける。
「何が狙いだ」
「狙いだなんてそんな物騒なことは考えていませんよ。ただ、お話の対価として、ちょっとだけお礼を貰いたい、それだけです」
フルーティは、ディルの後方に立つイナリを見て、小さく口元に笑みを浮かべた。
「――いやあ、助かりました!この街の果物屋は同業者が多いもんですから、食費すら気を遣わないとやっていけないんですよ」
がつがつと食事を掻き込んでいくフルーティに対し、イナリとディルは各々白い目を向けていた。
「まさかあの流れで飯をたかるとはな……」
「無駄に意味深な言い方をしおって。何を言い出すのかと身構えてしまったではないか」
「あはは、紛らわしくてすみませんね」
相変わらず飄々とした態度で笑うフルーティだが、通報まであと一歩の領域まで足を踏み入れていたと知れば、多少はこの態度も崩れるだろうか?
イナリはそんなことを考えつつ、頬杖をつきながら問いかける。
「というかお主、我らと話すためにわざわざ我の行きつけの店を調べたのかや?」
「いや、普通にイナリさんはあの店の名物客って有名ですし、調べるまでもなかったですよ。……え、まさか知らなかったんですかい?」
「……うむ」
「……お前、もう少し周りの視線を気にした方がいいかもな」
フルーティが素で驚いている辺り、これは調べるまでもない話だったのだろう。その事実に愕然とするイナリに対し、ディルは呆れ混じりに呟いた。
「ま、その辺はお宅の教育にお任せするとして。それよりお礼です、お礼。あの店の話をしましょう。きっと興味を持ってもらえるはずですよ」
フルーティは二人に向けて再び怪しげな笑みを浮かべた。




